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プロフィール
- 小野妹子とは
- 出自
- 経歴
- 墓
- よくある誤解
- 関連項目
小野妹子(おののいもこ、生没年不詳)は飛鳥時代の政治家。姓は臣。子に毛人・広人がいた。冠位は大徳冠。『日本書紀』によると大唐に派遣され、大禮(冠位十二階の位)蘇因高と呼ばれた。日本の通説では『隋書』が記録する「」の文言で知られる国書を携えた使者は小野妹子とされる。
出自
| 近江国滋賀郡小野村(大津市)の豪族で、春日氏の一族小野氏の出身。 |
| 系譜は明らかでないが、春日仲君(または仲若子)の子とする系図がある鈴木真年『諸系譜』第八冊,人見氏(宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会,1986年による)。 |
| 一般に流布されている小野氏の系図「小野氏系図」(『群書類従』巻第63所収、『続群書類従』巻第166所収)、『尊卑分脈』などでは、妹子を敏達天皇の皇子である春日皇子の子とするが、『日本書紀』雄略紀において「春日小野臣大樹」との人物が登場し、妹子はこの大樹の後裔と考えられることから、敏達天皇裔とするのは仮冒である太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年。 |
| 春日仲君の娘老女子が敏達天皇の妃となり春日皇子を産んだことから、小野氏を春日皇子の系統に繋いだものと想定される。 |
経歴
| 『日本書紀』巻第22{{Citeweb。 |
| 『隋書』「卷八十一列傳第四十六東夷俀國」には、大業三年(607年)、隋の皇帝煬帝(ようだい)が激怒したことで有名な「」との文言がある『日本書紀』は随を大唐国と記し、国書の内容を記録していない。 |
| 『隋書』には国書を持参した者の名前の記載はなく、ただ使者とあるのみである。 |
| 小野妹子は「華道の祖」とされることがある京都市の紫雲山頂法寺(本堂の名から通称「六角堂」)の本尊如意輪観音に、頂法寺の本坊にあたる池坊(聖徳太子が沐浴した池(泉)にちなんだ名)の僧侶は花を供えていた。 |
| 池坊の始祖は小野妹子と伝えられることから、小野妹子は華道の祖とされることがある。 |
墓
| 小野妹子墓は大阪府南河内郡太子町の科長神社(しながじんじゃ)南側の小高い丘の上にある。 |
| 小野妹子公園(滋賀県大津市小野)そばの唐臼山古墳(からうすやまこふん) |
| 唐臼山古墳南方の古墳は妹子の父『尊卑分脉』、『諸家系図』は小野妹子の父を敏達天皇の息子、春日皇子としている。 |
| 『新撰姓氏録』は小野朝臣を皇別とする。 |
| の墓である可能性が指摘されており、大津市教育委員会による事前調査が行われたものの破壊され現存しない。 |
よくある誤解
| 名は「妹子」とあるが男性である。 |
| 古代の日本の人名の最後に「〜子(あるいは古)」と付ける表現は男女問わずに用いられ、男性名についても珍しいものではなかったが、明治以降になり日本では「〜子」は女性名の最後に付ける文字の定番となった。 |
| このため、現代では一見すると小野妹子を女性の名前のように感じてしまうが、先述のとおり男である。 |
| また、「妹」という字が使われているのも誤解を助長する原因と言える。 |
| ただし、男性名に“妹”の字を使ったのかは、今も誰も明確な答をだしてはいない。 |
| そもそも「妹」とは、かつては「いも」と読み、男性からみた同腹の女性の他、恋人や妻などの親しい女性全般を指す言葉であった。 |
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