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プロフィール
- 小林可夢偉とは
- デビュー - 2001年
- 2002年 - 2003年
- 2004年 - 2005年
- 2006年 - 2007年
- 2008年 - 2009年
- 2009年
- 2010年
- 2011年
- 評価
- エピソード
- 関連サイト
小林可夢偉(こばやしかむい、1986年9月13日–)は、兵庫県尼崎市出身のレーシングドライバー。
デビュー - 2001年
| 9歳でカートを始める。 |
| 少年の頃より憧れのドライバーはアイルトン・セナであると発言している。 |
| 1996年にカートレースにデビュー、実績を積み重ね2000年には全日本ジュニアカート選手権のシリーズチャンピオンとなる。 |
| 2001年は全日本カート選手権にステップアップし、ICAクラスに参戦してシリーズチャンピオンを獲得、またフォーミュラトヨタレーシングスクール(FTRS)を受講しスカラシップを得た。 |
2002年 - 2003年
| 続いて4輪レースに出場することになるが、当時15歳であったためその前に日本自動車連盟(JAF)が限定A級ライセンス普通自動車運転免許を取得できないドライバーは、この特殊なライセンスを取得しなければ4輪レースに出場できない。 |
| 16〜17歳が対象で、日本自動車連盟が発行。 |
| 取得すると国内の一部レースに限り出場を認められる。 |
| を発行するのをしばらく待たねばならなかった。 |
| 限定A級ライセンス取得後の2002年度、エッソ・フォーミュラ・トヨタ最終戦にて4輪レースデビューを飾る。 |
| 2003年は本格的に同シリーズに参戦しランキング2位。 |
2004年 - 2005年
| クラーク記念国際高等学校卒業後の2004年にはトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)の支援下、フォーミュラ・ルノー2.0イタリアシリーズに参戦しランキング7位。 |
| 2005年度はイタリアシリーズに加えユーロシリーズも戦い、両シリーズともチャンピオンに輝いた。 |
| なお小林はヨーロッパのフォーミュラ・ルノー選手権においてシリーズチャンピオンに輝いた最初の日本人であり、ヨーロッパのフォーミュラカー選手権において日本人ドライバーがタイトルを獲得したのは2001年度に金石年弘・佐藤琢磨・福田良がそれぞれドイツ・イギリス・フランスのF3選手権でシリーズチャンピオンとなって以来のことであった。 |
2006年 - 2007年
| 2006年はASMFormule3(現在のARTグランプリのF3部門)からダラーラF305・メルセデスでF3・ユーロシリーズを戦い、ランキング8位ながらルーキーカップを獲得した。 |
| またF3マカオGPにも出場しポールポジションを獲得する健闘を見せるが決勝は19位で終えた。 |
| この時のチームメイトはセバスチャン・ベッテル、このシーズンのチャンピオンを獲得したポール・ディ・レスタ、そしてギド・ヴァン・デル・ガルデであった。 |
| 2007年も引き続き同チームのF3ユーロシリーズに参戦。 |
| 同年6月30日、フランスのマニクール・サーキットで開催されたシリーズ第4戦の第1ラウンドでポールポジションを獲得しそのままF3初勝利を果たした。 |
| チームメイトはこの年のF3チャンピオンを獲得し、後にルノーからF1デビューしたロマン・グロージャン、ウィリアムズからデビューしたニコ・ヒュルケンベルグがいる。 |
| 同年11月よりフォーミュラ1チームであるトヨタF1からフランク・モンタニーに代わり、サードドライバーとして起用されることが発表された。 |
2008年 - 2009年
| 240px|right|thumb|2009年GP2ドイツGP。 |
| 2008年はGP2にアジアシリーズも含め参戦。 |
| 3月23日、GP2アジアシリーズのマレーシアGPにて日本人初優勝。 |
| さらに4月27日、ヨーロッパに戻って行われたGP2本戦の第1戦スペイン・レース2でも日本人初優勝という快挙を遂げた。 |
| 2008年-2009年シーズンとなったGP2アジアシリーズに、トヨタからのサポートを受けて参戦。 |
| 2008年12月6日、ドバイGPにて08/09シーズンで初優勝。 |
| さらに2009年1月24日、バーレーンGPのレース1で優勝し、日本人初の連勝。 |
| 2位に13ポイント差をつけランキング首位で挑んだ3月25日の最終戦、バーレーンの第1レースで4位入賞したことにより、第2レースを待たずしてアジアシリーズチャンピオンを獲得した。 |
| F1直下のカテゴリーで日本人が王座を獲得したのは初めてである。 |
2009年
| 240px|right|thumb|2009年日本グランプリ。 |
| 2009年10月2日に開幕したF1第15戦日本グランプリで、トヨタF1チームのレギュラードライバーであるティモ・グロックが体調不良により金曜フリー走行を急遽欠場したため、リザーブドライバーであった小林がその代役として出走した。 |
| 翌日はグロックが復帰したものの、そのグロックは公式予選でクラッシュして脊椎を負傷したため、次戦以降を欠場することになった |
| これにより、小林は10月18日の第16戦ブラジルグランプリでF1デビュー、日本人としては18人目のF1ドライバーとなった。 |
| そのブラジルグランプリでは、予選11位を記録。 |
| 決勝ではポイント首位のジェンソン・バトンを18周に渡り抑えて、一時3位までポジションを上げたが、惜しくも入賞に一歩とどかず9位完走だった9位完走のヘイキ・コバライネンがピットロードで火災を起こしてしまい、25秒加算ペナルティを受けたため、10位から9位に繰り上がった。 |
| 次戦のアブダビGPも参戦することとなり、前戦同様バトンをオーバーテイクして、一時3位を走行していた。 |
| 予選12位から1ストップ作戦を成功させ、チームメイトのヤルノ・トゥルーリを上回る6位入賞を果たした。 |
| 1ストップ勢での上位浮上は小林ひとりであり、2007年の佐藤琢磨以来、2人目となる完全日本製パッケージ日本のコンストラクター・日本人ドライバー・日本製エンジン・日本製タイヤ。 |
| でポイント獲得をした。 |
| この2戦の活躍で、来シーズンのトヨタF1チームの正ドライバーの座を確かなものとした。 |
| しかし、そのアブダビGPからわずか3日後の11月4日、トヨタF1チームがF1から完全撤退することを発表し、2010年以降は他チームにシートを求めることとなった。 |
2010年
| 240px|right|thumb|2010年のへレス・テスト。 |
| 240px|right|thumb|2010年ドイツGP。 |
| 2009年12月17日、ザウバーとのレギュラードライバー契約を発表し、撤退したトヨタを離れ2010年シーズンから新天地でのフル参戦が実現した。 |
| チームメイトはベテランのペドロ・デ・ラ・ロサ。 |
| 第15戦シンガポールGPからデラ・ロサに替わりニック・ハイドフェルドがチームメイトになった。 |
| 序盤戦はスタート直後の接触事故やマシントラブルにより結果を残せなかったが、トルコGPでは10位入賞し、チームのシーズン初ポイントを獲得した。 |
| 中盤戦以降はマシンの改善もあり、コンスタントに入賞圏内を争うようになった。 |
| ヨーロッパGPでは予選18位からのスタートであったが、セーフティーカー出動の混乱を巧みに乗り切り、レース終盤の53周目までタイヤを交換しないという策に出る。 |
| その53周までのレースの大半を3位で走行し、レギュレーション上のタイヤ交換義務でソフトタイヤに履き替え9位でレースに戻り、新しいタイヤのグリップ力を活かし残り2周でフェラーリのフェルナンド・アロンソを、ファイナルラップの最終コーナーでトロ・ロッソのセバスチャン・ブエミをオーバーテイクし7位入賞を果たして、その印象的な走りは評価された。 |
| 終始4位に抑えこまれていたマクラーレンのジェンソン・バトンも、インタビューで小林の走りについて"Brilliant!"(素晴らしい!)と称賛した。 |
| 続くイギリスGPでも6位入賞。 |
| ハンガリーGP予選ではピットレーンの赤信号無視でペナルティを受け23番手に降格。 |
| 決勝ではスタートで順位を上げ、セーフティーカー出動も味方して9位入賞を果たした。 |
| 母国日本GPでは予選14位から、他のドライバーがソフトタイヤでスタートする中、ハードタイヤで走り出した。 |
| ハイメ・アルグエルスアリを14周目、エイドリアン・スーティルを18周目にヘアピンで抜き、全53周レースの38周目にピットイン。 |
| ソフトタイヤに履き替えると、アルグエルスアリをアウト側から45周目、ルーベンス・バリチェロを48周目、ハイドフェルドを49周目に同じヘアピンで抜き、計5回のオーバーテイクをした正確には45周目にスーティルがエンジンブローによってスローダウンしてしまった為、小林はスーティルを130Rの後コース上でかわしている。 |
| よってこれまで含めると、実質6回のオーバーテイクとなる。 |
| なお、小林自身は何回オーバーテイクを行ったか記憶していないと語っている。 |
| 続く韓国GPでは8位、ブラジルGPでも10位と3戦連続入賞を果たした。 |
| この年は決して競争力の高いマシンではなかったものの、ルーキードライバーとしては最も高いポイントである32ポイントを獲得しランキング12位。 |
| 又、チームメイトと比較してもデ・ラ・ロサに7勝2敗5分、ハイドフェルドに3勝1敗1分している事になりベテランドライバー相手にも遜色ない結果を残した。 |
2011年
| 2010年9月7日、ザウバーは小林をエースドライバーとして残留させることを発表し、2011年も引き続きザウバーから出走する。 |
| チームメイトには、新人のメキシコ人ドライバーセルジオ・ペレスが起用されている。 |
| 開幕戦オーストラリアGPでは入賞圏内である8位でゴールしたが、レース後の検査でリアウイングに違反があったとして失格処分となった。 |
| 第2戦マレーシアGPでは、マーク・ウェバーやミハエル・シューマッハらとの接戦を繰り広げ見事7位入賞。 |
| 前戦の雪辱を晴らし、第3戦中国GP、第4戦トルコGP、第5戦スペインGPまで3戦連続で10位入賞を記録し、日本人F1ドライバーの中で最もポイント獲得している佐藤琢磨の記録「44ポイント」と並んだ。 |
| 又、同じく佐藤が記録した日本人による連続入賞記録(2004年イタリアグランプリから2004年ブラジルグランプリまで)である「4戦」も並んだ。 |
| 翌第6戦モナコGPでは同僚のセルジオ・ペレスがシケインで大クラッシュを演じ同グランプリの決勝レースを欠場。 |
| 小林は単独で決勝レースに臨むこととなったが結果は自己最高位となる5位入賞を果たし、中嶋一貴以来日本人ドライバー2人目のモナコグランプリでのポイント獲得、モナコグランプリにおける日本人歴代最高位を更新した。 |
| 続くカナダGPでは荒れた天候のレースで一時2位を走るも、7位でフィニッシュ。 |
| 一部の日本のマスコミ(特にフジテレビ)はこの活躍と有力チームのシート事情を絡め、2012年シーズンに有力チームに移籍する可能性を盛んに報じた。 |
| 小林自身も移籍の可能性とペーター・ザウバーへの恩義の間で揺れる心境を示唆していた。 |
| しかし7月28日にザウバーが小林とペレスの2012年残留を発表している。 |
評価
| 日本企業の支援を受けてF1に昇格したという点では、F1ブーム期以降の日本人ドライバーの系譜に連なる。 |
| しかし、トヨタのF1撤退で後ろ盾を失いながらデビュー2戦のパフォーマンスを評価され、2010年のレギュラーシートを確保するに至った。 |
| 起用を決めたザウバーチーム代表のペーター・ザウバーは「彼は資金を持ち込まずにF1チームに加わった最初の日本人ドライバーだ」「彼はドライブ能力のおかげでF1にいる」と評価した。 |
| F1ジャーナリストの今宮純は「小林はマクラーレンの候補リストに日本人として初めて名を連ねていた |
| 元F1ドライバーの片山右京は「僕らの夢が動き出そうとしている」とコメントを残した。 |
| 安全だと主張している。 |
| 2010年日本GPではヘアピンへのブレーキングで5度のオーバーテイクを成功させ、ライバルや海外メディアに賞賛され、F1公式サイトのコメンタリでは「overtakingkingKobayashi」と絶賛された。 |
| レース後、イギリスのテレビ局BBCは小林に対して独占インタビューを行い、コメンテイターのエディ・ジョーダン、マーティン・ブランドルより絶賛を受けた。 |
| この2010年日本GPでのオーバーテイク時に接触し、サイドポンツーンのエアロパーツを片側だけ破損して無くすことになるが、その後自身のベストラップを刻み、テレビ解説をしていた片山右京に「彼は破損したマシンの方が速いんですね」と苦笑いをされてしまう。 |
| 2010年、同じF1ルーキーのヴィタリー・ペトロフやニコ・ヒュルケンベルグ、GP2のジュール・ビアンキやサム・バード、世界ラリー選手権(WRC)に転向したキミ・ライコネンらを抑えて、「AUTOSPORTAwards」のルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。 |
エピソード
| 可夢偉(かむい)という名前はアイヌの民族信仰で神とされる「カムイ」と、「偉大な夢を可能にする」という言葉の漢字3文字から命名された。 |
| 実家は寿司屋を経営し、16歳からは家業の手伝いで寿司を握っていたことから、ファンサイトやメディアでは「可夢偉はシートを失ったら実家の板前に転職する」とネタにされたり、また自らも2009年のトヨタF1撤退決定の直後は「レースが続けられないなら寿司屋の修行をする」 |
| 実際のところ本人はエビやカニのアレルギー持ちで「触ることすらできない」ため、板前には「なりたくてもなれない」という『GRANDPRIXSPECIAL』(ソニー・マガジンズ)2010年1月号・連載「突撃!ピットレポーター川井ちゃん」。 |
| 地元尼崎市出身のお笑いコンビ・ダウンタウンを尊敬しており、2009年にフジテレビ系『すぽると!』に出演した際、自らの夢を「テレビで浜田さんと共演する」と発言。 |
| 少年時代に参戦したカート競技で父親自らが小林の車両のメカニックとして携わっていたが、実は両親はレースに全く関心がなかったという。 |
| また、自身で乗用車を2度ほど購入しているが、その両方の車を父親に売却されてしまった。 |
| 1998年に放送されたTBSの30時間特別番組『テレビのちから』のコーナー「スーパーキッズ21世紀夢チャレンジ」にて、当時小学6年生だった小林は「天才カート少年」として紹介され、定岡正二や元F1ドライバー鈴木亜久里とカート対決を行った。 |
| TDP監督として小林を指導した関谷正徳いわく、「やんちゃな可夢偉と優等生の一貴のコンビだった」。 |
| (結婚は)するなら若いうちにしておきたい」と答えている。 |
| また、2011年シーズンでは度々、あびる優が応援に訪れており、海外のF1メディアにはすでに「あびる優は小林のガールフレンド」と認知されている。 |
| 『すぽると!』内でセバスチャン・ベッテルがマシンに名前を付けていると言われ、自分のマシンに隣に座っていたアナウンサーの本田朋子の名前を取って「朋子」と名づけた。 |
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1986年
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小林 可夢偉(こばやし かむい、 – )... |
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1996年
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カートレースにデビュー、実績を積み重ね2000... |
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