| 4月には東海大学体育学部武道学科に進学した。 |
| そしてオリンピックの2次予選会に出場するも、上村と遠藤にそれぞれ優勢負けを喫した。 |
| さらに全日本選手権にも出場するが、3回戦で前年に続いて上村に小内刈で有効を取られて敗れた。 |
| 5月には体重別に出場するが遠藤に優勢負けした。 |
| 6月には学生優勝大会で全勝するもチームは2位に終わった。 |
| 10月には全日本学生無差別で史上初の1年生チャンピオンに輝いた。 |
| 11月には選抜団体に出場して6戦5勝1分けするが、チームは2位に終わった。 |
| さらに全日本新人体重別選手権大会で2連覇を果たすと、12月にスペインのマドリードで開催された世界ジュニアではオール一本勝ちで優勝を果たした。 |
| 大学2年になると、全日本の東京予選に出場して優勝を果たすと、全日本選手権でも順調に勝ち上がり。 |
| 準決勝で高木を小外刈の有効で下すと、決勝では遠藤相手に一進一退の攻防を繰り広げ、判定2-1ながらも19歳にして史上最年少優勝を果たした。 |
| 6月には学生優勝大会で5戦全勝して東海大学の初優勝に大きく貢献した。 |
| 7月には体重別で初優勝を果たして世界選手権95kg超級代表に選ばれた。 |
| しかし、9月にスペインのバルセロナで開催される予定だった世界選手権は台湾の入国問題を巡る政治的騒動の結果中止となった。 |
| 10月には国体成年の部で5戦5勝して神奈川県の優勝に大きく貢献した。 |
| さらに全日本学生に出場するも、決勝で中央大学の吉岡に1-2の判定負けを喫した。 |
| この1戦は公式戦において山下が喫した16回目の敗戦であるが、これ以降敗れることは一度もなかった。 |
| その直後に日ソ親善試合に出場して1試合のみながら勝利した。 |
| ここから公式戦203連勝がスタートすることとなった。 |
| 11月には日仏ソ三国対抗大会に出場してモントリオール・オリンピック重量級金メダリストであるソ連のセルゲイ・ノビコフと2度対戦するが、2度とも引き分けに終わった。 |
| 翌年2月にはグルジアのトビリシで開催されたソ連国際に出場して、95kg超級では予選でノビコフを注意で破ると、準決勝ではローザンヌ世界選手権2位のソ連のラマズ・ニチラーゼを合技で下し、決勝では予選に続いて対戦することとなったノビコフを判定で破り優勝を果たすと、無差別ではオール一本勝ちでの優勝を成し遂げて、2階級制覇を達成した。 |
| 大学3年になると、全日本選手権では3回戦の上村戦こそ2-1の微妙な内容での勝利だったが、その後は順調に勝ち上がり、決勝では高木を大外刈(ないしは足車)で破り2連覇を達成した。 |
| 6月には学生優勝大会で6戦オール一本勝ちを成し遂げて東海大学の2連覇に大きく貢献した。 |
| 7月には体重別決勝で上村から内股で効果を取って2連覇を達成した。 |
| 9月には日本武道館訪欧武道団によるヨーロッパ遠征メンバーの一員として各地で試合を行い、ウィーン世界選手権軽重量級で優勝したフランスのジャン=リュック・ルージェと引き分けた以外の10戦は全て勝利した。 |
| 10月には全日本学生95kg超級で優勝すると、無差別でも2年ぶり2度目の優勝を果たした。 |
| さらに国体成年の部では5戦5勝して神奈川県の2連覇に大いに貢献した。 |
| 11月にはブラジルのリオデジャネイロで開催された世界学生の無差別に出場してオール一本勝ちでの優勝を果たすが、団体戦では全勝したもののチームは3位に止まった。 |
| さらに選抜団体にも出場するが、ルートヴィヒスハーフェン世界選手権重量級で3位だった新日本製鐵の岩田久和との1戦を引き分けたのみで終わり、東海大学も3位に止まった。 |
| その直後の嘉納杯の95kg超級では準決勝でルージェを横四方固で破ると、決勝でも上村から大内刈で一本を取ってオール一本勝ちで優勝を果たした。 |
| 続く無差別では初戦でソ連のアレクセイ・チューリンに先に効果を取られるが、終了30秒ほど前に大内刈で有効を取り返して辛勝した(これ以降ロサンゼルスオリンピック準決勝で、フランスのローラン・デル・コロンボに大外刈で効果を取られるまでの6年近くに渡って、技によるポイントは一度も取られたことがなかった)。 |
| その後は順調に勝ち上がり、準決勝では岩田を横四方固で破ると、決勝ではルージェを大外刈の有効で下して2階級制覇を達成した。 |
| 翌年1月にはフランス国際に出場して決勝でチューリンを横四方固で破ったのをはじめ、6試合オール一本勝ちで優勝を果たした。 |
| 大学4年になると、全日本選手権では初戦から一本の山を築き、準決勝で筑波大学大学院の松井を横四方固、決勝では遠藤を合技で破るなどして、全日本選手権では戦後初となるオール一本勝ちでの3連覇を果たした。 |
| 6月には学生優勝大会で5戦オール一本勝ちを成し遂げて東海大学の3連覇に大きく貢献した。 |
| 9月には体重別の決勝で遠藤を合技で破り、世界選手権95kg超級代表に選ばれた。 |
| 10月には全日本学生95kg超級で2連覇を達成すると、無差別でも決勝で国士舘大学1年生の斉藤仁にやや苦戦したものの最後は崩上四方固で破り、2年連続3度目の優勝を果たした。 |
| 続いてアメリカ国際柔道大会に出場して、95kg超級、無差別ともにオール一本勝ちで優勝した。 |
| 12月にはフランスのパリで開催された世界選手権に出場して、準決勝でチューリンを崩上四方固で破ると、決勝では地元フランスのルージェから一本勝ちこそならなかったものの、大外刈で技ありと有効、さらには注意ポイントまで取って快勝して、世界選手権で初優勝を果たした。 |
| 翌年1月には選抜団体で3戦全勝して東海大学の初優勝に貢献した。 |
| 2月には東海大学の韓国遠征メンバーの一員として訪韓して、現地での試合では全勝した。 |