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つながりの強いひと
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島尾敏雄
日本の作家である。第十八震洋特攻隊隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任。1945年8月13日に特攻戦が発動され、出撃命令を受けたが発進の号令を受けぬまま即... |
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丹羽正毛織工場 会社情報 社名 丹羽正毛織株式会社 住所 〒496-0008 津島市宇治町茶ノ里192 電話 FAX e-mail - HP - 業務内容 ◆ ウール100%反染加工専業で... |
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プロフィール
小川国夫(おがわくにお、1927年12月21日-2008年4月8日)は、日本の小説家。
経歴
| 静岡県志太郡藤枝町(現在の藤枝市本町)に小川富士太郎・まきの長男として生まれる。 |
| 1942年、旧制志太中学(現・藤枝東高校)に入学、学徒勤労動員で用宗海岸にある小柳造船所に通う。 |
| このときの経験は、のちの作品に色濃く投影されることになる。 |
| 1946年、旧制静岡高等学校(現・静岡大学)文科乙類に入学。 |
| この頃カトリックの洗礼を受ける。 |
| 洗礼名は、アウグスチノ。 |
| 1950年、東京大学国文科に入学。 |
| 1953年、「東海のほとり」を『近代文学』に発表。 |
| その年の10月フランスへわたりパリ大学に3年間私費留学。 |
| スペイン、北アフリカ、イタリア、ギリシアなど、ヨーロッパ各地をヴェスパで旅行する。 |
| 1956年、フランス留学を終え帰国、大学には戻らずそのまま創作活動にはいる。 |
| すぐに同人雑誌『青銅時代』を創刊。 |
| 1957年、ヨーロッパを放浪した体験を自伝風に描いた『アポロンの島』を私家版で刊行したがまったく売れず、8年後にそれを唯一買った島尾敏雄が絶賛し、1967年から商業雑誌に登場。 |
| 古井由吉、黒井千次、後藤明生らと共に内向の世代の作家と目された。 |
| 自身の経験から深めた主題として、自然や神と人間との関わりを描いており、非現実や抽象に基づくイメージを交えた内省的かつ簡勁な文体、郷里の静岡県(方言が作品中に多く用いられている)や地中海を原形とする小さい共同体を多く扱うことが特徴である。 |
| 主としてキリスト教、地中海世界を描いたものが多いが、能楽にも深い関心があった。 |
| 1986年「逸民」で川端康成文学賞、1994年『悲しみの港』で伊藤整文学賞、1998年『ハシッシ・ギャング』で読売文学賞、2000年日本芸術院賞受賞、2005年日本芸術院会員、2006年旭日中綬章受章。 |
| 若い頃は友人で作家の丹羽正の影響もあり、賞嫌いとして知られていた「賞で伸びる人間もいるが、伸びることができなくなる人間もいる。 |
| 自分は後者」とは本人の言であり、芥川賞を固辞したとも言われている。 |
| 立原正秋とは若いときから親交があり、その交流は立原の死まで続いた。 |
| 息子の母校である静岡聖光学院中学校・高等学校の校歌「聖光讃歌」の作詞をしている。 |
| 1990年4月大阪芸術大学文芸学科教授に就任。 |
| 平家物語、芭蕉、芥川などを講じる。 |
| のちに創作演習ゼミ、卒業制作ゼミを担当し、学生に小説の書き方を教えるかたわら、同大学発行の文芸雑誌『河南文学』『河南文藝文学篇』の編集人を務めた。 |
| 2005年3月に退任。 |
| 2008年4月8日、静岡市内の病院で肺炎のため死去。 |
| {{citeweb|author=静岡新聞|date=2008年4月8日|accessdate=4月8日|accessyear=2007|url=http://www.shizushin.com/news/social/shizuoka/20080408174338.htm|title=作家の小川国夫さんが死去80歳、藤枝市出身。 |
小説
| アポロンの島青銅時代社(私家版)1957審美社1967のち角川文庫、新潮文庫、講談社文芸文庫。 |
| 貝の声—初出「青銅時代」昭和32年6月第1号。 |
| エリコへ下る道—初出書下ろし。 |
| 重い疲れ—初出書下ろし。 |
| ナフプリオン—初出「青銅時代」昭和32年6月第1号。 |
| スイスにて—初出書下ろし。 |
| シシリー島の人々—初出「青銅時代」昭和32年6月第1号。 |
| エレウシスの美術館—初出「青銅時代」昭和32年6月第1号。 |
| アポロンの島—初出「青銅時代」昭和32年6月第1号。 |
| 海と鰻—初出「青銅時代」昭和32年6月第1号。 |
| 箱船—初出「青銅時代」昭和32年6月第1号。 |
| 東海のほとり—初出「近代文學」昭和28年10月号。 |
| 雪の日—初出「青銅時代」昭和32年6月第1号。 |
| お麦—初出書下ろし。 |
| 夕日と草—初出書下ろし。 |
| 動員時代—初出「近代文學」昭和29年5月号。 |
| 海の声—初出書下ろし。 |
| 生のさ中に審美社1967のち角川文庫、講談社文庫。 |
| 里にしあれば—初出「南北」昭和41年10月号。 |
| 物と心—初出「南北」昭和41年10月号。 |
| 役者たち—初出「青銅時代」昭和42年3月号。 |
| 巨人伝説—初出「青銅時代」昭和42年3月号。 |
| 再臨派—初出「青銅時代」昭和40年7月号。 |
| 相良油田—初出「青銅時代」昭和40年7月号。 |
| 解らない道具—初出「青銅時代」昭和40年7月号。 |
| コートにて—初出「南北」昭和41年10月号。 |
| 高砂族—初出「南北」昭和41年10月号。 |
| 三月—初出「南北」昭和41年10月号。 |
| 爽やかな辻—初出「南北」昭和41年10月号。 |
| 平地の匂い—初出「南北」昭和41年10月号。 |
| 海峡と火山—初出「青銅時代」昭和38年7月号。 |
| 修道士の墓地—初出「青銅時代」昭和38年7月号。 |
| エンペドクレスの港—初出「青銅時代」昭和38年7月号。 |
| 警備隊のいる町—初出「南北」昭和41年10月号。 |
| スパルタ—初出「近代文学」昭和37年12月号。 |
| 施療病室—初出「青銅時代」昭和33年8月号。 |
| 軍艦—初出「青銅時代」昭和33年8月号。 |
| ヴァランスまで—初出「南北」昭和41年10月号。 |
| ゲラサ人の岸—初出「青銅時代」昭和33年8月号。 |
| 旅の痕跡—初出「南北」昭和42年7月号。 |
| アポロナスにて—初出「青銅時代」昭和33年8月号。 |
| 海からの光南北社1968のち講談社文庫。 |
| 速い馬の流れ—初出書下ろし。 |
| 崖への往復—初出「南北」昭和43年2月号。 |
| 人隠し—初出「南北」昭和43年2月号。 |
| 五十海—初出「群像」昭和42年7月号。 |
| 青年司祭—初出「南北」昭和43年2月号。 |
| 白い息—初出「静岡新聞」昭和42年3月27日。 |
| 支倉常長—初出「群像」昭和42年7月号。 |
| 地中海の漁港—初出「文學界」昭和42年8月号。 |
| 遥かな日本—初出「静岡新聞」昭和42年1月1日。 |
| 鞭打苦行者—初出「近代文學」昭和38年11、12月合併号。 |
| アンダルシアの木—初出「近代文學」昭和38年11、12月合併号。 |
| 自殺—初出「群像」昭和42年7月号。 |
| 闘牛の日—初出「群像」昭和42年7月号。 |
| ジブラルタル海峡—初出「群像」昭和42年7月号。 |
| カナリア群島—初出「群像」昭和42年7月号。 |
| 行く者残る者—初出「南北」昭和41年10月号。 |
| 曝露記事—初出「群像」昭和42年7月号。 |
| 海難の後—初出「南北」昭和41年10月号。 |
| 二百九人の死—初出「群像」昭和42年7月号。 |
| 父と子—初出「群像」昭和42年7月号。 |
| 海からの光—初出「青銅時代」昭和33年8月号、「葡萄の枝」加筆改題。 |
| 悠蔵が残したこと—初出「審美」昭和41年7月号。 |
| 影の部分—初出「青銅時代」昭和39年7月号、原題「最小限のこと」。 |
| 違約—初出「青銅時代」昭和39年7月号、原題「海野早苗の見合い」。 |
| サラゴサ—初出「青銅時代」昭和36年8月号、原題「ポリタイヤ」に加筆改題。 |
| 大亀のいた海岸—初出「三田文學」昭和43年3月号。 |
| アフリカン・ナイト—初出「青銅時代」昭和35年10月号、原題「泥」に加筆改題。 |
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1942年
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旧制志太中学(現・藤枝東高校)に入学、学徒... |
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1950年
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東京大学国文科に入学 |
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