| 二人兄弟の長男として生まれる「〈現代の肖像〉小谷野敦●比較文学者」『AERA』2003年8月11日号。 |
| 小谷野は『俺も女を泣かせてみたい』p.60(筑摩書房、2004年)で自らを「ワーキング・クラス出身」と位置づけ、「比較的貧しい家の生まれ育ちで、保守の論客になる人というのがいる。 |
| 福田恆存であり、西部邁であり、渡部昇一であり、谷沢永一である。 |
| どうも私は、根っこのところでこういう人達に共感しているところがあるようだ」(同書p.58)と述べている。 |
| 母は煙草屋の看板娘であった |
| 小学校2年生のとき交通事故で入院。 |
| 同じころ父親が転職したためもあり、小学校3年生のとき埼玉県越谷市に転居。 |
| 転校先の越谷市立出羽小学校でいじめを受ける。 |
| 同校4年生の時、国語の教科書に載っていたシェイクスピアの『リア王』の児童向けリライト版冒頭部分に影響され、学級新聞に小説『新・リア王』を連載したことがある小谷野『バカのための読書術』p.149(ちくま新書、2001年)。 |
| 12歳のとき、NHKの人形劇『新八犬伝』に夢中になったことから日本の古典や時代物小説を読むようになる。 |
| 越谷市立富士中学校在学中は落語研究会所属で漫画家志望だったが、絵を描く能力に関してイラストレーターの叔父から疑念を表明され漫画の道を断念、高校時代に大江健三郎や太宰治を読むようになると小説家志望へ転じる小谷野『評論家入門』p.142(平凡社新書、2004年)。 |
| 高校受験では埼玉県立浦和高等学校を受験したが失敗し、海城高等学校に進学。 |
| 同校ではなかなか友人ができず、いじめっ子集団の標的にされ、成績は平均よりも下を低迷していた小谷野『中学校のシャルパンティエ』p.158(青土社、2003年)。 |
| このいじめは、2年生になって成績が向上するまで続いた。 |
| 陰惨な環境の男子校だったため「男性的なもの」を激しく嫌悪し、女性的なものに憧れて『キャンディ・キャンディ』に熱中した小谷野『軟弱者の言い分』pp.197-199(晶文社、2001年)。 |
| 幼い頃からクラシック音楽に惹かれ、その延長線上でバレエ音楽『コッペリア』『くるみ割り人形』の原作者E・T・A・ホフマンに関心を寄せ、そのため「大学ではドイツ文学科へ進もうと思っていた」小谷野『中学校のシャルパンティエ』p.13(青土社、2003年)こともあるという。 |
| 大学受験では一年間の浪人生活を経て東京大学文科III類に進学。 |
| 1984年、3年次から英文科に進学。 |
| 大江と同じように23歳で芥川賞を取って大学卒業後ただちに作家生活に入ることを考えたが、大学時代は児童文学のサークルで出している手書きオフセット印刷の同人誌に小説2篇と戯曲1篇を載せたがサークルの内部で酷評され、自信を失って挫折小谷野敦『私小説のすすめ』p.202(平凡社新書、2009年)。 |
| しかし大学の卒論を書くことが面白かったことから学者をしながら評論めいたことを書こうと考え、大学院に進学、1990年6月、東大大学院での修士論文『英雄の生涯─馬琴、シェイクスピア、19世紀アメリカ小説における近代の運命』が芳賀徹の推薦で福武書店から『八犬伝綺想』として出版される。 |
| 1990年8月からカナダのブリティッシュ・コロンビア大学アジア学科の博士課程に留学し、週に一度だけティーチングアシスタントとして日本語の授業を受け持ちつつ、鶴田欣也、モストウ、ブレイマーの指導の下で日本文学や比較文学を研究する(このカナダ留学が、思いを寄せる女性を追いかけてのものであったことが、小説「悲望」で明らかにされている)。 |
| 留学中は『日本文学』『批評空間』に論文を発表。 |
| 博士論文のテーマには谷崎潤一郎を選ぼうと考えていたが、ブリティッシュ・コロンビア大学では鶴田と対立する教員から嫌われてティーチングアシスタントから外された後、英語力の不足などが理由で博士号取得資格試験に失敗小谷野『なぜ悪人を殺してはいけないのか』p.257(新曜社、2006年)。 |
| 鶴田からは「評論家的な資質が自分に似ている」と評され、芳賀らとは後に学問的な対立をしたこともあり、のちに「お前の恩師は誰か、一人挙げろと言われたら、鶴田欣也をあげる」小谷野『リアリズムの擁護』p.197(新曜社、2008年)と言っている。 |
| 1992年に日本へ帰国。 |
| 1993年4月から帝京女子短期大学にて英語の非常勤講師を務める。 |
| 1994年4月、大学院の先輩でロシア語教官であるヨコタ村上孝之助教授の世話により |
| 1997年には東大で博士号を取得。 |
| 同年、大阪大学では助教授に進んだ。 |
| 1998年12月12日、大阪大学吹田キャンパスのコンベンションセンター・MOホールで開催された「ジェンダー・フリー社会をめざす若者セミナー'98」主催のシンポジウム「「ダンジョサベツ」なんてカンケーない?──ジェンダー論の言葉はどうしたら社会に伝わるか──」にパネリストの一人として出席。 |
| この席上、小谷野は「私は以前、レズビアンからレズビアンだと告白されてそのあと三日間吐き気が続いた」と発言したところ、同じパネリストの伊藤悟からホモフォビア肯定と受け止められ、猛烈な非難を受けた。 |
| ただし、伊藤からの非難について小谷野は誤解であるとし、反論と弁明のメールをメーリングリストに投稿している |
| 1999年3月に大阪大学を辞職して東京に移住。 |
| この辞職について小谷野本人は、酒乱の同僚から恫喝や暴言を受け続け、神経症になったためとしている小谷野『評論家入門』p.154(平凡社新書、2004年)。 |
| また、辞職の直前、1999年1月にちくま新書から『もてない男──恋愛論を超えて』を刊行し、新書としては異例ながら10万部を超えるベストセラーになった。 |
| 同書が反響を呼んだ原因について、小谷野は「誰も言っていなくて、だけど、みんなが思っていたことを言ったからでしょう。 |
| そんなのはコロンブスの卵みたいなもんで」と分析している『噂の眞相』1999年7月号p.84。 |
| 小谷野はまた、「これまでのところ、私はある種の強運を持っていると思っている。 |
| たまたま阪大を辞めたのと同時に本がベストセラーになったため、今日まで食うに困るわけでもなく生き長らえているのは、一つの強運だろう。 |
| (中略)だが、庇護者運は悪いらしい」小谷野『リアリズムの擁護』p.223(新曜社、2008年)とも発言している。 |
| 1999年10月、5歳上の言語学者で大阪大学助教授の由本陽子と「結婚」し小谷野は大学院時代から「猪口邦子先生のような才色兼備の同業の女性と結婚して、二人で名をあげ、仲良く二人で学会に現れたりして嫉妬まじりの視線を浴びたい、と本気で考えていた」と述べている。 |
| 学術研究者を妻にしたいという思いは大阪大学に赴任してからも続き、ある晩、喫茶店で孤独な夕食をとった帰りに古書店で猪口夫妻の共著『世界を読む──Bookreview1990』(筑摩書房、1990年)を発見した折には、あまりの妬ましさに古本屋の一隅に立ち尽くしたことがあるという。 |
| 『俺も女を泣かせてみたい』p.29(筑摩書房、2004年)を参照。 |
| 、週刊誌から「裏切り」と報道された『週刊文春』2000年3月23日号。 |
| しかし、2003年秋ごろにはやはりもう一度結婚したい、あるいは恋人が欲しいという思いが強くなった上小谷野「出会い系サイト放浪記」『新潮45』2008年9月号、2004年春、それまで交際していた大学院生の女性の一人に手ひどい振られ方をしたことがきっかけで結婚情報サービスに入ろうとしたり、出会い系サイトで女性遍歴を重ねたり『帰ってきたもてない男』(ちくま新書、2005年)によると、最初の頃は大量のサクラに翻弄されるばかりだったが、小谷野の「出会い系サイト放浪記」によると、やがて東京藝術大学出身の28歳の音楽講師や公立大学出身の34歳の法律事務所事務員と複数回の肉体関係を持ったという(『新潮45』2008年9月号)。 |
| 、『帰ってきたもてない男――女性嫌悪を超えて』の後書き(pp.208-209)で「結婚相手に求める七か条」同書によると、この七か条の内容は次の通りである。 |
| 三、専門でなくともよいが、文学や演劇に関心があること、ただし古典的なもので、『源氏物語』くらい一般教養として原文ないし現代語訳で読んでいること、シェイクスピアも翻訳でいいから五、六点は読んでいること、谷崎や川端が好きというのが望ましく、村上春樹、江國香織などは不可。 |
| 演劇は、歌舞伎、能楽、ギリシャ劇、チェーホフなど。 |
| }}早稲田大学については「森喜朗が総理になって以来、早稲田はバカ、という意識が私にはどうしてもあ」る、と発言したこともある( |
| また東京藝術大学については卒業者女性と実際に交際して肉体関係を持ったが、「あまり知的な感じではな」いとの感想を持ち、「セックスの相性が良くても、知的レベルの違いはどうしようもなく」、別れに至っている(小谷野「出会い系サイト放浪記」pp.155-156、『新潮45』2008年9月号)。 |
| だから、片想いの相手も、つきあった女性も、結婚した相手も、みな研究者だった」とも発言している(小谷野「出会い系サイト放浪記」p.150、『新潮45』2008年9月号)。 |
| を書いたりするなどの試行錯誤を経て、2007年、ブログで知合った21歳年下の東京大学大学院修士課程在学中(当時)の女性と入籍した『週刊新潮』2007年7月5日号。 |
| 音楽ではクラシック、オペラなどが好きであり、大学院では歌舞伎とオペラの比較研究を志していたこともある。 |
| その一方、「ロックなどという若者向けの音楽を論じて、受けを狙う学者は気にいらない」「ミステリのような通俗小説を、学者で愛好する人がいるのが理解できない」「筒井康隆のようなSF的設定の小説は面白いが、SF小説自体は、SF漫画やSF映画に乗り越えられている」などと語っている。 |
| 2008年8月、東京大学駒場キャンパスにおける歩行喫煙の是非を巡って東京大学教授下井守と争った |