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光明天皇
南北朝時代の北朝第2代天皇である。諱を豊仁(ゆたひと)という。 |
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建武
後漢の光武帝劉秀の治世に行われた最初の元号。25年-56年。建武32年(56年)は4月に改元され、建武中元元年となった。この元号は、漢王朝を再興した際に初め... |
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後伏見天皇
鎌倉時代の第93代天皇(在位:永仁6年7月22日(1298年8月30日)-正安3年1月21日(1301年3月2日))。諱は胤仁(たねひと)。 |
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光厳天皇
南北朝時代の北朝初代天皇とされている(在位:元弘元年9月20日(1331年10月22日)-元弘3年/正慶2年5月25日(1333年7月7日))。諱を量仁(かずひと)という。 |
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後光厳天皇
南北朝時代の北朝第4代天皇(在位:正平8年/文和元年8月17日(1352年9月25日)-建徳2年/応安4年3月23日(1371年4月9日))。名を弥仁(いやひと)という。 |
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後醍醐天皇
第96代天皇(在位:文保2年2月26日(1318年3月29日)-延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日))。諱は尊治(たかはる)。 |
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足利尊氏
鎌倉時代後期から南北朝時代の武将。室町幕府の初代征夷大将軍(在職:1338年-1358年)。足利将軍家の祖。 |
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後村上天皇
南北朝時代の第97代、南朝第2代天皇(在位:延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日)-正平23年/応安元年3月11日)。諱は初め義良(のりよし/のりなが)、後... |
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法親王
日本の男子皇族が出家して僧籍に入った後に親王宣下を受けた場合の身位・称号。 |
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直仁親王
直仁親王(3) 【なおひとしんのう】 1件の用語解説(直仁親王(3)で検索) Tweet デジタル版 日本人名大辞典+Plus の解説 直仁親王(3) なおひ... |
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後花園天皇
室町時代の第102代天皇である(在位:正長元年7月28日(1428年9月7日)-寛正5年7月19日(1464年8月21日))。諱を彦仁(ひこひと)という。 |
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足利義満
足利義満(あしかがよしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年-1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。... |
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後小松天皇
室町時代北朝最後の第6代、歴代第100代の天皇(在位:永徳2年/弘和2年4月11日(1382年5月24日)-応永19年8月29日(1412年10月5日))。諱は幹仁(もとひと)。 |
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花園天皇
花園天皇(はなぞのてんのう、永仁5年7月25日(1297年8月14日)-貞和4年/正平3年11月11日(1348年12月2日))は鎌倉時代の第95代天皇(在位:延慶元年11月16... |
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後円融天皇
南北朝時代の北朝第5代天皇(在位:建徳2年/応安4年3月23日(1371年4月9日)-弘和2年/永徳2年4月11日(1382年5月24日))。諱は緒仁(おひと)という。 |
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伏見宮栄仁親王
南北朝時代、室町時代の日本の皇族。読み方は「なかひと」とも。世襲親王家、伏見宮初代当主。伏見殿、有栖川殿などと称する。 |
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南北朝時代
日本の歴史で、皇室が南北2つに分裂した時代である。 |
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長慶天皇
南北朝時代の第98代天皇にして、南朝の第3代天皇(在位:正平23年/応安元年(1368年)3月-弘和3年/永徳3年(1383年)冬)。諱を寛成(ゆたなり)という。南朝... |
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称光天皇
室町時代の第101代天皇である。諱ははじめ躬仁(みひと)、のち實仁(みひと)に改めた。 |
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伏見宮貞成親王
室町時代の皇族。世襲親王家の一つ、伏見宮3代目当主。尊号は後崇光院(ごすこういん)。 |
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プロフィール
- 崇光天皇とは
- 系譜
- 略歴
- 諡号・追号・異名
- 在位中の元号
- 陵墓・霊廟
崇光天皇(すこうてんのう、 建武元年4月22日(1334年5月25日)-応永5年1月13日(1398年1月31日))は、 南北朝時代の北朝第3代天皇(在位:正平3年/貞和4年10月27日(1348年11月18日)-正平6年/観応2年11月7日(1351年11月26日))。諱を益仁(ますひと)といい、後に興仁(おきひと)と名乗った。
系譜
| 母は、陽禄門院(内大臣正親町三条公秀の娘秀子)。 |
| 典侍:庭田(源)資子(按察典侍)-庭田重資女。 |
| 第一皇子:栄仁親王(1351-1416)-伏見宮家。 |
| 第二皇子:興信法親王(1358-1391)。 |
| 女御:安福殿女御。 |
| 第一皇女:瑞宝女王。 |
| 第三皇子:弘助法親王。 |
略歴
| 1348年(貞和4年/正平3年)に立太子。 |
| 同年10月27日に光明天皇から譲位され即位。 |
| 光厳上皇が院政を敷いたが、足利家の内紛から観応の擾乱が起こり、1351年(観応2年/正平6年)には尊氏が南朝に帰順することで正平一統が成立し、11月7日に皇太子直仁親王(花園天皇皇子)とともに廃立される。 |
| 1352年(観応3年/正平7年)2月、南朝が京都へ侵攻して足利義詮を一時的に追い、光厳上皇・光明上皇、直仁親王と共に南朝の本拠である賀名生へ拉致され、幽閉された。 |
| 北朝では天皇が南朝方に連れ去られてしまったため、代わりに光厳院の第三皇子で崇光天皇の弟にあたる弥仁親王を後光厳天皇として即位させた。 |
| 賀名生で2年、河内金剛寺で3年あまりの幽閉生活を送るが、南朝勢力が衰微して講和へ傾くようになると、1357年(延文2年/正平12年)に光厳院、直仁親王と共に帰京する。 |
| 崇光上皇は皇子の栄仁(よしひと)親王(伏見宮初代)の立太子を望み、1370年(応安3年/建徳元年)8月に後光厳天皇が自らの皇子である緒仁親王(後円融天皇)の立太子を幕府に申し出ると皇位継承問題が起こるが、緒仁への皇位継承が決定する。 |
| 1398年(応永5年)1月13日、65歳で崩御。 |
| 没後30年目の1428年(正長元年)、曾孫である彦仁王(後花園天皇)が後小松院の猶子として即位している。 |
在位中の元号
| 貞和(1348年10月27日)-1350年2月27日。 |
| 観応1350年2月27日-(1351年11月7日)。 |
陵墓・霊廟
| 京都市伏見区桃山町秦長老の大光明寺陵(だいこうみょうじのみささぎ)に葬られた。 |
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