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プロフィール
- 岡林信康とは
- 生い立ち
- フォークシンガーとして
- 4年間の農耕生活
- 復帰
- その他
- シングル
- 発禁シングル
- オリジナル・アルバム
- ライヴ・アルバム
- バックバンド
- カバーされた曲
- テレビ出演
- 映画出演
- 書籍
- 関連項目
- 関連サイト
岡林信康(おかばやしのぶやす、1946年7月22日-)は、滋賀県近江八幡市生まれのフォーク歌手。フォークの神様の愛称で知られる。実家は教会(メンタム製造メーカー近江兄弟社の創業者である ウィリアム・メレル・ヴォーリズが創設した)。現在は京都府亀岡市在住。
生い立ち
| 父親は新潟県の出身で30歳まで新潟で農業をしていたサンデー毎日、1982年1月3日、10日号44-47頁週刊文春、2011年9月8日号、94-97頁。 |
| しかし、閉鎖的な村社会が嫌になって故郷を飛び出し滋賀県の紡績工場に就職。 |
| その時期に宣教師に出会い牧師となって大阪の神学校で通った後、近江八幡市の田んぼのど真ん中に西洋建築の教会を立てた。 |
| 当地で信康は生まれる。 |
| 近江兄弟社中学、滋賀県立八日市高等学校を経て、1966年に同志社大学神学部入学。 |
| 熱心なキリスト教信者であったが、実家の教会の不良少女の扱いに疑問を感じ「脱出」、その後社会主義運動に身を投じる中で、高石ともやに出会いギターを始める。 |
フォークシンガーとして
| 1968年、京都で行われた第3回フォークキャンプに参加。 |
| 同年9月、山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコードデビュー。 |
| 翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」「くそくらえ節」「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表。 |
| その内容から、多くの曲が放送禁止となる。 |
| 一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、労音との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより1969年9月、3ヶ月余りのスケジュールを残したまま一時蒸発。 |
| 書き置きは『下痢を治しに行ってきます」。 |
| 1970年4月、コンサートに再登場、「ごめんやす。 |
| お互い堅くならんといきましょう」と話した。 |
| この時期からボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だったはっぴいえんどをバックに展開し始める。 |
| 「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」「自由への長い旅」などの作品を発表、喝采を浴びて東京に移り住み、一夫一婦制ナンセンスを唱えて自由なヒッピー風生活をするが行き詰る。 |
| 1971年の日比谷野外音楽堂での「自作自演コンサート狂い咲き」および、「第3回中津川フォークジャンボリー」を最後に、表舞台から再び姿を消す。 |
4年間の農耕生活
| 人ぎらい、街ぎらいの自閉症を病むが、三重県で農業共同体を営んでいた山岸会を見学し、ヤマギシズムに傾倒。 |
| 自然の環境に身を置こうと岐阜県中津川近くの山村に移り住み、まもなく京都府綾部市の総戸数17戸の過疎村に居を移し農耕生活を始める。 |
| 1973年にソニーへ移籍し、活動を再開。 |
| ロック路線のアルバム『金色のライオン』『誰ぞこの子に愛の手を』などを発表。 |
| ディラン風の暗喩を多用した「あの娘と遠くまで」「26番目の秋」などの曲は、相変わらず「フォークの神様」を期待するファンは多かった。 |
| この時期はレコードこそ発表はしたが、数度のゲスト出演を除き人前に登場しなかった。 |
復帰
| 数年間の農村生活の間、文明との接点は古ぼけたステレオだけ、次第に肩肘から力がとれた。 |
| ふと聞いた西川峰子の「あなたにあげる」を聴いて感激、「おれのものも歌だが、演歌もまた歌だ。 |
| 歌にはいろいろな役目がある」と、ぽつりぽつりと自分だけの演歌を作り始めた。 |
| 「月の夜汽車」などの作品が美空ひばりに採用される。 |
| 4年間にわたる農耕生活を終え山を降り亀岡市に転居。 |
| 1975年には、岡林本人もコロムビアに移籍し、演歌路線のアルバム『うつし絵』をコロムビアより発表。 |
| 久しぶりのワンマンコンサートも行う。 |
| コロムビアでは他に、新録の2枚組ベストアルバム『岡林信康』、私小説的弾き語りの『ラブソングス』などを発表。 |
| 1978年になるとアルバム『セレナーデ』を皮切りに、パロディ色の強い、ニューミュージック路線を展開。 |
| 古巣のビクターに再び移籍し、さらに『街はステキなカーニバル』『ストーム』『グラフィティ』と路線を深めていく。 |
| 「Good-byeMyDarling」「君に捧げるラブ・ソング」「山辺に向いて」などがこの時代の代表曲。 |
| 1980年、テレビドラマ『服部半蔵影の軍団』のエンディング・テーマである「Gの祈り」を発売。 |
| 1980年代中頃より、メジャーレーベルとの契約が切れたことなどもあり、往年のフォークスタイルであるギターとハーモニカによる弾き語りツアー「ベアナックルレビュー」を開始し、全国を巡る。 |
| また、この頃より、封印していた初期の曲の一部を再び歌うようになる。 |
| さらに、同時期、日本民謡的なリズムに乗せた、独自のロック「エンヤトット」を思案。 |
| 平野融らとともに模索を続ける中、韓国の打楽器集団サムルノリと出会い、開眼する。 |
| 1987年、自主制作テープ『エンヤトットでDancing』を発表。 |
| その後、東芝や日本クラウンなどでアルバムを発表。 |
| 全国各地でコンサートを行う。 |
| 「古いファンからはあまり喜ばれなかった」と本人が語る「エンヤトット路線」ではあったが、2007年10月20日に36年ぶりの日比谷野音ライブ「狂い咲き2007」を行うまでに至る。 |
| また、前述の日比谷野音ライブに前後した時期から、10年以上「封印状態」にあったURC時代の音源を含む全アルバムが、紙ジャケットで再発された。 |
| また、岡林を敬愛するサンボマスターとの競演や、いわゆるロックフェスへの参加、ロック時代の曲を数十年ぶりに再演するミニライブの開催、数々のテレビ出演など、より積極的な活動を行っている。 |
| 2009年の九段会館のコンサートで「越後獅子の唄」をカバーした事をきっかけに、翌2010年、EMIから美空ひばりのカバー曲を中心とした『レクイエム〜我が心の美空ひばり〜』を発表。 |
| 5月には久々となる全国ツアーも行う予定。 |
その他
| 本人は気さくな性格で、コンサートで「友よ」の歌い出しを「ホモよー♪」と自ら歌うほどである。 |
| サントリー「京番茶」のCMでは、出勤拒否を娘に諭される交番のおまわりさんを演じた。 |
| 部落差別をテーマにした「手紙」「チューリップのアップリケ」は、放送禁止歌の代表例といわれる実際のところ、放送禁止になっている歌というものは存在しない。 |
| 抗議などを恐れての自主規制・自粛である。 |
| 現在に続くエンヤトット(御歌囃子)の活動は、英国を訪れた際に会ったキング・クリムゾンのリーダー、ロバート・フリップに「欧米の真似ではなく日本独自のロックを見せろ」と言われたことをきっかけにしている。 |
| 2009年、美空ひばり作詞の「むぎばたけの鳥」を作曲した。 |
| 岡林の作品の特徴として、「くそくらえ節」の様に関西弁と東京弁を混ぜた歌詞も有れば、「山谷ブルース」の様に東京弁だけを使用した歌詞も有ったりする。 |
| 「友よ」は、歌詞の内容からJリーグのスタジアムで歌われることがある。 |
| 大抵は、長期間低迷が続いているクラブのサポーターが低迷脱出を願って試合前などに歌うケースであり、例えば2010年、J2ギラヴァンツ北九州の一部サポーターがリーグ戦後半期間、試合開始前などに勝利を願い歌っていた。 |
| J1ではリーグ後半戦に降格圏にあるクラブのサポーターが歌っている。 |
シングル
| #くそくらえ節/がいこつの唄(URS-0003/1969年4月)。 |
| #それで自由になったのかい/手紙(URS-0017/1970年3月)。 |
| #愛する人へ/ラブ・ゼネレーション(URS-0028/1970年5月)。 |
| #だからここに来た/コペルニクス的転回のすすめ(URS-0029/1970年10月)。 |
| #家は出たけれど/君を待っている(URS-0050/1971年2月)。 |
| #自由への長い旅/今日をこえて(URS-0052/1971年6月)。 |
| #手紙/それで自由になったのかい(1970年全日本フォークジャンボリー実況録音)(URS-0053/1971年6月)。 |
| #俺らいちぬけた/申し訳ないが気分がいい(URS-0056/1971年7月)。 |
| #墜ちた鳥のバラード/いくいくお花ちゃん(URS-0065/1971年11月)。 |
| #山谷ブルース/友よ(SV-1028/1968年9月)。 |
| #「山谷ブルース」は元々メジャーデビュー盤となるはずだった発禁シングル「ほんじゃまおじゃまします」のB面に収められていた。 |
| #流れ者/チューリップのアップリケ(SV-1043)。 |
| #私たちの望むものは/性と文化の革命(SV-1080)。 |
| #ゆきどまりのどっちらけ/つばめ(SF-14)。 |
発禁シングル
| #ほんじゃまおじゃまします/山谷ブルース(SV-1019/1968年5月)。 |
| #詳細は「くそくらえ節」のページを参照。 |
オリジナル・アルバム
| #わたしを断罪せよ(URL-1007/1969年8月)。 |
| #見るまえに跳べ(URG-4001/1970年6月)。 |
| #俺らいちぬけた(URG-4008/1971年8月)。 |
| #金色のライオン(1973年)。 |
| #誰ぞこの子に愛の手を(1975年)。 |
ライヴ・アルバム
| 岡林信康リサイタル(現タイトル:あんぐら音楽祭岡林信康リサイタル)(URL-1003/1969年6月)。 |
テレビ出演
| DOサタデー(KTV・CX系)-テーマ曲を担当、最終回ではゲスト出演し、由紀さおりとテーマ曲を歌った。 |
| いのちの響(TBS)。 |
| 逃亡者(フジテレビ、1992年放送)。 |
| キンギョ(NHK)-金魚を取り上げた番組。 |
| 情熱大陸(毎日放送、2009年12月27日放送)。 |
| SONGS(NHK、2010年2月3日放送)。 |
関連項目
| 愛という名のもとに-1992年に放送された、フジテレビのテレビドラマ。 |
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1946年
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岡林 信康(おかばやし のぶやす)は、滋賀県... |
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1966年
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同志社大学神学部入学 |
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投票数
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つながりの強いひと
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高田渡
1960年代から1990年代にかけて活躍したフォークシンガー。父親は、詩人・活動家・元共産党員の高田豊。スティールギタリストの高田漣は息子。 |
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