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つながりの強いひと
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坂田稔
坂田稔(さかたみのる、1902年-1974年)は写真家。 |
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北園克衛
三重県出身の詩人、写真家。中央大学経済学部卒。本名は橋本健吉。実兄は彫刻家の橋本平八。代表的な詩集に『白のアルバム』『黒い火』などがある。「Kitason... |
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金子隆一
日本の兵庫県神戸市生れのサイエンス・ライターである。ハードSF研究所所員。中央大学商学部に在籍していた時から一般科学雑誌などに執筆しており、現代科学... |
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安西冬衛
安西冬衛(あんざいふゆえ、1898年(明治31年)3月9日-1965年(昭和40年)8月24日)は日本の詩人である。本名は勝(まさる)。奈良県出身。 |
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下郷羊雄
名古屋市で活躍した、日本の前衛画家、写真家である。 |
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植田正治
日本の写真家。植田の前衛的な演出写真は「植田調」として知られ、写真誕生の地であるフランスでも日本語表記そのままに「Ueda-cho」として紹介されている。... |
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アンドレ・ブルトン
フランスの詩人、文学者、シュルレアリスト。ちなみに、誕生日については、ブルトン自身しばしば2月18日とも公言しているが、それは「詩的」な意味でのことで... |
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まど・みちお
日本の詩人である。本名は石田道雄(いしだみちお)。25歳のときに北原白秋に認められ、33歳のときに召集される。詩作りは20代から始め、以来詩を作り続けて... |
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日本の作曲家、音楽の教育者、指導者、啓蒙家。本名は吉治郎。 |
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マン・レイ
アメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして、多数のオブジェを制作したことでも知られる。レイヨグラフ、ソラリゼーシ... |
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高橋渡
日本戦前期の写真家。弁護士でもあった。福岡県生まれ。九州帝国大学法学部卒業。いくつかの写真クラブを経て、1939年に「ソシエテ・イルフ」を結成(「イル... |
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アテネ・フランセ
お取り扱いしていない場合があります。あらかじめご了承ください アマゾン | boople.com | 紀伊國屋BookWeb | ブックサービス | ビーケーワン | セブン... |
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後藤敬
氏名 後藤 敬
よみがな ゴトウ ケイ
職名 教授
所属(本務) 大学院理工学研究科/化学専攻
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生年月
連絡先番号
Fax 3... |
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安井仲治
戦前の日本を代表する写真家の1人。関西で活躍した。安井仲治は1903年大阪に、安井洋紙店の長男として生まれ、裕福な家庭に育った。10代半ば頃から写真を始め... |
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丸田祐三
将棋棋士。九段。日本将棋連盟会長(1969年-1972年)。長野県長野市生まれ、東京都育ち。棋士番号43。平野信助七段門下。 |
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バディ・リッチ
バディ・リッチ(BuddyRich,1917年9月30日-1987年4月2日)はアメリカ合衆国のジャズ・ドラマー。非常に細かく刻んだ音符を速く、正確に、しかも長時間叩き続... |
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平井輝七
日本戦前を代表する前衛的な写真家のひとり。アマチュア写真家として、「浪華写真倶楽部」、「丹平写真倶楽部」、「アヴァンギャルド造影集団」などのグルー... |
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小石清
日本の戦前を代表する写真家。1908年(明治41年)3月26日、大阪生まれ。昭和に入り、浪華写真倶楽部に入会。1931年には、大阪にスタジオを開設し、写真家とし... |
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越後正一
滋賀県出身の実業家、元伊藤忠商事社長・会長。 |
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プロフィール
- 山本悍右とは
- 出生
- シュルレアリスムとの出会い
- シュルレアリストとしての山本悍右
- 晩年
- 人物像
- 山本悍右語録
- 作品の収蔵
- 主要な展覧会
- 系譜
- 参考文献
- 関連サイト
山本悍右(やまもとかんすけ、1914年3月30日-1987年4月2日)は、日本の写真家、詩人。日本におけるシュルレアリスムを代表する草分け的存在である。
出生
| 愛知県名古屋市中区鉄砲町生まれ。 |
| 明治45年(1912年)の愛友写真倶楽部創立会員で代表であった山本五郎(1880年-1941年)の長男。 |
| 実家、山本五郎商店は名古屋広小路で写真機械店と写真館を営んでいた。 |
シュルレアリスムとの出会い
| 昭和初期『詩と詩論』、『cine´』(シネを通してシュルレアリスムを知り、15歳頃より作詩を始める。 |
| 名古屋第二商業学校卒業後上京、アテネ・フランセでフランス語を学んだ。 |
| 治安維持法下の東京で左翼思想に触れ、以後革命にほのかな夢を抱くようになる。 |
| 明治大学を中退、名古屋に戻り、1931年、17歳の時、新興写真グループ「独立写真研究会」の結成に参加、会誌『独立』に作品を発表、早熟な才能を発揮していった。 |
シュルレアリストとしての山本悍右
| 1932年4月、『独立』B・2号に発表された“或る人間の思想の発展靄と寝室”(現・名古屋市美術館蔵)は山本悍右の発表された作品として現存する最も古い作品である。 |
| 1938年、「青憧社」を結成し、会報『CARNETBLEU』を編輯、発行。 |
| 戦時下、国策により出版物が日本名に改称させられて行く中、1942年8月、第5号(終刊)までタイトルにはフランス語を使用、刊行した。 |
| 1936年、名前を悍右とする。 |
| 1938年、『夜の噴水』を編輯、刊行。 |
| シュルレアリスム詩誌、1~4号限定75~100部 総雁皮紙本官憲の圧力により1939年10月、4号で終刊となる。 |
| 1939年には、山中散生、下郷羊雄、坂田稔らとナゴヤ・フォトアバンガルドを結成。 |
| 1939年より、北園克衛の「VOU」会員となり1978年の解散まで『VOU』誌上、「形象展」に作品を発表した。 |
| 戦前から「哲学会」会員であった山本は1940年『フォトタイムス』7月号に当時の国家権力による言論、思想弾圧を描いた作品3点を発表し、それに「・・・・・・牢獄の暗い石壁のなかにも自由があるように」と書き添えている。 |
| 掲載作品“伽藍の鳥籠”タイトルは同年8月刊『広角』に記載の伽藍は権威、鳥籠は牢獄、電話機は言論であることが読み取れる。 |
| 戦後も「VIVI」(1948-1950)、「美術文化協会写真部」(1949-1954)、「窓」(1953-1958)、「炎」(1955-1961)、「日本主観主義写真連盟」(1956)、「ESPACE」(1956-1958)、「アルキシネ」(1958)、「前衛詩人協会」(1958)、「ナゴヤファイブ」(1963-1964)を結成。 |
| 戦前から戦後の半世紀以上におよぶ長い期間を一貫して前衛写真家・詩人として活躍、その写真作品は自由、反戦、反権力を軸としたシュルレアリスム系の華麗な作品が多い。 |
晩年
| 1965年頃より中部学生写真連盟顧問として10年間程後進の指導にあたった。 |
| 1987年名古屋市にて肺がんで死去、生前の意志により名古屋大学医学部に献体され医学の進歩のために提供された。 |
人物像
| “ぼくはたいへん早熟な少年であったが、たばことか酒などに示す大人のスタイルに全く興味がなかった。 |
| ”『ファンシーメイト』1975年5月号日本専売公社刊より。 |
| “「多分にニヒルチックで、執拗で、そして本を愛する男」だと下郷羊雄が評した。 |
| ”山本悍右日記1941年3月17日より。 |
| “僕は立身したり、ひとから認められる人間にはなってやらない。 |
| 彼等のスノビスムには決してまかれないぞ。 |
| 僕は僕の清純なものを決して濁らせまい。 |
| ”山本悍右日記1941年6月19日より。 |
| “僕は政治的にはアナアキイで、思想的にはエレジイなリベルタン、身の寄せるところがないのでボヘミアンたらざるを得ない。 |
| ”山本悍右日記1958年7月2日より。 |
| “疑うことから疑ったモンテーニュは・・・・・とパスカルは書いた。 |
| ぼくの暗い谷間の遠い灯はもしかするとパスカルだったかもしれない。 |
| 「思考する故にこそ人間の尊厳がある。 |
| だから正しく思考されるべきだ」身の回りから思想を身につけていくことは現代の私達のパスカル的転回だとはいえないでしょうか」”朝日新聞1969年12月13日寄稿文より。 |
| 終生、本、レコード、パイプを放すことのなかった愛書家で愛煙家であった。 |
| アンドレ・ブルトンから『BIEF』5号が贈られてきた。 |
| 詩人の北園克衛とは生涯の友であった。 |
山本悍右語録
| “芸術作品と云ふものは、社会に於いてある何らかの出来合いのものに対する何らかの反抗精神に依って生まれる。 |
| その精神は次の新しい時代を指し示し動かせるものであるべきだ。 |
| 純粋精神は新時代を招く予言的精神であるべき答えである。 |
| 現代、この強烈なる意欲を僕たちは期待することが出来るのであろうか。 |
| 時代への反逆を、そして時代意思の変革を。 |
| ”山本悍右日記1941年6月24日より。 |
| “日本の新聞は爆撃が人道的ではないと盛んに書いている。 |
| 戦争は人道的なことだとでも思っているのかしら。 |
| いまさら、これは、はなはだ卑怯な言葉である。 |
| ”山本悍右日記1945年8月9日より。 |
| “超現実は現実の中にあるという言葉とともに、新しい写真はたゆまない実験の中で新しい美しさを作っていく。 |
| ”中日ウィークリー1953年4月29日より。 |
| “抽象的な喋り方をしてまともなものを作っている東松。 |
| ばらばらのものを組み立てるような説明的な話し方をしながら抽象的な作品を作る金。 |
| ばらばらにこわした物体の物質的な言葉を並べて構成を考えない話し方をしながら具象の作品を作るオレ。 |
| どいつも生活とイデアが離ればなれだということなのだろうか。 |
| “生きかたが世間なみで社会制度の恩恵を利用しながら芸術は政治ではないと言っているのはおかしいだろう。 |
| “カネをもうけるという経済成長のリクツはもうけたカネをその次のカネもうけに回すということでカネはつねにもうけるためにあるという。 |
作品の収蔵
| 1989年名古屋市美術館は作品8点を収蔵した。 |
| 2000年東京都写真美術館は作品10点を収蔵した。 |
| 2006年サンタバーバラ美術館(SantaBarbaraU.S.A.)は作品8点を収蔵した。 |
| 2009年ゲティ美術館(ゲティ財団,LosAngelsU.S.A.)は作品20点を収蔵した。 |
主要な展覧会
| 1936年個展/丸善画廊、名古屋。 |
| 1939年青憧社展/丸善画廊、名古屋。 |
| 1948年-1950年VIVI展/丸善画廊、名古屋。 |
| 1949年モダンアート展/日本橋三越、東京。 |
| 1949年-1954年美術文化協会展/東京都美術館他。 |
| 1953年窓展/名古屋、神戸。 |
| 1956年-1961年炎展/小西六ギャラリー(現・コニカミノルタプラザ)、東京大阪名古屋。 |
| 1956年国際主観主義写真展/日本橋高島屋、東京。 |
| 1957年個展/福岡・小西六ギャラリー。 |
| 1957年モダンアート写真グループ展/櫟画廊、銀座。 |
| 1958年日本主観写真展/富士フォトサロン(現・富士フィルムフォトサロン)、東京。 |
| 1960年TheSenseofAbstraction展/ニューヨーク近代美術館、NewYork U.S.A.。 |
| 1968年VERB展/愛知県美術館。 |
| 1978年-1982年全日本写真連盟中部本部委員展/愛知県美術館。 |
| 1986年フォトアヴァンギャルドイタリアと日本展/ザ・コンテンポラリー・アートギャラリー、西武百貨店、東京。 |
| 1986年VOU展/MuseumofArt、ロードアイランドデザイン学校、RhodeIslandU.S.A.。 |
| 1988年TheArtofModernJapanesePhotography展/TwoHoustonCenter、HoustonU.S.A.。 |
| 1988年日本の芸術写真1920-1940展/コニカ・プラザ(現・コニカミノルタプラザ)、東京。 |
| 1988年日本の写真1930年代展/神奈川県立近代美術館。 |
| 1989年名古屋のフォト・アヴァンギャルド展/名古屋市美術館。 |
| 1990年名古屋のモダニズム1920's-1930's展/INAXギャラリー、名古屋。 |
| 1995年日本の近代写真の成立と展開展/東京都写真美術館。 |
| 2001年ModernPhotographyinJapan1915-1940展/AnselAdamsCenter、SanFranciscoU.S.A.。 |
| 2001年写真展シュルレアリスト山本悍右-不可能の伝達者-/東京ステーションギャラリー(東日本鉄道文化財団・東日本旅客鉄道株式会社主催)。 |
| 2003年TheHistoryofJapanesePhotography展/ヒューストン美術館、HoustonU.S.A.他。 |
系譜
| 山本家の先祖は1332年に後醍醐天皇の倒幕隠謀が露顕し隠岐島に流された時、美濃岐礼庄に配流された中納言大江貞奥(?-1334年)で、子孫が山本と称した。 |
| 岐礼庄は現在の岐阜県揖斐川町にあり明治時代の中ごろ祖父の代まで居住していた。 |
| 初代:山本中納言大江貞奥-2代:山本桜待中納言貞元-3代:貞行-4代:貞房-5代:貞常-6代:貞安-7代:貞純-8代:貞時-9代:貞光-10代:貞直=11代:数馬貞正-12代:貞久-13代:重貞-14代:貞宅-15代:貞継-16代:貞昌-17代:治五右衛門貞宅-18代:作兵衛貞重-19代:五左衛貞時-20代:五左衛貞栄-21代:五左衛貞篤-22代:五左衛貞陳=23代:久吉貞路-24代:五郎貞真-25代:悍右。 |
参考文献
| 『写真展シュルレアリスト山本悍右―不可能の伝達者―』/監修:ジョン・ソルト、金子隆一 編集:山本俶生 発行:財団法人東日本鉄道文化財団 2001。 |
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1332年
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後醍醐天皇の倒幕隠謀が露顕し隠岐島に流され... |
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1931年
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17歳の時、新興写真グループ「独立写真研究会... |
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