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| 高校時代に中堅手以外のポジション全てを守っていたことから、「コンビニルーキー」と称される。 |
| 球団も広瀬哲朗の後釜として期待していた。 |
| ルーキーイヤーながら開幕一軍入りを果たし、内野手登録だったものの23試合で捕手としてスタメンマスクを被る。 |
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| それまでの内野手登録から捕手登録にコンバートされる。 |
| 主に代打での出場だったが、打率.302と好成績を残す。 |
| 同年5月22日にキャッチャーフライを取ろうとして左手人差し指を骨折し、登録抹消されたが、傷が完治する前の7月7日に一軍登録されると、その日の試合で代打本塁打を放つ。 |
| このことがきっかけで「ガッツ」の愛称が定着した(後述)。 |
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| 西浦克拓とのポジション争いの結果、一塁手の座を勝ち取る。 |
| 「バントをしない2番打者」として開幕からレギュラーに定着しブレイク。 |
| リーグトップの打数、本塁打20本越えを果たした。 |
| 松坂大輔のプロ初登板初先発の試合では8回に松坂のプロ初失点初被弾となる2点本塁打を浴びせた。 |
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| 最多安打のタイトルを獲得。 |
| また、リーグ3位の24盗塁を記録し、トリプルスリーにあと6盗塁と迫るが惜しくも逃す。 |
| なお、この年が唯一二桁盗塁を記録したシーズンになった。 |
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| 2年連続で最多安打を記録。 |
| この年放った195安打はシーズン安打数両リーグで歴代2位(当時)であった。 |
| そしてイチロー以来、史上2人目となる複数年での180安打以上も記録した。 |
| チームが最下位に沈んだ中、49本塁打を記録したアレックス・カブレラ、3割30本100打点を記録した松中、首位打者の福浦和也を抑え激戦と言われたベストナイン一塁手部門を受賞した。 |
| 加えて歴代3位タイとなるシーズン猛打賞23回を記録する。 |
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| 阪神へFA移籍した片岡篤史が抜けた打線の柱として3番に定着。 |
| 打率.340を残して自身初の首位打者を獲得。 |
| しかし、前年まで3年連続で記録したフル出場が故障のため途絶え、この年からやや故障に苦しむようになった。 |
| また、この頃から打撃フォームが極力無駄を省いた形(構えるときにバットを揺らさない、膝を深く折りたたむなど)に変わっている。 |
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| チーム事情と自身の意向から三塁手に転向。 |
| 阪神から移籍してきた坪井智哉やオリックスの谷佳知と終盤まで首位打者争いを繰り広げた。 |
| 坪井・谷らを退けて打率.360という高打率で2年連続で首位打者を獲得すると同時に最高出塁率(パ・リーグ歴代3位)のタイトルも獲得。 |
| また、2000年から4年連続で3割・30本塁打を達成。 |
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| アテネオリンピック野球日本代表に招集された影響や、骨折による戦線離脱で本塁打・打点は規定打席到達年で過去最低を記録。 |
| それでも、打率は.345で5年連続3割を記録した。 |
| 7月24日に社会人野球出身のプロ選手では史上最速で通算1000本安打を達成。 |
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| 自己最多の37本塁打を記録するも、前半戦、特に交流戦での大不振が響き6年ぶりに打率3割を下回った。 |
| 三振も自己最多の114三振を記録する苦しいシーズンとなった。 |
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| 3月3日から20日、第1回WBCに出場。 |
| 第1ラウンドで日本代表チーム初本塁打を放ち、決勝のキューバ戦では押し出し四球や犠牲フライで3打点を挙げ、日本の優勝に貢献した。 |
| レギュラーシーズンでは主に一塁を守り、32本塁打・100打点で本塁打・打点の二冠王ならびに自身初のパ・リーグMVPにも輝き、ファイターズ44年ぶりの日本一に貢献した。 |
| この年の5月15日にFA権を取得し、2006年シーズン終了後、FA権を行使して読売ジャイアンツへ移籍。 |