| 1976年に父の地盤を継いで衆議院議員に初当選した。 |
| 当初、父・一郎は「政治は世襲ではない。 |
| 政界は苦労が多く、報われない」と政界入りに猛反対し、サラリーマンを続けるよう主張していたため、派閥は父(宏池会所属)と反対の立場の政策科学研究所に所属したという経緯がある。 |
| 麻生太郎元首相とは40年来の友人であり、麻生ほど魅了された人はいないと演説の中でしばしば触れている |
| 文教政策・教育問題を専門としており、歴史認識問題や歴史教科書問題・慰安婦問題等について積極的に発言している。 |
| 先述のとおり、自民党内でも保守の論客として知られる。 |
| 以下は、その主なものである。 |
| 文部大臣在職中の1995年8月、戦後五十年国会決議等の動きを受け、記者会見において「侵略戦争じゃないかというのは考え方の問題。 |
| 侵略のやり合いが戦争。 |
| これをいつまでもほじくってやっていることが果たして賢明なやり方なのか」「戦争を全く知らない世代が国民の大半を占めているのに、相も変わらず昔を蒸し返して、それをいちいち謝罪していくというやり方は、果たしていかがなものかと思いますね」と発言。 |
| 朝日新聞、TBSテレビ、日本社会党、日本共産党、アジアの「慰安婦」及びその支援団体から非難を受けた。 |
| 1997年2月、派閥総会で歴史教科書問題について講演した後の記者団との懇談の席で、「慰安婦は日本が一方的に連行したものではない」「概ね現地の女衒が一役買って、中国の人なり韓国の人なりが女性を集めていた。 |
| 本人の意思で、望んでそういう道を選んだ人達もいる」「戦後の混乱期、日本では本人の意思をまったく無視し、女衒が悪さをして売春婦にした例があった」との認識を示す。 |
| 1998年7月24日の自由民主党総裁選挙では麻生太郎と共に梶山静六を支持し、推薦人となり、選対本部長を務める。 |
| 自民党・音楽文化振興懇談会会長を務めている。 |
| 2004年には音楽レコードの還流防止措置(いわゆるレコード輸入権制度)の導入を推進し、J-WAVEのラジオ番組「JamtheWORLD」に出演して法案の正当性を説いた。 |
| 政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。 |
| 農林水産大臣在任中の2005年8月、衆議院解散(郵政解散)に反対し辞表を提出するが、小泉純一郎首相に受理されず罷免された。 |
| 閣僚罷免は1986年の藤尾正行文部大臣以来19年ぶり4例目。 |
| 後任の農水相は小泉の一時兼務の後、8月11日に副大臣だった岩永峯一が任命された。 |
| そのため郵政造反組復党問題には復党賛成の立場で、復党を決定した安倍晋三首相を擁護した。 |
| 島村は亀井静香ら郵政造反組に同情的で、国民新党のパーティーにも出席している。 |
| 郵政解散の直後、同じように公認を外された小林興起を東京都連で擁護していたのは、島村ただ一人であった。 |
| 一方で、その政治手法を批判しながらも小泉純一郎元首相に対しては「話せばわかる人。 |
| 農水相時代に、ああしろこうしろと横槍は一切入れず自由にやらせてくれた。 |
| むしろ問題なのは刺客擁立を可能にする小選挙区制だ」との認識を示している。 |
| 小泉純一郎・竹中平蔵による聖域なき構造改革に対しては、批判の手を緩めなかった。 |
| 2006年1月-第14回アジア・太平洋議員フォーラム(APPF)総会(インドネシア)に日本国会代表団団長として出席。 |
| 2006年12月-亀井靜香亀井派(志帥会)の後継問題で中々後継体制が決まらなかったが、伊吹文明会長、島村名誉会長という体制で決着し、伊吹派となった。 |
| 2007年1月-第15回アジア・太平洋議員フォーラム(APPF)総会(ロシア)に日本国会代表団団長として出席。 |
| 2007年3月15日-亀井派を継承した伊吹派を退会。 |
| 亀井の離脱以来、対立していた伊吹会長との派内における主導権争いが原因と見られる。 |
| 2007年6月-不信任動議可決により衆議院懲罰委員会委員長を不信任された横光克彦に代わり、委員長臨時代理として議事を進行した。 |
| また、歴史事実委員会のアメリカ合衆国下院121号決議全面撤回を求める意見広告「THEFACTS」に賛同者として名を連ねる。 |
| 2007年7月13日にアメリカ大使館に手渡された日本文化チャンネル桜主導の慰安婦問題に関する米下院決議案の全面撤回を求める要望書に賛同議員として名を連ねた |
| 2007年8月-党衆議院議員総会長に就任。 |
| 元自由民主党東京都連最高顧問。 |
| 都市と農山漁村の共生と対流を進める調査会会長。 |
| 超党派の「皇室の伝統を守る国会議員の会」会長、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」会長を務める。 |
| 2007年の終戦の日に安倍内閣の全閣僚の不参拝が報じられた際には「首相らしくない」と批判した{{citenews。 |
| }}その後、島村の要請を受けた{{Citejournal|和書。 |
| }}高市早苗が閣僚としてただ一人、8月15日に靖国神社に参拝した。 |
| 2007年の終戦の日、8月15日に超党派の国会議員で靖国神社に集団参拝した後、事務所の入居するビルで火事があった。 |
| 、1回目は、火災に気づいた住民が消火器で早期に消火したためにボヤ程度に抑えられたが、段ボールの燃えさしから木箱に火を燃え移らせた形跡があった。 |
| 2007年9月-安倍内閣崩壊後の07年自民党総裁選で麻生太郎の推薦人に名を連ね、麻生支持獲得に奔走。 |
| 選挙後の9月24日、自民党本部前に集まった麻生の支持者一人一人と握手をし、支援の御礼を述べる。 |
| 2007年11月13日-中川昭一・平沼赳夫らとともに、安倍内閣崩壊後停滞していた保守主義再建のための勉強会を準備。 |
| 2007年12月4日-11月に準備会合を持った勉強会の会長に中川昭一が就き、島村は同会議長に就任し、勉強会を立ち上げる。 |
| 同月17日、同勉強会の正式名称は「真・保守政策研究会」に決定した。 |
| 2007年12月12日、「皇室の伝統を守る会」の活動を再開。 |
| 悠仁親王の将来の天皇・即位を見据えた、バックアップ体制の構築を訴えた。 |
| 2008年9月-福田康夫総裁辞任表明を受けての08年自民党総裁選に際し、中川昭一・甘利明・鳩山邦夫らとともに再び麻生太郎の推薦人に名を連ね活動。 |
| 2009年8月-第45回衆議院議員総選挙で落選。 |