8604
8737
107653
%E5%B4%87%E6%BA%90%E9%99%A2
%E5%B4%87%E6%BA%90%E9%99%A2
%E5%B4%87%E6%BA%90%E9%99%A2
%E5%B4%87%E6%BA%90%E9%99%A2%20-%E5%B4%87%E6%BA%90%E9%99%A2%E6%AE%BF%E7%BE%A9%E5%85%89%E5%B0%8A%E4%BA%86
%E5%B4%87%E6%BA%90%E9%99%A2
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 崇源院の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
|
|
|
関連商品
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
徳川秀忠
安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府第2代征夷大将軍。 |
|
|
浅井長政
対立
戦国時代の武将。北近江の戦国大名。浅井家の3代目にして最後の当主。浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏... |
|
|
淀殿
戦国時代(室町時代末期)から江戸時代初頭の女性。豊臣秀吉(羽柴秀吉)の側室。位階は従五位下とされるが、諸説あり。本名は浅井茶々(あざいちゃちゃ)お... |
|
|
春日局
安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号。父は美濃の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明... |
|
|
小督
平安時代末期、高倉天皇の後宮の女性。桜町中納言藤原成範の娘で、藤原通憲(信西)の孫。本名は不明(角田文衞説では成子とされる)。類稀な美貌の箏の名手... |
|
|
千姫
安土桃山時代から江戸時代の女性。豊臣秀頼・本多忠刻の正室。父は徳川秀忠、母は継室の江。号は天樹院。祖母は西郷局、母方の祖父は浅井長政。伯母は淀殿(... |
|
|
常高院
戦国時代から江戸時代前期の女性。若狭小浜藩の藩主京極高次の正室。本名は浅井初(あざいはつ)で、一般に「初」の呼び名で知られる。また、幼名は御鐺(お... |
|
|
徳川家光
江戸幕府の第3代将軍(在職:1623年-1651年)である。2代将軍秀忠の次男(嫡男)で、母は浅井長政の娘で織田信長の姪にもあたる江であった。乳母は春日局(福... |
|
|
豊臣秀勝
父
安土桃山時代の武将。豊臣秀吉(羽柴秀吉)の姉である日秀の子で秀吉の甥にあたり、養子に迎えられた。兄に豊臣秀次、弟に豊臣秀保がいる。幼名は小吉。妻は... |
|
|
佐治一成
戦国時代から江戸時代前期の武将。佐治信方の嫡男。母は織田信長の妹・犬。織田信秀の外孫で、信長の甥にあたる。 |
|
|
お市の方
戦国時代の女性。市姫とも小谷の方(おだにのかた)とも称される。また、『好古類纂』収録の織田家系譜には「秀子」という名が記されている。尾張国出身。近... |
|
|
お江与
江戸時代でしたが、
唯一春日局は戦国時代にかかわりがある人物でした。
春日局の活躍は江戸時代ですが、生まれは戦国で光秀、家康などとかかわりがあり、
光... |
|
|
初姫
安土桃山時代から江戸時代初期の女性。徳川秀忠の四女。小浜藩主京極忠高の正室。号は興安院。母は継室の江。忠高とは又従兄妹の関係に当たる。徳川家光は弟... |
|
|
山田五十鈴
日本の女優。大阪府大阪市中央区(旧大阪市南区千年町)出身。本名:山田美津。ニックネームは「ベルさん」。戦前から戦後にかけて活躍した、昭和期を代表す... |
|
|
浅井三姉妹
戦国時代の武将浅井長政と正室市との間に生まれた3人の娘、茶々、初、江を指す。それぞれ豊臣秀吉・京極高次・徳川秀忠の妻(正室・側室)となった。天下統一... |
|
|
豊臣秀頼
日本の安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。天下人。豊臣秀吉の次男。母は側室の茶々(淀殿)。子は側室和期の方(名は伊茶。渡辺氏)との間に国松... |
|
|
後水尾天皇
後水尾天皇(ごみずのおてんのう、慶長元年6月4日(1596年6月29日)-延宝8年8月19日(1680年9月11日))は第108代天皇(在位:慶長16年3月27日(1611年5月9日... |
|
|
京極高次
戦国時代から江戸時代初期の武将、大名。近江国大津藩主、若狭小浜藩初代藩主。京極氏は北近江の守護で本来は浅井氏の主筋に当たるが、臣下の浅井氏の下克上... |
|
|
京極忠高
江戸時代前期の大名。若狭小浜藩第2代藩主。出雲松江藩主。讃岐丸亀藩京極家2代。初代藩主京極高次の長男。母は側室。正室は江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の四女... |
|
|
珠姫
安土桃山時代から江戸時代初期の女性。前田利常の正室。徳川秀忠と継室江の次女で、徳川家康の内孫。姉に千姫(豊臣秀頼正室、本多忠刻正室)、妹に勝姫(松... |
|
|
プロフィール
- 崇源院とは
- 名前について
- 生い立ちから佐治一成との婚姻
- 羽柴秀勝への再嫁
- 徳川秀忠への再嫁から晩年
- 系譜
- 子女
- 人物
- 崇源院を主人公とする作品
- 崇源院が登場する作品
- 関連サイト
崇源院(す(そ)うげんいん、天正元年(1573年)-寛永3年9月15日(1626年11月3日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。一般には江(ごう)、 小督(おごう)、江与(えよ)として知られる。位階は従一位。 浅井長政の三女で、母は 織田信秀の娘・市( 織田信長の妹)。いわゆる 浅井三姉妹の一人で、長姉の 淀殿(茶々)は 豊臣秀吉側室、次姉・ 常高院(初)は 京極高次正室。猶女に 鷹司孝子 ...
名前について
| 「崇源院」は諡号である。 |
| 幼名(通称)は「督」で、『太閤素性記』では「小督御料人」と記しており、「小(お)」は「御料人」と対になる敬称であることから、読みは「おごう」であると考えられているが、宮中の上級女房名として「こごう」と読める可能性も考えられている福田千鶴『江の生涯』中公新書、2010年。 |
| 近世期の女性は、在所に由来する号や位階を得る際などに諱を用いている。 |
| 江は将軍御台所時代に「江与」と呼ばれている他、江戸城北側の邸宅を表す「北方」、将軍家世嗣正室を意味する「御新造」、将軍正室を意味する「御台所」、大御所正室の「大御台所」と記した資料が見られる。 |
| 近世期女性の諱は、幼名に「子」を付けるケースが多い。 |
| 江も諱として「江子」(読みは「ごうし」もしくは「えこ」「きみこ」か)を用いているほか、没後に従一位を追贈された際には「達子」(さとこ/みちこ)が用いられている。 |
生い立ちから佐治一成との婚姻
| 浅井長政の三女として近江国小谷(現・滋賀県長浜市)に生まれる。 |
| 母は尾張国の織田信秀の娘・市。 |
| 生年については享年54(『以貴小伝』)、天正12年(1584年)に12歳であったとする説(『幕府祚胤伝』)から逆算した天正元年(1573年)が定説とされているなお、姉の茶々は永禄12年(1569年)頃、初は元亀元年(1570年)頃の出生であると想定されている。 |
| 乳母には民部卿局がつけられた。 |
| 天正元年9月1日(1573年9月26日)、浅井長政が市の兄である織田信長と対立し、小谷城が攻め落とされ、長政らは自害し浅井氏は滅亡する。 |
| 江は母の市や姉の茶々、初とともに藤掛永勝らによって救出され、信長の保護の下岐阜城に留まり、伊勢上野城(三重県津市)主で信長の弟の織田信包に預けられたという『信長公記』『総見記』『浅井三代記』、また美濃国守山城主で信長の叔父にあたる織田信次(江には大叔父にあたる)に預けられたともいわれている渓心院文。 |
| なお、この時に兄・万福丸は信長の命により殺されている。 |
| 天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変において信長は、家臣の明智光秀による謀反で横死する。 |
| 6月27日、織田家の後継者を決める清洲会議により、母の市は織田家臣の柴田勝家と再婚して、勝家の居城である越前国北ノ庄城へ移り、三姉妹も越前へ移る。 |
| 勝家は羽柴秀吉と敵対し、天正11年(1583年)には賤ヶ岳の戦いで北ノ庄城が落城、市は勝家共々自害する。 |
| 江ら三姉妹は北ノ庄を脱出して秀吉により保護されたとされる(『以貴小伝』)。 |
| この頃、江は秀吉の意向により、尾張国知多郡大野領主で信長の次男・織田信雄の家臣であり、従兄にあたる佐治一成のもとへ嫁いだという『太閤素性記』『柳営婦女伝系』『玉輿記』。 |
| 佐治氏は、一成の父・佐治信方が信長の妹(お犬の方)を室とした織田一族で、秀吉は清洲会議後に尾張を領有した信雄の懐柔を意図していたという小和田哲男『戦国三姉妹物語』角川選書、1997年。 |
| 江と一成の婚姻時期・事情については記録が見られないが、天正12年(1584年)に秀吉は小牧・長久手の戦いで徳川家康・織田信雄と戦い、信雄方の一成は戦後に大野を追放され、江とも離縁したといわれる経緯から、同年初めに想定されている。 |
| 小牧・長久手における一成の動向などは『柳営婦女伝系』『以貴小伝』『玉輿記』などに記され、一成は家康に渡船を提供した佐屋の渡一件により秀吉の怒りを買い、追放されたという。 |
| また、一成は信雄家臣で秀吉に内通した星崎城主・岡田重孝に加担して信雄に追放されたとする説もある瀧田英二『常滑史話索隠』1965年。 |
| 文書上においては小牧・長久手以降にも一成の名は見られるものの、天正13年(1585年)作と推定される『織田信雄分限帳』においては一成の名が見られず、小牧・長久手後の論功行賞において一成は大野を追放されたと考えられている。 |
| 一方で、近世の鳥取池田家に伝来する佐治氏の由緒書には、婚姻を信長存命時の天正2年(1574年)としている{{#tag:ref|鳥取県立博物館所蔵「佐治幾衛家譜」「佐治所平家譜」ともに未翻刻資料であるが関係部分は下記福田の著書に採録されている。 |
| 同年には一成の父・信方が戦死し、信方戦死後にお犬の方は織田家に戻って他家へ再嫁していることから、江と一成の婚姻は信長の意向により織田家と佐治氏の関係を修復する意図であった可能性も考えられており、また婚約のみで実際に嫁いでなかったとする説もある。 |
羽柴秀勝への再嫁
| その後、秀吉の実の甥で養子の丹波国亀山城主(京都府亀岡市)・豊臣秀勝の元へ嫁ぐ。 |
| 秀勝への再嫁時期は不明であるが、文禄元年(1592年)もしくは秀勝が秀吉の養子となった天正14年(1586年)以降であると考えられている。 |
| なお、この頃には茶々は秀吉の側室、初は京極高次正室となっていると考えられている。 |
| 秀勝は秀吉の統一事業に従って九州征伐、小田原の役に従軍し戦功を挙げた、天正18年(1590年)11月には徳川家康の関東移封に伴い、徳川家旧領であった、甲斐・信濃を与えられている。 |
| 翌天正19年(1591年)には岐阜に転封となっているが、江は京都聚楽第の秀勝の屋敷に居住し、甲府や岐阜へは赴いていないと考えられている。 |
| 秀勝は文禄元年(1592年)に秀吉の朝鮮出兵(文禄の役)に従軍し、在陣中の同年9月に朝鮮国の巨済島において病死している。 |
| 秀勝と江の間には娘の完子(幼名不詳)がおり、生年は不詳であるが、文禄元年か翌年中であると考えられている。 |
| 完子は茶々の猶子として引き取られ、同格の摂関家である九条家に嫁いでいる。 |
徳川秀忠への再嫁から晩年
| 文禄4年(1595年)9月17日には伏見において徳川家康の嗣子である秀忠に再嫁する。 |
| 秀忠は天正18年(1590年)に上洛し、織田信雄の娘で秀吉の養女である「小姫」と縁組をしていたが、「小姫」の死去により婚礼は立ち消えとなっている。 |
| 秀忠との間には慶長2年(1597年)の千姫を頭に家光・忠長など2男5女を儲けた。 |
| 大坂の役では豊臣家が滅亡して姉の淀殿を失う。 |
| しかし淀殿が父・浅井長政の供養のために建立した養源院が、元和5年(1619年)に火災で焼失すると、江の願いで元和7年(1621年)に幕府が再建している。 |
| 寛永3年(1626年)9月15日、江戸城西の丸で死去、享年54。 |
| 法名は「崇源院殿昌譽和興仁淸大禪定尼」。 |
| この時、秀忠・家光・忠長は上洛中であった。 |
| 11月28日、従一位を追贈される。 |
| 死後は長男・家光によって増上寺(東京都港区)に埋葬された。 |
| 京都市左京区黒谷町の金戒光明寺には宝篋印塔があり、碑銘には「崇源院殿一品大夫人昌譽仁淸」。 |
| 和歌山県高野町の金剛峰寺には、五輪塔があり、碑銘には「崇源院殿一品大夫人昌譽大禪定尼」。 |
| また、同寺院には、六角宝塔内卵塔もあり、碑銘には「崇源院殿源夫人昌譽大姉」とある。 |
系譜
| 江戸幕府第3代将軍・徳川家光の母、第109代明正天皇の外祖母、第124代昭和天皇以降の皇室の先祖である。 |
| 兼晴鷹司家より婿養子。 |
| 九条幸家 ┣━━輔実━幸教。 |
| 豊臣秀勝 ┣━━道房━━待姫 ┃。 |
| ┣━━━完子 ┣━━┳稙基─(略)─尚忠━道孝━節子。 |
| 江 ┃ ┃ ┃ ┃。 |
| ┣━━┳家光━━千代姫 ┏三千君 ┃ ┃ ┃。 |
| 徳川秀忠┃ ┣━━綱誠━吉通┛ ┃ ┃ ┣昭和天皇━今上天皇。 |
| ┃ 徳川光友 ┃ ┃ ┃。 |
| ┗和子 二条宗熙─宗基━治孝━━━┛ ┃。 |
| ┣━━━明正天皇 ┏大正天皇。 |
| 後水尾天皇━━━━━━━━━━━━(略)━━━━━━━━━━━┛。 |
子女
| 豊臣完子(さだこ):文禄元年(1592年)生。 |
| 江の徳川秀忠への再嫁に伴い伯母・淀殿の養女となり、九条関白家の九条忠栄に嫁ぎ北政所となる。 |
| 千姫:慶長2年(1597年)、伏見城内の徳川屋敷で誕生。 |
| 慶長8年(1603年)に豊臣秀頼に嫁ぐ。 |
| 豊臣家滅亡後の元和2年(1616年)、姫路新田藩主・本多忠刻に再嫁。 |
| 珠姫:慶長4年(1599年)江戸城で誕生。 |
| 慶長6年(1601年)、加賀藩100万石の第2代藩主・前田利常に嫁ぐ。 |
| 勝姫:慶長6年(1601年)、江戸城で誕生。 |
| 慶長16年(1611年)、越前藩主・松平忠直に嫁ぐ。 |
| 初姫:慶長7年(1602年)、伏見城(一説には、江戸城)で誕生。 |
| 伯母・常高院の養女となり、慶長16年(1611年)に鎌倉室町以来の名門で松江藩主でもある京極忠高に嫁ぐ。 |
| 徳川家光:慶長9年(1604年)江戸城で誕生。 |
| 江戸幕府第3代征夷大将軍。 |
| 徳川忠長:慶長11年(1606年)、江戸城で誕生。 |
| 駿府藩主となるも寛永9年(1632年)に改易。 |
| 徳川和子(まさこ):慶長12年(1607年)、江戸城で誕生。 |
| 元和6年(1620年)、後水尾天皇女御として入内(後に中宮)。 |
人物
| 淀殿(茶々)・常高院(初)・崇源院(江)のいわゆる「浅井三姉妹」は、「戦国一数奇な運命を辿った姉妹」として知られる。 |
| 小説・ドラマなどでは、市の娘・信長の姪・淀殿の妹・浅井三姉妹の末子というイメージや夫・秀忠との関係から類推して、美貌を備え誇り高いがヒステリックで嫉妬深い性格の人物として描かれることが多い。 |
| しかし、作家の永井路子は小説の中で、彼女を母や姉たちほど美人でもなく機転が利く訳でもないが、どんな運命に巻き込まれても平然と受け流し、その度に魅力を増していく女性という、全く別の解釈をした。 |
| 徳川将軍御台所(正室)で将軍生母となったのは、後にも先にも崇源院だけである。 |
| 戦後、鈴木尚が中心となって行なわれた増上寺の徳川家墓所発掘調査の際に、崇源院の墓も発掘され、その遺骨も調査された。 |
| その調査報告は『増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体』にまとめられているが、それによると崇源院は火葬にされており、父・浅井長政、母・お市の方、長姉・淀殿らがおそらくは長身であったと推察されるのと異なり、江は生前は小柄で華奢な女性であったようである。 |
崇源院を主人公とする作品
| 江—姫たちの戦国(田渕久美子、日本放送出版協会、上巻ISBN9784140055700 下巻ISBN9784140055717)2011年NHK大河ドラマ原作。 |
| 徳川秀忠の妻(1969年、フジテレビ)演:岡田茉莉子。 |
|
1573年
|
天正元年9月1日、浅井長政が市の兄である織田... |
|
1583年
|
賤ヶ岳の戦いで北ノ庄城が落城、市は勝家共々... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
崇源院さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|