| 天保4年4月28日(1833年6月15日)一説に同年4月8日(5月26日)、美作国久米郡垪和村大字中垪和字谷大瀬毘(現岡山県久米郡旭町→美咲町)に生まれる。 |
| 天保9年(1838年)5歳、垪和村の宝寿寺住職に学ぶ。 |
| 弘化2年(1845年)12歳、久米北郡の安藤善一(簡斎)に入門。 |
| 嘉永6年(1853年)20歳、昌谷精渓に入門、その紹介で林図書頭に入門。 |
| 安政2年(1855年)22歳、三河挙母藩の中小姓となり、大郎と改名(大郎左衛門とも)。 |
| 年末、脚気悪化のため帰国療養。 |
| 安政3年(1855年)23歳、藤沢東畡に入門。 |
| 安政4年(1856年)24歳、藤森天山に入門。 |
| 安政6年(1859年)26歳、天山に連座して幕府に追われ、上野国伊香保へ避難。 |
| まもなく、江戸に戻り結婚するが流行病で1カ月ほどで妻を亡くす。 |
| 文久元年(1861年)28歳、挙母藩で儒官に昇任するが脱藩、上州を経て江戸に入る。 |
| 銀次と名乗り、深川で生活し妓楼の主人となって吉原にうつり住む。 |
| 文久3年(1863年)30歳、横浜でヘボンの『和英語林集成』編纂を助け始め、知り合ったジョセフ・ヒコに英語について学ぶ。 |
| 年末、深川に居を移す。 |
| 文久4年(1864年)31歳、日本最初の新聞『新聞紙』をジョセフ・ヒコ、本間潜蔵とともに創刊。 |
| 年末、うたと結婚し浅草にうつる。 |
| 慶応元年(1865年)32歳、横浜にうつり、ヘボンの手伝いを本格的に行い始める。 |
| 慶応2年(1866年)33歳、『和英語林集成』の印刷のためにヘボンとともに上海へ渡航。 |
| 美華書館でカナ鉛活字を作る。 |
| 慶応3年(1867年)34歳、『和英語林集成』刊行。 |
| 慶応4年(1868年)35歳、上海に渡航。 |
| 帰国後、『横浜新報・もしほ草』をヴァン・リードと発刊。 |
| 明治2年(1869年)36歳、氷製造販売開始。 |
| 明治3年(1870年)37歳、北海道函館で氷の製造開始。 |
| 明治4年(1871年)38歳、横浜氷室商会設立。 |
| 明治5年(1872年)39歳、「東京日日新聞」創刊に関係する。 |
| 明治6年(1873年)40歳、関西遊覧しつつ東京日日新聞へ記事を送る。 |
| 伊香保での病気療養ののち、「東京日日新聞」に主筆として入社。 |
| 明治7年(1874年)41歳、台湾出兵に従軍して『台湾従軍記』を連載。 |
| 大倉喜八郎にクリスチャンであることを告白。 |
| 明治8年(1875年)42歳、横浜から東京尾張町を経て秋には銀座にうつる。 |
| 明治9年(1876年)43歳、明治天皇の東北北海道巡幸に随行。 |
| 明治10年(1877年)44歳、このころ「楽善堂」の屋号を掲げ始める。 |
| 明治11年(1878年)45歳、明治天皇の北陸東海巡幸に随行。 |
| 明治13年(1880年)47歳、「精錡水」販売のために上海にわたり「楽善堂支店」開設し夏に帰国。 |
| 明治15年(1882年)49歳、上海渡航。 |
| 明治16年(1883年)50歳、上海渡航、翌年まで中国に滞在。 |
| 明治17年(1884年)51歳、年末帰国。 |
| 明治18年(1885年)52歳、上海渡航。 |
| 明治19年(1886年)53歳、上海渡航。 |
| 漢口へ駐在武官として赴任する途中の荒尾精が吟香をたずね、のち漢口楽善堂を開設し大陸での諸調査を援助することになる。 |
| 明治21年(1888年)55歳、上海渡航、漢口旅行を経て翌年帰国。 |
| 明治24年(1891年)58歳、四男劉生誕生。 |
| 明治27年(1894年)61歳、勲六等に叙される。 |
| 明治30年(1897年)64歳、日本薬学会常議員となる。 |
| 明治31年(1898年)65歳、「東亜会」と「同文会」が合併し「東亜同文会」成立。 |
| 明治32年(1899年)66歳、「善隣訳書館」(内外書物の中国語版を出版する)設立。 |
| 明治33年(1900年)67歳、近衛篤麿と国民同盟会を組織。 |
| 明治34年(1901年)68歳、近衛篤麿と東亜同文医学会を組織。 |
| 明治35年(1902年)69歳、東亜同文医学会を発展させ「同仁会」を組織。 |
| 明治38年(1905年)72歳、6月7日死去。 |