| 筑紫女学園中学校卒業後、宝塚音楽学校に入学。 |
| 以後の2年間は朝9時より夜10時過ぎまで学び、寮の門限である11時擦れ擦れに帰宅する多忙な年月を過ごす。 |
| 友人が宝塚音楽学校の先輩にあたる梓みちよの知り合いでその口利きで在学中に渡辺プロダクションに歌手になりたいと願い出る。 |
| 渡辺プロは宝塚を首席で卒業したら歌手にしてあげると回答。 |
| 見事、1970年(昭和45年)に宝塚音楽学校を首席で卒業。 |
| 同期には現専科の萬あきら、女優の麻実れい、東千晃らがいる。 |
| 歌手デビューが約束されていたが、初舞台だけは踏みなさいとそのまま「夏川るみ」の名で宝塚歌劇団に入団したが、2ヶ月で退団した。 |
| 歌手デビューを当初から念頭においており、小柳にとって宝塚は歌や演技の鍛錬を積むためのいわゆる腰掛けであった。 |
| 退団した同年、歌手デビューの前に顔を売るためにNHK連続テレビ小説『虹』で女優としてデビュー。 |
| 翌1971年(昭和46年)4月25日にはワーナーブラザーズパイオニアの邦楽部門初の歌手として契約。 |
| 作曲家平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューし、160万枚新井恵美子『女たちの歌』光文社、2004年、ISBN4334783147。 |
| の大ヒットとなる。 |
| 同曲は1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、また第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞した。 |
| その後にリリースした「お祭りの夜」や「京のにわか雨」「瀬戸の花嫁」(日本歌謡大賞受賞)なども大ヒットし、天地真理・南沙織らとともに『新三人娘』と呼ばれ、1970年代前半を代表するアイドルとなった。 |
| その後はアイドルというジャンルを卒業し、持ち前の歌唱力を活かした正統派歌手として「冬の駅」「逢いたくて北国へ」「星の砂」「来夢来人(ライムライト)」「お久しぶりね」などのヒット曲を飛ばした。 |
| その軌跡として、デビューの1971年(昭和46年)から1988年(昭和63年)まで、NHK紅白歌合戦に18年連続出場という実績を残している。 |
| さらに女優としても、1982年『誘拐報道』でキネマ旬報賞助演女優賞、第6回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、1983年に公開の『白蛇抄』で見せた迫真の演技により、第7回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞する。 |
| 順風満帆かに見えたが、元々、ポップスやミュージカルを志向していた小柳と渡辺プロとは意見の相違があった。 |
| 待遇面の不満も含め、渡辺プロダクションからの独立を巡り当時のナベプロに妨害された事から仕事を干される等辛酸を舐める。 |
| しかし、1989年(平成元年)に、13歳年下の無名のダンサーであった大澄賢也と電撃結婚し、結婚後は大澄と共に夫婦でのテレビ出演やステージを精力的に行った。 |
| かつては芸能界のおしどり夫婦とも呼ばれていたものの、2000年(平成12年)に離婚となる。 |
| 離婚する条件として、大澄に対して高額の慰謝料を要求したこと、そうでなければ、以前の無名のバックダンサーに戻ることのどちらかの二者選択を迫っていたことが明らかになったが、テレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した際に、上記の二者選択発言は、実際は大澄が発言したとも告白している。 |
| 「週刊女性」2007年7月10日号の「独占スクープ!小柳ルミ子との離婚から7年大澄賢也慰謝料1億円実は…「一銭も払ってないッ!」」の中で小柳のマネージャーが「"慰謝料はもらっていない"と、小柳から聞いています。 |
| "慰謝料は一銭もいただいていない"と。 |
| でも、もう過去のことです」と語っている。 |
| 1994年(平成6年)、日本テレビ系連続ドラマ『家なき子』に安達祐実演じる主人公・相沢すずを執拗に苛める伯母・園田京子役で出演(ドラマでは序盤の3週のみ出演。 |
| その後、映画版にも登場、小柳本人にとっては初の苛め役であった。 |
| インタビューでは「絶対に弱みを見せないで頑張りましたね」と安達を評価したこともある。 |
| 2000年(平成12年)、日本テレビ系列にて松本幸四郎主演で放送されていたドラマ『明日を抱きしめて』にて、主要キャストとして出演していた三田佳子が息子の不祥事の心労から降板。 |
| 急遽、三田とも親しい小柳に白羽の矢が立てられた。 |
| 2002年(平成14年)、歌手名をrumicoに、女優名を小柳ルミ子とした後に音楽番組に出演する際も「小柳ルミ子」名義に戻している。 |
| 同年リリースされた島津亜矢のシングル「夜桜挽花」とアルバム『彩-AYA-』のトータルプロデュースを手がける。 |
| 2007年(平成19年)7月22日、27歳年下の俳優・石橋正高との婚約を発表。 |
| 前年の2006年12月12日に亡くなった小柳の母親の喪が明けてから籍を入れる予定であった。 |
| しかし、入籍直前の2007年11月27日、テレビ朝日系『スーパーモーニング』にて、石橋に対して結婚への疑問を抱き始めたとのことで、結果石橋との同居及び婚約も解消したことを告白。 |
| 「甘えられる事に疲れた」と話しているが、実際には交際が世に知れ渡る1ヶ月前には破局していたとのこと。 |
| 2010年(平成22年)7月2日には芸能生活40周年記念パーティーとバースデーパーティを兼ねて盛大に開催された。 |
| 小柳の友人、親友などの芸能人や関係者が700人集まった。 |
| 各界に人脈があり交友関係が大変幅広い。 |