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プロフィール
- 山下大輔とは
- 経歴
- プロ時代
- 引退後
- 略歴
- 人物
- 家庭環境
- 表彰
- 記録
- 関連項目
- 関連サイト
山下大輔(やましただいすけ、1952年3月5日-)は、元プロ野球選手(内野手)・監督。愛称は「大ちゃん」。現在はMLBロサンゼルス・ドジャース傘下ルーキーリーグ、アリゾナリーグ・ドジャースのチームコーチを務めている。
経歴
| 静岡県清水市(現在の静岡市)出身。 |
| 清水東高校から、一般入試で慶應義塾大学商学部に進学。 |
| 東京六大学野球でプレーし、秋からのリーグ3連覇に3番・遊撃手で貢献、「慶應のプリンス」と呼ばれた。 |
| 4年時には主将を務める。 |
| リーグ通算88試合に出場し314打数102安打、11本塁打、50打点、打率.325、首位打者1回(春季)、ベストナイン4回。 |
プロ時代
| 1973年のドラフトを前に「巨人が第一志望。 |
| 在京球団でも構わない」と態度を表明していた山下は、その言葉通り1番クジで1位指名した大洋ホエールズに入団した。 |
| 入団当初は打撃が売り物だったが、当時大洋に所属していたクリート・ボイヤーの教えを受けて守備の名手に成長した。 |
| 打球に対する反応が早く、1球ごとに球種や打者の特性を考慮して守備位置を変えるといった工夫を凝らした。 |
| 並の遊撃手には難しい打球も正面に回り込んで難なく捕球してみせた。 |
| 「ファインプレーを普通のプレーに見せる」と評されたゆえんである。 |
| 特徴的な一塁への送球は山下を山下たらしめている伝説の技といえる。 |
| 打球に近づき、グラブの中でボールをふわりとさばいてサイドハンドから山なりの球を一塁に送る。 |
| ボールは計ったように打者走者が一塁に駆け込む寸前に一塁手のミットに収まった。 |
| 打球の速さ、捕球位置、打者走者の足の速さなどを瞬時にとらえなければできない技であり、山下の守備技術の高さを物語っている。 |
| 全盛期には遊撃手の連続無失策リーグ新記録を打ち立て、後に自ら更新した。 |
| 当時のダイヤモンドグラブ賞の遊撃手部門は山下の指定席であった。 |
| 遊撃手としての連続守備機会無失策記録(322,1977年-1978年)は、山下の後の大洋の遊撃手として活躍した高橋雅裕に更新(353,1988年-1989年)され、後にはヤクルトの池山隆寛と宮本慎也、中日の井端弘和が更新を重ねた。 |
引退後
| 引退はシーズン開幕の前日に突然発表された。 |
| 横浜大洋はその年、背番号1を欠いたままシーズンを送ることになった。 |
| 1989年から1992年までTBSで野球解説者を務めた。 |
| その間、横浜大洋では1989年から谷繁元信捕手が背番号1を引き継いでいた。 |
| 山下が守備走塁コーチとして横浜大洋に復帰した1993年、監督に就任した近藤昭仁は「背番号1は捕手のイメージに合わない」として谷繁を8番に変更、内野手の進藤達哉(1992年まで36番)に1番を与えた。 |
| 山下の前に大洋で1番を背負っていたのは当の近藤であった。 |
| 現役引退後はコーチ業で実績を残し、横浜ベイスターズが優勝したにはヘッドコーチを務めた。 |
| のシーズン終了後、権藤博監督とともに退任。 |
| その後はテレビの野球解説者に復帰した。 |
| NHKのメジャーリーグ中継時は、7回裏に球場に流れる『私を野球に連れてって』に合わせて歌っていた。 |
| 古巣横浜の監督として迎えた2年目、は4月に単独首位に立つなど健闘したものの、徐々に調子を落として最終戦で最下位が決定した。 |
| 同年オフ、山下は任期満了で退任した。 |
| 在任2年間が連続最下位と振るわなかったが、権藤博監督時代末期から森祇晶監督時代にかけて生じた球団内の不協和音を克服し、若手育成といった成果も一方では残した。 |
| 監督退任後は、に創設された新球団東北楽天ゴールデンイーグルスに一軍ヘッドコーチとして迎えられた。 |
| 優勝を含む3年連続Aクラスの横浜ヘッドコーチ時代の実績が評価されての招請だった(監督は田尾安志)。 |
| 就任早々の5月にはチームの成績不振のため、二軍監督に配置転換される(なお、この年の楽天の最終勝率は2003年に山下自身が率いた横浜ベイスターズを下回る.281であった)。 |
| 翌末で退任した。 |
| 2009年からメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャース傘下ルーキーリーグチームの守備コーチに就任した |
略歴
| 1974年前年秋のドラフト1位指名(江川卓を回避)で大洋に入団。 |
| 当初の背番号は20。 |
| 中部謙吉オーナーは山下の入団を大変喜び、秋山登ヘッドコーチの提案もあってユニホームの色を出身地の静岡の名産にちなんだオレンジ(みかん)と緑(お茶)に変えた(これは親会社が食品会社なので食品にちなんだユニホームにしてイメージアップを図る意味もあった)。 |
| なお、この配色は湘南電車の色としても広く知られている。 |
| 1975年背番号を1に変更。 |
| 遊撃のレギュラーに定着。 |
| 1976年ダイヤモンドグラブ賞を初受賞。 |
| 以後1983年まで8シーズン連続で受賞(遊撃手としての受賞回数は現在も最多記録)。 |
| 1977年~急速に頭髪が後退。 |
| 1982年頃には現在のような後頭部にわずかに毛が残るだけの状態になってしまった。 |
| カツラメーカーからCM出演を打診されたが断る。 |
| 代わりに出演したのが衣笠祥雄である。 |
| 1980年代にアニメ映画化された『プロ野球を10倍楽しく見る方法』では、山下はあごひも付きの帽子・ヘルメット姿で描かれていた。 |
| 1985年二塁へコンバート。 |
| 1988年キャンプ終了後、シーズン開始直前に突如現役引退。 |
| 体力の限界、特に動体視力の低下が理由だった。 |
| 引退後はTBS解説者・日刊スポーツ評論家を務めたほか、雑誌「Number」(文藝春秋)にコラムを連載。 |
| 1993年近藤昭仁監督に招聘され、横浜ベイスターズの初代内野守備コーチに就任。 |
| 1996年ファーム(現・湘南シーレックス)ヘッドコーチ就任。 |
| 1998年権藤博監督就任に伴い、ヘッドコーチとして一軍に復帰。 |
| チームのリーグ優勝および日本一に貢献。 |
| 2000年権藤監督とともに退団。 |
| 2001年NHK解説者となり、おもにMLB中継を担当。 |
| 日刊スポーツ評論家も兼務。 |
| 2003年横浜ベイスターズの監督に就任。 |
| チームの打線に「大ちゃんス打線」というニックネームが付く(名付け親はセルジオ越後)。 |
| 2004年シーズン最終戦まで広島東洋カープと5位を争ったが、結局2年連続最下位に終わり監督を退任。 |
| 2005年東北楽天ゴールデンイーグルスのヘッドコーチに就任も、開幕からわずか1か月強で2軍監督へ配置転換。 |
| フェニックスリーグでは、楽天球団初の優勝を飾る。 |
| 2007年シーズン終了と共に退団。 |
| 2008年再び日刊スポーツ評論家に就任。 |
| TBSニュースバード、tvkでも野球解説を務めた。 |
| 2009年アメリカ大リーグのロサンゼルス・ドジャース傘下のルーキーリーグチームの守備コーチに就任。 |
| コーチ契約は3シーズン連続で継続中 |
人物
| 現在では煌々と光る自らの頭部をもアピールポイントにするユーモアも持ち合わせており、以下のような発言がある。 |
| 楽天ヘッドコーチ就任時「チームを(自分の頭で)明るくしたい」「私は(スキン)ヘッドコーチ」「昔はノーエラーの山下。 |
| 楽天編成本部長時代の2007年に頭を剃り上げたケビン・ウィットが入団会見を行った際、「彼とはセイムヘッド(同じ頭)ですが息子ではありません」↔。 |
| 主に横浜監督時に自ら盛り上げ役を率先し、チーム内の不協和音を克服している。 |
| 横浜が日本一になった権藤博監督時代には「深夜に呼び出しても山下は必ず来てくれて、よく愚痴を聴いてくれた」と言っている(永谷脩の著作より)。 |
| また駒田徳広が権藤に造反した際は駒田をフォローし、後日のインタビューで駒田に感謝されるなど人格者であった。 |
| ただし屋鋪要によると、現役時代の1983年の試合中、高木豊が「オレらが点をとってもピッチャーがこう打たれちゃあなぁ」とぼやいていたところ、山下が「みんな一生懸命やっているんだから、そういうことを言うな!」と高木を叱責したことがあったB・BMOOK626スポーツシリーズNO.499『ホエールズ&ベイスターズ60年の軌跡』P32-33ベースボール・マガジン社2009年8月ISBN4583616171。 |
| 英語が堪能で、日本ハムとのオープン戦でトレイ・ヒルマン監督に英語で挨拶すると、ヒルマン監督に日本語で挨拶された。 |
| 2010年には日本経済新聞にマイナーリーグでの日常をレポートする「米国コーチ修行奮闘記」を月に1度程度のペースで連載した。 |
| この中ではマイナーリーグの環境と比較すれば日本プロ野球の2軍はまだ恵まれていると指摘し、「薄給でも野球をやりたい」という情熱のある若者を日本のプロ野球界はくみ上げ切れていないのではないかと述べている。 |
家庭環境
| 静岡に本社を置く病院・社会福祉施設向けリネンサプライ、介護用具レンタル・販売会社「ヤマシタコーポレーション」の創業家一族(兄が現社長)であり、山下自身も主要株主の一人である。 |
| だが、それが高級外車であったために、寮にいた関係者はあぜんとしたという。 |
| 「ヤマシタコーポレーション」の社長であった父親は、山下が早く野球界から足を洗って後継者である兄を助けて会社を盛り立ててくれることを2002年に亡くなるまで望んでいた。 |
| だが、父の死から半年後に古巣・横浜からの監督就任要請があると、山下はこれを引き受けてしまい、父親との約束を果たすことができなかった。 |
| 横浜監督時代に親しい記者からそうした面で損をしているのでは?と問われた時に「生まれだけは自分ではどうしようもない」と嘆息したという。 |
| 2007年に東北楽天ゴールデンイーグルスが静岡の草薙球場でオープン戦を行った際にはヤマシタコーポレーションがメインスポンサーを務めている。 |
| 1981年に渋谷にある自宅(斜め向かいは五月みどり邸)の庭を拡張するため1坪40万円で土地を買ったが、4年後に1坪800万円に高騰した。 |
表彰
| ベストナイン:1回(1981年)。 |
| ダイヤモンドグラブ賞:8回(1976年-1983年)。 |
| 月間MVP:1回(1981年6月)。 |
記録
| オールスターゲーム出場:4回(1974年、1975年、1978年、1981年)。 |
| 遊撃手最高守備率.988(1976、当時セ・リーグ最高)。 |
関連項目
| 大ちゃん(アスキーアート)-匿名掲示板2ちゃんねるにおける山下大輔AA(アスキーアート)。 |
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1952年
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山下 大輔(やました だいすけ)は、元プロ野... |
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1981年
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渋谷にある自宅(斜め向かいは五月みどり邸)... |
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投票数
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つながりの強いひと
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清水東
日本の脚本家、日本放送作家協会と日本脚本家連盟の会員である。東京生まれ。父親も放送作家・津瀬宏であるという。 |
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石井琢朗
広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手)。栃木県佐野市出身。日本プロ野球での遊撃手最多試合出場記録保持者(2010年現在)。 |
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松原誠
埼玉県飯能市出身の元プロ野球選手(内野手)。 |
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平松政次
岡山県高梁市出身のプロ野球選手(投手)、野球解説者。「カミソリシュート」の異名を取る、凄まじい切れ味を誇るシュートを武器に、大洋ホエールズで18年間... |
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田尾安志
大阪府大阪市西区出身の元プロ野球選手(外野手)・監督・野球解説者。香川県三豊市生まれ。東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督である。 |
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田代富雄
神奈川県小田原市出身の元プロ野球選手(内野手)、監督、野球指導者、野球解説者。 |
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野村克也
京都府出身の元プロ野球選手(捕手)・監督・野球解説者、野球評論家。所属事務所はエフエンタープライズ。血液型はB型。愛称は「ノムさん」。 |
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古木克明
三重県松阪市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。現在は総合格闘家。 |
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進藤達哉
富山県高岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。 |
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駒田徳広
元プロ野球選手(内野手)。奈良県出身。現在はプロ野球解説者、タレント。 |
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近藤和彦
京都府京都市出身の元プロ野球選手(外野手)。天秤打法と呼ばれる独特の構えで打席に立つことで知られる。 |
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星野仙一
岡山県倉敷市出身のプロ野球選手、プロ野球監督。現役時代のポジションは投手。 |
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高木豊
山口県山口市出身の元プロ野球選手(内野手)。 |
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柴田勲
神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)、野球解説者。高校時代は甲子園の優勝投手でもある。別名「銀座の盗塁王」(フジテレビ系『プロ野球ニ... |
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掛布雅之
千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在はスポーツ報知・毎日放送の野球解説者。新潟県三条市生まれ、大阪府豊中市在住。4代目ミスタータイガース。 |
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高木守道
プロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。愛知県名古屋市生まれ、岐阜県岐阜市出身。現役時代は中日ドラゴンズで活躍し、引退後はコーチ・監督を歴任した。... |
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森祇晶
大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(捕手)・指導者・監督、野球解説者。旧名「森昌彦」(もりまさひこ)。現在はハワイ在住。読売ジャイ... |
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佐々木主浩
宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は野球解説者・野球評論家。名前の表記は「かずひろ」ではなく、「かづひろ」。抑え投手として一時代を築き... |
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石井卓
石井卓 (いしいたく)- ボーカル・ギター バンド名の名付け親。 choro (ちょろ)- ギター 2006年7月加入。 サトウヒロユキ - ベース バンドリーダー ... |
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高木由一
神奈川県出身の元プロ野球選手(外野手)、監督、野球指導者。までは登録名を高木好一、までは高木嘉一としていた(読みはいずれも同じ)。現役時代の愛称は... |
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山下大輔さんについてのひとこと紹介
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