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プロフィール
- 小笠原満男とは
- プロ入り以前
- プロ入りから2001年
- 2002年から2006年夏
- イタリア移籍
- 鹿島復帰
- プレースタイル
- 評価
- 人物
- 経歴
- 個人
小笠原満男(おがさわらみつお、1979年4月5日-)は、鹿島アントラーズ所属のサッカー選手。 元日本代表。ポジションはMF。2009年シーズンJリーグ最優秀選手賞受賞。
プロ入り以前
| 岩手県盛岡市に生まれ、地元の太田東サッカー少年団に入団し本格的にサッカーを始める。 |
| 6年生の時に第15回全日本少年サッカー大会にチームのキャプテンとして出場している。 |
| 1995年、斎藤重信監督率いる岩手県立大船渡高等学校に進学し、監督の家で下宿生活を送る |
| “東北のファンタジスタ”と言われ天才派選手として注目され、U-16日本代表に初招集されてからは年代別日本代表に頻繁に選出される。 |
| 1997年第76回高校サッカー選手権に出場し、ベスト16に駒を進める原動力となる活躍で大会優秀選手に選出された |
| 高校選抜でチームを組んだ日本代表に選出され、第58回ベリンツォーナ国際ユース大会等に出場した。 |
プロ入りから2001年
| 1998年高校卒業と同時に鹿島アントラーズに入団。 |
| 同期は本山雅志、中田浩二、曽ヶ端準、山口武士、中村祥朗。 |
| 同年の4月15日に行われたガンバ大阪戦でJリーグデビューを果たした。 |
| また、U-19日本代表としてAFCユース選手権に出場し準優勝に貢献。 |
| 1999年、5月5日のジュビロ磐田戦でヘディングシュートでJリーグ初得点を記録した。 |
| U-20日本代表としてナイジェリアで開催された1999FIFAワールドユース選手権に全試合出場し、1次リーグのアメリカ戦で1ゴールを決めるなど準優勝に貢献した。 |
| U-22日本代表にも選出されるが、フィリップ・トルシエ監督からプレー中におけるコミュニケーションの乏しさを厳しく指摘され、9月にスタメン出場した韓国との親善試合を最後に招集外となった。 |
| 2000年、鹿島ではレギュラーに定着して活躍。 |
| ヤマザキナビスコカップ優勝、Jリーグ優勝、天皇杯優勝と、鹿島のJリーグ史上初の3冠獲得達成に貢献した。 |
| J1第1ステージ最終節でハーフライン付近から放ったシュートは、クロスバーに当たってゴールとはならなかったが、トニーニョ・セレーゾ監督が「入っていれば銅像でも立ててやりたかった」とコメントしたことから、サポーターの間で「銅像シュート」と呼ばれ有名になった。 |
| チャンピオンシップ第2戦の試合中にビスマルクとフリーキックのキッカーを巡って揉め、名良橋晃の説得によりビスマルクがキッカーを譲る一幕があり、小笠原の蹴ったフリーキックは惜しくも外れてしまったものの、試合後MVPに選出された。 |
| Jリーグチャンピオンシップ、天皇杯の両大会においてMVPに選出された。 |
| 2001年1月1日に行われた天皇杯決勝の清水エスパルス戦では、先制ゴールと、Vゴールとなるビスマルクからのパスをボレーで合わせるミドルシュートを延長前半に決めて3対2で勝利し、チームを優勝に導いた。 |
| 先制ゴールとなったフリーキックは、主審に守備側の壁を適正な位置へ移動させるためのプレーの停止を要請せず、清水の選手たちが態勢を整える前にボールを蹴りこむという頭脳プレーだった。 |
| このVゴールはAFC月間最優秀ゴール賞に選ばれた。 |
| 2001シーズン、背番号が17番から8番に変更。 |
| 5月の柏レイソル戦で左肘を骨折するものの8月に復帰し、12月のチャンピオンシップ第2戦のジュビロ磐田戦においては、延長戦10分にVゴールとなる直接フリーキックを決めてJリーグ連覇に貢献し、2年連続でチャンピオンシップMVPを獲得した。 |
| この年、Jリーグベストイレブンに初選出され、以後2005年まで連続で選出された。 |
2002年から2006年夏
| 2002年、3月21日の対ウクライナ戦でA代表デビュー。 |
| 22歳で日韓ワールドカップ日本代表にも選出され、グループリーグ第3戦の対チュニジア戦で、6分間という短時間ではあったがワールドカップ初出場を果たした。 |
| クラブではヤマザキナビスコカップの優勝に貢献して大会MVPを獲得した。 |
| 2003年のシーズン終盤、当時ゲームキャプテンを務めていた秋田豊から、「全部背負ってみろ」とキャプテンマークを託された。 |
| これ以降、柳沢敦が主将に就任するまで、小笠原がゲームキャプテンを務めることになった。 |
| 2004年2月7日、キリンチャレンジカップの対マレーシア戦で代表初ゴールを決めた。 |
| その直後の2月9日、茨城県鹿嶋市で行われていた代表合宿中に、他7人の選手と共に無断外出してキャバクラで飲食し、問題を起こしていたことが発覚。 |
| 代表監督であったジーコは「裏切り行為と感じた」として小笠原ら8人を代表から外した。 |
| 2005年、ワールドカップアジア最終予選の北朝鮮戦とバーレーン戦で得点をあげるなど、日本のアジア予選突破に大きく貢献した。 |
| 8月にはセリエAのラツィオからオファーがあったが、チームが優勝争いをしていた最中であったために移籍を断念している。 |
| このシーズンはキャリアハイの11得点を記録した。 |
| 2006年6月、自身2度目のワールドカップとなるドイツワールドカップ日本代表に選出された。 |
| グループリーグ第2戦の対クロアチア戦にフル出場し、さらに第3戦の対ブラジル戦にも先発出場したが、2敗1分で決勝リーグ進出はならなかった。 |
| 7月15日にカシマサッカースタジアムで開催されたJリーグオールスターサッカーには、史上最多得票で選出された。 |
イタリア移籍
| 2006年8月、セリエAのメッシーナへ2007年6月まで10ヶ月間のレンタル移籍することが発表され、以前から望んでいた海外への初挑戦となった。 |
| 9月20日の対レッジーナ戦において後半8分から途中交代で出場しセリエAデビューを果たした。 |
| 10月21日のエンポリ戦でセリエA初ゴールを記録した。 |
| その後、技術はチーム一と言われながらも、差別的待遇を受けスポーツ報知2007年7月16日06時01分出場のチャンスに恵まれることがなく、ほとんどの試合でベンチ外を強いられた。 |
鹿島復帰
| シーズン終了後は欧州の他チームへの移籍を希望し、有力なオファーもあったが期限までにはまとまりきらず茨城新聞朝刊スポーツA版6頁2007年7月4日、2007年7月3日にレンタル終了の形で鹿島への復帰が発表された。 |
| 背番号は40を選択、これは過去に背負った8番を野沢拓也が付けていたため、当時のJリーグの規定における最大数の背番号を選んだもの。 |
| 7月15日、ヤマザキナビスコカップ対サンフレッチェ広島戦で323日ぶりの復帰戦を勝利で飾った。 |
| 鹿島復帰後は主にボランチとして攻守ともにチームの要となり、チームの6シーズンぶりのリーグ優勝に貢献した。 |
| 12月1日の対清水エスパルス戦のPKによる得点でJリーグ通算50ゴールを達成している。 |
| 2008年、元日に行われた天皇杯決勝に出場し優勝に貢献。 |
| この年主将に就任し、AFCチャンピオンズリーグ2008では、規定により30を超える背番号が認められないため、かつて本田泰人が背負っていた背番号「6」を着けてプレーした。 |
| 4月2日に対アルビレックス新潟戦で、日本およびイタリアリーグ通算10シーズン連続得点を達成した。 |
| 2008年9月20日、対柏レイソルで左膝半月板損傷および前十字靱帯を損傷し、全治10ヶ月という怪我を負った |
| 一時は引退を考えるほどの怪我であったが、手術後はチームを盛り上げるために、異例の早い時期でのピッチ内リハビリを開始したり、シーズン終盤の優勝争いでは、ホペイロにベンチ外メンバーのユニフォームを試合会場に持ってきてもらうように頼み、試合開始前の円陣に全員がユニフォームを着て参加スポーツニッポン2008年11月30日するよう呼びかけるなど、ピッチ外から鹿島のリーグ連覇を支えた。 |
| 全国高校サッカー選手権大会のイメージキャラクターに選ばれ、CM出演や雑誌へのコメントなどのPRに努めた。 |
| 2009年シーズン開幕に向けて、フィジカルコーチにリハビリに協力してほしいと頼み込み、コーチの年末年始のオフを短縮してもらってリハビリに取り組んだ結果、キャンプ初日から主力組で練習を開始することができた。 |
| 優勝を飾ったゼロックススーパーカップには出られなかったが、3月7日のJリーグ開幕戦の対浦和レッズ戦において、2-0でリードしている後半41分から途中交代で出場、168日ぶりの復帰を果たした。 |
| この試合を含め公式戦3試合連続途中出場出場後の3月18日、ACL第2戦の対上海申花戦において公式戦での179日ぶり先発出場と182日ぶりのフル出場を果たし、勝利に貢献した。 |
| 4月22日ACL・シンガポール・アームド・フォーシズ戦で268日ぶりの公式戦ゴールを決め、5月2日対ジェフ千葉戦でリーグ戦279日ぶりのゴール(鹿島アントラーズ歴代最長となる11シーズン連続得点)をPKで決めた。 |
| 8月8日JOMOCUPにてJリーグ選抜メンバーに選出され、試合前に選手間投票によりキャプテンとして出場した。 |
| チームはJリーグ史上初の3連覇を果たし、自身は2005年以来のフル稼働となった。 |
| 12月、JリーグアウォーズにてJリーグ最優秀選手賞を受賞した。 |
| 2010年、キリンチャレンジカップ、2月2日対ベネズエラ戦にて1321日ぶりの日本代表復帰を果たした。 |
| 2月8日、全国のサッカー担当記者の投票により決められる2009年度の日本年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)を初受賞した。 |
| 2010FIFAワールドカップでは日本代表の予備登録メンバーに選出された。 |
プレースタイル
| Jリーグ屈指のゲームメーカーである。 |
| 90分のゲームの中の変化、行くときと押さえるとき、こらえるときの判断に優れる。 |
| 最大の武器は、パス、シュートにおける多彩なキックである。 |
| 直接FKの精度も高く、現時点のJ1リーグ戦での通算12得点は歴代5位。 |
| また、大柄な選手ではないが、体幹の強さを生かして周囲の激しいプレスをはねのけるボールキープ力、ボール奪取能力に優れている。 |
| 勝利への意志が非常に強い週刊サッカーマガジン別冊2009年新春号34頁。 |
| 2000年のJ1第1ステージ最終節でハーフライン付近から小笠原が放ったシュートはクロスバーに当たりゴールとはならなかったが、当時の監督だったトニーニョ・セレーゾが「入っていれば銅像でも立ててやりたかった」とコメントしたことから、サポーターの間で「銅像シュート」と呼ばれ有名になった。 |
| 翌年の2001年12月16日には、天皇杯での対サガン鳥栖戦でほぼ同じ距離からのロングシュートを決めた。 |
| また2006年2月18日、キリンチャレンジカップ・対フィンランド戦では陣内から放った滞空時間4秒におよぶ約58mの超ロングシュートを決め、2011年7月31日のセレッソ大阪戦では、約45mのロングシュートを決めている。 |
| デビューから2001年の若手の頃は、元ブラジル代表でゲームメーカーのビスマルクがいるため、本来似たタイプである自分にはなかなかパスがまわってこず、ビスマルクのパスを受けるため、またあまりディフェンスに戻らないビスマルクのためにディフェンスに戻るなど走り回り、汗かき役としてチームを活性化させていた。 |
| 2002〜2006年ごろは、ビスマルクの影響を強く受けたと語っているように、トップ下でスルーパスを中心に味方選手にボールを供給するゲームメーカーであったが、イタリアから帰国後の2007シーズン頃からは、鹿島の前線の豊富なタレントをよりいかすためにボランチでの出場が大半になった。 |
| 上述の前線へのスルーパス・サイドに展開する戦術眼に加え、試合の流れを読んでゲームそのものに緩急をつけてコントロールする能力を発揮し出したのはこの頃からである。 |
| またボランチに下がったことにより得点が減ったが、チームを鼓舞するために試合の要所で激しいプレスでボールを奪うというプレーが目立つようになり、攻守において統率力をみせるようになった。 |
| このようなプレーは、イタリアで過ごしたことによる守備意識の変化と、98年に共にプレーしたジョルジーニョから大きく影響を受けている。 |
| また、そのボール奪取能力の高さから「人間掃除機」と呼ばれるスポーツ報知2010年2月2日8時00分。 |
| 柳沢敦が移籍した2008年からチームの主将に就任し、名実共にチームリーダーと言える存在になった。 |
評価
| 内田篤人は「メンバーに“神様”みたいな人もいますからね」 |
| 2004年、遠藤保仁に「常に裏を狙っているし、守備もうまいし、実は一番すごいと思う選手」と賞賛されている。 |
| 同じく99年ワールドユースで共にプレーした高田保則は、小笠原のことを「疑いようのない天才」と証言している。 |
| 名波浩にも、中田英寿や今野泰幸らと並んで「守備センスがすばらしい」とコラムで絶賛された。 |
| また「時間の使い方をよく知っている選手」週刊サッカーマガジン1246号14頁、「遠くを狙えている、遠くが見えている」、「ただゲームコントロール出来るだけでなく、今はこうするべきだと時間をコントロールする選手である」、「今の日本代表に一番必要な選手」やべっちFC2009年9月27日、2010年2月7日放送分と評価されている。 |
| 2008年、鈴木強化部長には、「試合を90分という中で把握でき、さらにコントロールできる唯一無二の選手」、「ラインに逃げずにボールをとれるのは今野と小笠原くらい」スポーツニッポン2008年3月17日9時27分と評されている。 |
| 2008年のFUJIXEROXSUPERCUPで主審を務めた家本政明は、小笠原は判定に激しく反発する鹿島の選手らを制止し、家本から判定についての説明を受けた後は、チームメートやスタッフを落ち着かせていたとして「心から敬意を表する」と著書で述べている家本政明・岡田康宏『主審告白』東邦出版、2010年、21頁。 |
人物
| 勝利した試合後のインタビューでは、あまり口数は多くないがチームの全員で掴んだ勝利であることを強調し、仲間の力を讃えるコメントを必ずする。 |
| 2001年ら2005年までJリーグベストイレブンを連続受賞し井原正巳と記録が並び、2006シーズンでの記録更新が期待されたが、セリエA移籍のため途絶えた。 |
| 2008年9月20日、対柏レイソル戦で左膝半月板損傷および前十字靱帯損傷、全治10ヶ月という怪我を負った。 |
| 2009年3月の開幕戦で復帰したが、全治10ヶ月という診断結果にもかかわらず、怪我から5ヶ月あまりでの復帰であった週刊サッカーマガジン別冊新春号2009年。 |
| 2009年地元岩手県のジュニアクラブチームレノヴェンスオガサFCの総合アドバイザーに就任 |
| オフシーズンなどには地元に戻り直接選手達を指導している |
| 2011年2月イタリアのスポーツブランドKappaと2年間の契約を締結 |
経歴
| 1998年4月15日-プロ初出場(Jリーグ)-ガンバ大阪戦(カシマサッカースタジアム)。 |
| 1998年12月13日-プロ初得点(天皇杯-筑波大学戦(笠松)。 |
| 2002年3月21日-A代表初出場(キリンチャレンジカップ2002)-ウクライナ代表戦(長居スタジアム)。 |
| 2004年2月7日-A代表初得点(キリンチャレンジカップ2004)-マレーシア代表戦(カシマサッカースタジアム)。 |
個人
| Jリーグベストイレブン:6回(2001年-2005年、2009年)。 |
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1979年
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小笠原 満男(おがさわら みつお)は、鹿島ア... |
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1995年
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斎藤重信監督率いる岩手県立大船渡高等学校に... |
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山口県大島郡周防大島町出身で、鹿島アントラーズ所属のサッカー選手である。ポジションはDF(センターバック)。日本代表選手。 |
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本山雅志
福岡県北九州市若松区出身で鹿島アントラーズ所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダーだが、フォワードもこなす。元日本代表選手。 |
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青木剛
群馬県高崎市出身で鹿島アントラーズ所属のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)であるが、アテネ五輪代表ではリベロもこなしていた。... |
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小野伸二
静岡県沼津市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。Jリーグの清水エスパルス所属。元日本代表。 |
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柳沢敦
富山県射水郡小杉町(現射水市)出身のサッカー選手である。ポジションはフォワード。元日本代表。 |
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大黒将志
大阪府豊中市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。元日本代表。 |
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遠藤保仁
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楢崎正剛
日本のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。名古屋グランパスエイト所属。元日本代表でFIFAワールドカップには4大会連続で出場していた。 |
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今野泰幸
宮城県仙台市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC東京所属。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)、ディフェンダー。 |
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野沢拓也
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稲本潤一
鹿児島県姶良郡湧水町生まれ、大阪府堺市育ちのプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(DH、CH)。Jリーグ・川崎フロンターレ所属。元日本代表。 |
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久保竜彦
福岡県朝倉郡筑前町出身のサッカー選手。日本フットボールリーグのツエーゲン金沢所属。ポジションはFW(センターフォワード)。筑陽学園高等学校卒業。 |
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曽ヶ端準(そがはたひとし、1979年8月2日-)は茨城県鹿嶋市出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。鹿島アントラーズ所属。日本代表選手。 |
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新井場徹
大阪府枚方市出身のサッカー選手・サッカークラブ代表者。ポジションはサイドバック。J1、鹿島アントラーズ所属。元日本代表候補。 |
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大阪府富田林市出身の元日本代表のサッカー選手。Jリーグのヴィッセル神戸所属。ポジションはディフェンダー(センターバック)。 |
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小笠原満男さんについてのひとこと紹介
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