| 家族はフリーアナウンサーの栗原由佳夫人と2男1女。 |
| 由佳夫人とは、2000年の日本シリーズ(10月28日)の後のビールかけの取材の際に出会った。 |
| 同年の日本シリーズで、20世紀最後の胴上げ投手となっている。 |
| その同じ日の1年後には由佳夫人と結婚した。 |
| 投球開始前には帽子を取り、中に書かれている夫人からのメッセージを見つめ、気持ちを集中させている。 |
| スポーツ雑誌のインタビューで「野球はお仕事。 |
| 単なる就職先であって、メジャー挑戦も海外転勤という感じで捉えている」と語るなど、若干ドライな一面を持つ。 |
| レッドソックス入団を決めたのも、「本当は生活面を考えると日本の球団でやりたかったのだけど、FA宣言をしてもあまりいいオファーをもらえなかった。 |
| そこへレッドソックスからいい条件提示があったので、やってみてもいいかなと思った」というビジネスライクな理由であった。 |
| 後にテレビ出演した由佳夫人も夫のメジャー移籍に関して「(メジャーに)行きたくても行けない人がいる中で、この人が行っちゃってもいいんだろうかと思った」と笑いながら振り返っている。 |
| その後、メジャー3年目の始動の際に、「日本もいいけど、家族のサポート面を考えればメジャーがいい。 |
| ボストンが好きなので残れれば1番」と翌年以降もメジャーでのプレーを希望した。 |
| 巨人時代は「タクシー代がもったいないから」という理由で、一軍定着してもしばらくは合宿所から電車で東京ドームに通っていたという週刊ベースボール誌・石田雄太「閃・球・眼」。 |
| 巨人時代のチームメイトの桑田真澄を、オーストラリア・ケアンズでの自主トレに毎年同行するほど、尊敬している。 |
| もともとは左の先発候補として球団が桑田に指導を託していた投手であった。 |
| ちなみにチームメイトであった小田幸平も自主トレに必ず同行していた。 |
| 短期間で現在の決め球を習得しているように、試行錯誤を繰り返していた2004年にはチェンジアップ(現在の決め球とは投げ方が違う)をアレンジし、「沈むシュート」として使うなど、技術は柔軟な投手。 |
| 自主トレの取材でも、桑田の持ち球を同様に投げ、2人でMLB公式球の曲がりを確かめるような映像が残っている。 |
| 移籍当初、アメリカのメディアは同年にレッドソックスに移籍した松坂大輔の話相手と評し、岡島の評価は低かった。 |
| 日本時代の岡島は、大きく縦に割れるカーブを武器にしていたが、メジャーの滑るボールではカーブがコントロール出来ずに、新たにチェンジアップを習得する「変化球握り大図鑑チェンジアップ岡島秀樹」『週刊ベースボール』2009年6月22日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20444-6/22、14頁。 |
| 2007年7月17日のデイリースポーツを逆取材し、当時阪神タイガースに在籍していたジェフ・ウィリアムスを「自分より凄い」「実は僕、阪神ファンなんで頑張ってほしいですよ」と絶賛した。 |
| 2007年9月から本拠地フェンウェイパークでマウンドに上がる際に曲がかけられるようになり、『OkajimaOki-Doke』(オカジマ・オキドーキー)という地元ファンでバンドのTATAMI(ジェフ山口通訳の友人でもある)が作ったアップテンポのテクノ調リズムの曲http://umpbump.com/press/okajima-okie-dokie/で、本人も「僕も歌っちゃう感じ。 |
| 音楽で皆を元気づけることができれば、いいんじゃないですか」と大喜びであった。 |
| また、対戦相手として聞いた松井秀喜は「笑ってしまう」と発言していた。 |
| 日本人投手で初めてワールドシリーズの登板が実現した。 |
| また、同日に日本人同士の初対戦も実現した対戦相手は、松井稼頭央。 |
| 結果は、空振り三振。 |
| 更に、日本人で初めて日本シリーズとアジアシリーズ、ワールドシリーズ制覇を経験した。 |
| 2007年の活躍で日本プロ野球在籍時より知名度は飛躍的に向上し、2007年年末年始の時期にテレビ出演に消極的な松坂とは対照的にNHK『第58回NHK紅白歌合戦』のゲスト審査員を始めとして多数の番組に出演した。 |
| 2008年、友人とホノルルマラソンに出場。 |
| 25km地点から休憩を挟みながらも6時間8分35秒で完走した。 |
| 「ワールドシリーズに出場できなかったら参加する」と約束しており、シーズンオフから練習を積んでいたという割には遅く、同時に参加した安田美沙子のタイムは4時間24分55秒であった。 |
| インタビューや番組出演において、「本当に(ね)…」とよく言うのが口癖である。 |