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つながりの強いひと
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岡田半江
岡田半江(おかたはんこう、天明2年(1781年)-弘化3年2月7日(1846年))は江戸時代後期の文人画家。岡田米山人の子。大坂の出身。幼名を常吉、諱は粛、字を... |
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谷文晁
江戸時代後期の日本の画家。江戸南画の大成者であり、その画業は上方の円山応挙、狩野探幽とともに「徳川時代の三大家」に数えられる。名は正安。はじめ号は... |
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浦上玉堂
江戸時代の文人画家。名は孝弼(たかすけ)。字は君輔(きんすけ)、通称は兵右衛門。35歳の時、「玉堂清韻」の銘のある中国伝来の七弦琴を得て「玉堂琴士」... |
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田能村竹田
江戸時代後期の南画(文人画)家。旅を好み日本各地を遊歴。詩文を得意とし画論『山中人饒舌』などを著した。幼名は磯吉、後に玄乗、生蔵。名は孝憲。字は君... |
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木村蒹葭堂
江戸時代中期の日本の文人、文人画家、本草学者、蔵書家、コレクター。大坂北堀江瓶橋北詰の造り酒屋と仕舞多屋(しもたや、家賃と酒株の貸付)を兼ねる商家... |
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頼山陽
頼山陽(らいさんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日)-天保3年9月23日(1832年10月16日))は江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人である。幼名は... |
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董其昌
中国明代末期に活躍した文人であり、特に書画に優れた業績を残した。清朝の康煕帝が董の書を敬慕したことは有名である。その影響で清朝において正統の書とさ... |
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円山応挙
江戸時代中期の絵師。近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。諸説あるが「足のない幽霊... |
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浦上春琴
江戸時代後期の日本の文人画家。当時、鴨方藩士だった浦上玉堂の長子として備前国(現岡山県)に生まれる。浦上秋琴は実弟。諱は選、字を伯挙・十千、号は春... |
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池大雅
日本の江戸時代の文人画家、書家。本来の苗字は池野(いけの)だが、中国風に池と名乗った。幼名は又次郎(またじろう)など。諱は勤(きん)、無名(ありな... |
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立原杏所
江戸時代中期から後期にかけての武士、南画家。本姓は平氏。家系は常陸平氏大掾氏の一門・鹿島氏の庶流といい、鹿島成幹の子・立原五郎久幹を祖とする立原氏... |
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青木木米
青木木米(あおきもくべい、明和4年(1767年)-天保4年5月15日(1833年7月2日))は江戸時代の絵師、京焼の陶工である。京都生まれ。幼名八十八。字は佐平。... |
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与謝蕪村
江戸時代中期の日本の俳人、画家。本姓は谷口、あるいは谷。「蕪村」は号で、名は信章通称寅。「蕪村」とは中国の詩人陶淵明の詩「帰去来辞」に由来すると考... |
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篠崎小竹
江戸時代後期の日本の儒者・書家である。本姓は加藤氏。幼名は金吾、名は弼(たすく)、字は承弼、小竹は号で別号に畏堂・南豊・聶江・退庵・些翁などがある... |
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鼎春嶽
江戸時代中期の日本の画家・篆刻家である。名は元、字を世宝、浪華の人。 |
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狩野探幽
狩野探幽(かのうたんゆう、慶長7年1月14日(1602年3月7日)-延宝2年10月7日(1674年11月4日))は江戸時代の狩野派を代表する絵師である。狩野孝信の子で狩... |
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菅茶山
江戸時代後期の儒学者・漢詩人。諱は晋帥(ときのり)。字は礼卿。通称は太仲・太中。幼名は喜太郎、百助。備後国安那郡川北村(現広島県福山市神辺町)の出身。 |
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中西石焦
江戸時代中期後期の日本の画家・篆刻家である。名は万(よろず)、字を公世、石焦は号。通称与一右衛門。中万(なかよろず)と修した。 |
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呉春
呉春(ごしゅん、宝暦2年3月15日(1752年4月28日)-文化8年7月17日(1811年9月4日))は江戸時代中期の絵師である。四条派の始祖。本姓は松村(まつむら)、... |
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森銑三
森銑三(もりせんぞう、明治28年(1895年)9月11日-昭和60年(1985年)3月7日)は在野の歴史学者、書誌学者。 |
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プロフィール
岡田米山人(おかだべいさんじん、延享元年(1744年)-文政3年8月9日(1820年9月15日))は江戸時代後期の大坂を代表する文人画家。 岡田半江はその子(養子説有り)である。通称を岡田彦兵衛、あるいは米屋彦兵衛(よねやひこべえ)と称し一説には彦吉とも称したという。名を国、字は士彦(しげん)、画号を米山人、米翁といった。
略伝
| 米山人の前半生の事績については詳しいことは伝わっていない。 |
| その生まれについても大坂説、神戸生田村説、丹波八木説などがある。 |
| まだ両親、兄弟、先祖についても全くわかっていない。 |
| 若い頃に播磨国神東郡剣坂村(兵庫県加西市西剣坂)の庄屋安積喜平治の寵愛を受け、同家に寓居し米をつきながら寸暇を惜しんで書を読み熱心に詩作する。 |
| この評判が聞こえ郡代の前で幾たびか講義をすることもあった。 |
| 妙齢になり大坂に出る意向を示すと喜平治より金銭的な支援を受け米屋を開業できた宇都宮大潔『播磨奇人伝』(森銑三による指摘で近年事実と認められた)。 |
| この米屋は寒山寺裏長池(大阪市北区曽根崎一丁目、曽根崎天神付近)にあったと思われる。 |
| また安積家に仕えた乳母を喜平治の世話により妻に迎えている。 |
| 画号の米山人も稼業の由来であろう。 |
| 大坂に移っても米臼をひきながら読書し余技に書画を嗜なみ、独学で経学を修め中国文人画の精髄を習得した。 |
| その評判は大坂中に聞こえ、ついに藤堂高朗の知るところになった。 |
| 天明2年(1782年)のころ、商人でありながら伊勢国藤堂藩仕え、藤堂藩蔵屋敷内(大阪市北区天満橋2丁目)に移り住んだ。 |
| 七里鎌倉兵衛が蔵屋敷の留守居(藩邸の最高責任者)であったがこの者の下役であったようだ。 |
| 蔵屋敷の居宅の一部を画室として「正帆」と命名し、ここで多くの文人墨客と交わった。 |
| 稼業の米屋は廃業せず以降も継続しのちに息子半江に引き継がれている。 |
| 39歳の時、長子半江が生まれる。 |
| 妻は37歳の高齢であった。 |
| 半江の号に小米を与えたが米芾親子を意識したものと思われる。 |
| なお半江はこの号の発音が小便に近いことからあまり好まなかったようだ。 |
| 65歳前後で下役を致仕。 |
| 半江にこの職を譲り自らは |
| 懸案となっていた |
| 70歳を超えた頃に飲酒と煎茶を嗜むようになったようだ。 |
| 75歳の時、長年連れ添った妻を亡くし大きな衝撃を受ける。 |
| 死を迎えるまでの遺された2年間に書画の創作活動はもっとも旺盛となった。 |
| 学問・画ともに独学であったがそれだけに典籍・書画の蒐集品にこだわり、明清元画・漢詩の典籍・日本の古書画など膨大な量が息子半江に遺されている。 |
交遊
| 米山人は画業が評判になるとともに盛んに文人達との交流を深めた。 |
| 親交の深かった木村蒹葭堂の『蒹葭堂日記』に米山人の名前が数十回も出てくる。 |
| 当時、蒹葭堂を中心に文人のネットワークが存在しており、彼を介して多くの文人と知己になったと思われる。 |
| 米山人の居宅「正帆」には多くの文人が訪問している。 |
| 田能村竹田・頼山陽・浦上玉堂・春琴・篠崎小竹・僧でありながら希代の蒐集家であった如意道人など。 |
| また隠棲先の源八渡しにも中西石焦・十時梅厓・海量上人・森川竹窓・鼎春嶽・藤堂高基・秦宗春など多数の名前が見られ文人のサロンとなっていたようだ。 |
画風
| 若き日の田能村竹田の才能を見ぬき彼を激励している。 |
| 竹田もまた米山人を師と仰ぎ敬愛の気持ちを表している。 |
| 竹田は「その画は拙なるに以て古、疎なるに以て厚、渾朴深潤なり」『竹田荘師友画録』と米山人の作風を評価している。 |
| その意は年を取るごとに円熟し、独特の個性を大胆に表現する度肝を抜くような筆致、色鮮やかな彩色であることを褒めていると受け止められる。 |
| 米山人は明清元代の中国文人画を手本として、その画に写意を求め続けた。 |
| 米芾・黄公望・倪雲林・沈石田・文徴明・董其昌・藍瑛・伊孚九・葉大年などの影響が見られる。 |
| 木村蒹葭堂、十時梅厓とともに大坂文人画の重鎮とされている。 |
| 現在までに米山人の作品は200点程確認されている。 |
主な作品
| 「春景山水図」1804年 東京芸術大学。 |
| 「幽客横琴図」。 |
| 「松下高士図」。 |
| 「桃源春暁図」。 |
| 「松齢鶴算図」。 |
| 「紫霊蒼竜図」1816年 大阪市立美術館。 |
出典
| 神山登「岡田米山人・半江父子の生涯」『古美術53』 三彩社、1977年、52-66頁。 |
| 森銑三「米山人のことども」『森銑三著作集』第4巻 中央公論社、1971年、256-258頁。 |
| (初出は『画説』1938年)。 |
| 細野要斎『感興漫筆』。 |
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1971年
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256-258頁 |
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1977年
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52-66頁 |
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