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プロフィール
- 山中貞則とは
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山中貞則(やまなかさだのり、7月9日-2月20日)は、日本の政治家、元衆議院議員(17期)。鹿児島県囎唹郡末吉村深川(現曽於市)出身。ニックネームは「ヤマサダ」「ヤマテイ」。 浜田幸一や一部の官僚からは「テイソク」と呼ばれていた(有職読み)。沖縄開発庁長官(初代)、防衛庁長官(31代)、自由民主党政務調査会長(23代)、通商産業大臣(43代)などを歴任した。称号は沖縄県名誉県民、竹富町名誉町民。
略歴
| 旧制都城中学(現・宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)、台湾・台北第2師範を卒業後、台湾国民学校で教職を務める。 |
| その後出征し、1946年に復員。 |
| 師範学校時代の教師に屋良朝苗(後の琉球政府行政主席・沖縄県知事)がいた。 |
| 郷里に戻り南日本新聞記者、鹿児島県議を経て1953年の第26回衆議院議員総選挙に鹿児島県第3区(中選挙区)から自由党公認で出馬して初当選を果たす。 |
| 、保守合同で自由民主党結党に参加。 |
| 河野一郎の河野派に入会。 |
| 、岸信介内閣で大蔵政務次官に就任。 |
| 当時の森永貞一郎大蔵事務次官らがこの人事を覆そうと試みたが失敗に終わった。 |
| 感激した山中は財政や税制に関する勉強に励み、当時品目ごとに利害が複雑に絡み合って税率の設定は困難であるといわれた物品税の大改正を成し遂げた。 |
| このことが後に官僚以上に税に精通した政策通との異名に繋がる。 |
| 、自民党副幹事長に就任。 |
| 、衆議院大蔵委員会委員長に就任。 |
| 、第三次佐藤栄作内閣で総理府総務長官として初入閣し沖縄返還に尽力した。 |
| 、初代環境庁長官を兼任(内閣改造までの4日間のみ)、翌年には沖縄返還にあたって初代の沖縄開発庁長官に就任した。 |
| 、第2次田中角栄内閣で防衛庁長官を1年半に亘って務め、たて続けに入閣した。 |
| 、党の政務調査会長に就任するが、就任後1ヶ月で田中内閣が倒れ、無役になってしまう。 |
| この処遇で中曽根康弘と不仲となり、中曽根派を脱会。 |
| 1978年に復帰するまで無派閥を通す。 |
| この間に山中派結成を画策したこともあるが実現しなかった。 |
| 、自民党税制調査会長を務める。 |
| 以来、税制のドンとして重きをなし、「税の神様」・「ミスター税調」などと呼ばれた。 |
| 四十日抗争など一連の派閥抗争では、強硬な反大平派として鳴らした。 |
| 、第1次中曽根内閣誕生により主要閣僚である通商産業大臣として入閣するが、糖尿病のため任期途中で辞任した。 |
| 、税調の最高幹部として消費税導入を積極的に推し進めたことなどが祟って、第39回衆議院議員総選挙では最下位当選の有川清次(日本社会党)に28票差の落選。 |
| この時「山中当確」と報じたテレビ局があり当確報道の先走りが問題になった。 |
| 、第40回衆議院議員総選挙で当選し、国政復帰。 |
| 、山崎拓の後見人として山崎派の結成に参加するが、翌年に山中の意向に反して山崎が自民党総裁選挙に出馬したため、同派を離脱して中曽根の在籍する江藤・亀井派に出戻る形になった。 |
| 、第43回衆議院議員総選挙でも当選し、最年長、最多当選の国会議員となるが、当選から3ヵ月後の2004年2月20日に肺炎のため死去した。 |
| 山中の死により、55年体制成立以前に初当選した、現職の国会議員は姿を消した。 |
| 親台派議員として、日華議員懇談会会長も務めた。 |
| 沖縄名誉県民第一号でもある。 |
趣味・特技
| 刀剣鑑賞(財団法人日本美術刀剣保存協会会長)。 |
| 和歌(雅号は隼人) 歌集に『慟哭』、『南回帰線』。 |
| 鹿児島県の現代歌人の列伝である「現代短歌・かごしま」(春苑堂出版)にも収録されている。 |
| また戦地での総攻撃を前に詠んだ「いささかの愛惜を断ち焚き捨つる万葉代匠記の炎よ赤し」は、「昭和万葉集」(講談社)に収録された。 |
| 読書(1962年8月の衆議院大蔵委員会の席上「私は推理小説の鬼と言われるほど乱読する方であります」と発言し、松本清張の長編『黄色い風土』を一読することを当時の警察庁刑事局長に薦めている)。 |
エピソード
| 豪快な人柄、特に税制面での政策通ぶり、国士とも評された政治姿勢などから、「山中伝説」と呼ばれる数々のエピソードを残した。 |
| 県議会議員の選挙では馬に跨って街宣していた。 |
| 国会初登院時の服装は、アロハシャツだった。 |
| 一年生議員の頃は名を上げるため積極的に先輩議員を殴り、時には本会議場入口で待伏せしていた。 |
| 一年生議員の頃、当時の吉田茂首相に会釈したが無視された時に、「こら待て吉田、なんだその態度は」とあわや乱闘になろうかという騒ぎを起こした。 |
| 大蔵政務次官就任後の初登庁では、紋付羽織袴で乗込み職員たちの度肝を抜いた。 |
| 防衛庁長官時代、74式戦車の名前を「山中式戦車」にしてくれと装備局に頼むも却下された。 |
| 中曽根康弘よりも年下であり、かつ中曽根よりも当選回数も少ない後輩であったにもかかわらず、中曽根のことを死ぬまで「中曽根君」と呼んでいた。 |
| 晩年には、「中曽根元首相を君付けで呼ぶ唯一の人物」であった。 |
| 中曽根内閣当時、税制改革に関して首相をバカ、マヌケ呼ばわりして問題になった。 |
| 佐野眞一のルポルタージュ集 『畸人巡礼怪人礼讃 新忘れられた日本人2』(毎日新聞社、2010年7月)に沖縄と山中の関係を取り上げた文章がある。 |
| 1990年の総選挙では、消費税問題の逆風、同じ選挙区の二階堂進が政治力を大きく低下させていたことによる「自民党で落ちるのは二階堂」というムードの影響で、県連が山中より二階堂にてこ入れしたため、最下位当選の有川清次に28票差で落選。 |
| しかし、「消費税を通す犠牲になった」ということになり、1993年の国政復帰後の発言力は、むしろ増大した。 |
| 1993年の総選挙では党分裂の影響で自民党は振るわなかったが、山中は74歳の高齢ながら返り咲きに成功した。 |
| 税調会長就任以降は、信条として税制に関する限り一切の陳情及び取材を受付けなかった。 |
| そのせいか、山中の影響力が絶大だった時期にも、選挙区の主要産業である葉タバコや焼酎の増税案が通過している。 |
| ただし、肉用牛に関する所得税の時限の免税特例措置は1967年に税調会長就任前の山中の尽力で導入され、山中の税調会長就任後も何度か延長されて事実上の恒久措置となった。 |
| 政府税調と方針が対立して「政府税調を軽視しているのではないか」と聞かれた際に、「軽視ではない。 |
| 無視しておる」と発言した |
| 税制調査会では会長退任後も最高顧問として事実上の最高実力者であった。 |
| 森内閣の頃には、自公保三党と関係閣僚が合意した経済対策が、税制の部分に山中が同意しないというのでストップしたことすらあったという。 |
| 小泉純一郎首相が山中事務所を訪れて税制関係の会談を持った際には集まった報道陣に「税のことは50年しかやっていないのでよくわかりません」と煙に巻いた。 |
| 小泉との個人的な関係は、小泉が鹿児島にゆかりがあること(小泉の父である小泉純也(旧姓鮫島)は鹿児島県加世田市出身)もあって悪くなかったらしい。 |
| 晩年は糖尿病の悪化もあって杖をついて歩いていたが、決して杖をついている姿を撮らせなかった。 |
| 自民党総務を晩年に至るまで務め、総務会の重鎮としてご意見番ぶりを発揮していた。 |
| 遺言で「後継は山中家から出してはいかん」と世襲を否定し、身内からの後継出馬を当然視していた自民党鹿児島県連が大騒ぎになった(山中死去に伴う補選では自民党は森山裕を擁立し当選した)。 |
著書
| 『顧みて悔いなし─私の履歴書』(日経事業出版、2002年)。 |
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1946年
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復員 |
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1962年
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読書(の衆議院大蔵委員会の席上「私は推理小... |
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