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プロフィール
山下元利(やましたがんり、1921年2月22日-1994年3月14日)は、日本の政治家、元衆議院議員、防衛庁長官。滋賀県出身。
略歴・人物
| 京都一中を中退、弟妹を養いながら苦学の末、1936年10月に史上最年少の15歳で専検に合格、1938年に旧制第一高等学校に入学した。 |
| 当時、新聞紙上に採り上げられるなど話題となる。 |
| 1941年東京帝国大学法学部政治学科に入学、1943年3月、高等文官試験に合格し、同年に東大を卒業、大蔵省に入省する。 |
| 入省同期に、高木文雄、橋口収、谷川寛三など。 |
| 入省後、主税局国税第一課に配属された。 |
| この時の課長は池田勇人であった。 |
| しかし、入省わずか5日目の1943年に、海軍経理学校に短期現役海軍主計科第十期候補生として入校。 |
| 1944年2月に同校を卒業し、3月1日第三南遣艦隊の主計中尉としてフィリピンに赴任。 |
| 1945年6月、満州大連海軍武官として陸上勤務に着く。 |
| 終戦により、ソ連軍の捕虜となり、1947年3月まで大連の捕虜収容所で過ごし、4月に大蔵省に復帰、証券課事務官に任命される。 |
| 以降、神戸税務署長を経て、国税庁直税部に配属。 |
| 1955年、第二次鳩山一郎内閣が成立により、鳩山首相秘書官に抜擢される。 |
| 1956年12月の鳩山内閣総辞職に伴い、大蔵省に復帰。 |
| 1962年、大蔵省主税局税制第一課長になり、翌昭和38年度の所得税法改正案作成の責任者となるが、国会に改正案提出後に税率表の数値に誤りがあり、この処理を巡る当時の田中角栄大蔵大臣の決断と処置に惚れ込む。 |
| 1965年、広島国税局長となり、{{要出典範囲|この頃、田中により堤清二を紹介される。 |
| 堤は、父・康次郎の推定1兆円は下らないと噂されていた遺産相続に苦慮していたが、山下の腐心により、相続税をわずか4億円に押さえ込む。 |
| この功労から、堤家の絶大なる信頼を勝ち得、佐藤一郎大蔵事務次官(のち衆議院議員)の仲介により、堤康次郎の後継者として地盤を継承|date=2010年2月}}。 |
| 1966年2月に大蔵省を退官。 |
| 1967年1月の第31回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。 |
| 以後、10期27年に亘って衆議院議員を務める。 |
| 佐藤栄作派から田中派に所属。 |
| 田中は、苦学力行の末、一高、東大、大蔵省に入った山下に目をかけていたようであり、1972年、当選2回にして内閣官房副長官に抜擢された。 |
| 1978年12月の第一次大平正芳内閣の防衛庁長官として入閣。 |
| 1979年7月には、防衛庁長官としては初の韓国訪問を果たし防衛協議を行った。 |
| 一時は田中も、山下を竹下に対抗するリーダーに育てようと、秘書の早坂茂三に命じてわざわざ個人事務所も作らせたが、人が訪れないと知ると手を引いた。 |
| 後に早坂は、山下を未完の大器と評した。 |
| 苦学で帝大に入学した山下に田中は憧れ、山下君のようになりたかった とよく言っていた。 |
| 1987年、田中派が分裂すると、田中に反旗を翻した竹下登ら経世会と袂を分かち、二階堂進、江崎真澄らと行動を共にする。 |
| 後に1人になっても最後まで派閥に残り、「最後の田中派」と呼ばれた。 |
| 1989年、宇野宗佑後継の総裁選候補者選びでは、亀井静香ら竹下派主導の派閥政治に批判的な議員に推され、本人も意欲を示したが、二階堂の反対で総裁選立候補を断念した。 |
| 田中が亡くなった3ヶ月後の1994年3月14日、後を追うように死去。 |
| 自らの最年少専検合格を伝える地元紙記事の切抜きを手帳にはさんで常時持ち歩いていたが、決して人に見せることはなく、最期の日まで大切にしていたという。 |
| 銀行員だった息子・山下英利が、2000年に参議院議員補欠選挙で当選し、翌年の改選でも当選した。 |
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1938年
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旧制第一高等学校に入学した |
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1955年
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第二次鳩山一郎内閣が成立により、鳩山首相秘... |
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