| 中日時代は、開幕投手を6回務める(森井茂と並ぶ球団記録)など絶対的なエースとして君臨。 |
| 日本プロ野球においてリーグMVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、最多勝、最多奪三振、新人王、沢村賞を受賞し、ノーヒットノーランも達成するなど球界を代表する右腕投手として活躍。 |
| 中日のエース候補という意味で「背番号20に最も近い男」と評されることもあった。 |
| これは杉下茂、権藤博、星野仙一、小松辰雄と1980年代までにおける中日の歴代エースが背番号20を背負っていたことにちなむ比喩的な表現である(現在の20番は中田賢一)。 |
| しかし、川上は入団時につけた背番号11を気に入っており、エースとしての評価を確立した今に至っても変えていない。 |
| 専属トレーナーは、加藤佑介(2009年現在)。 |
| 同学年で大学時代からのライバルである高橋由伸に対しては、現在でも強いライバル心を持っていると言い、対決では一層の気合を入れている。 |
| テレビ東京の当時スポーツ番組のキャスターをしていた佐々木明子アナが、週刊ベースボールのコラムで川上を新人の年に取材をした時に高橋由伸に対してノーヒットに抑えていたことに触れ「20打席ノーヒットですね」と言ってしまい(実際は当日の試合に4打席ノーヒットならば20打席ノーヒット)取材後間違いだったことに気づきスタッフと共に大慌て。 |
| 川上はその試合の第3打席に本塁打を打たれてしまった。 |
| 試合後取材を兼ねて謝罪しに行くと、川上もおかしいなと思いながら投げていたらしく、佐々木アナは川上の集中力を阻害したことを誌上で反省していた。 |
| 中日に入団する際に当時監督であった星野に「背番号は11番から20番の中から好きな番号を選べ」といわれ、冗談交じりに「じゃあ、15番で」と発言した15番は西沢道夫の永久欠番。 |
| 数日後、星野監督から電話で「11番にしろ、いいな」と返され、11番に決定した。 |
| 1999年に週刊少年サンデーに「川上憲伸物語魂のストレート」(作:武村勇治原案:矢崎良一協力:中日ドラゴンズ)として読切連載された事がある。 |
| ライバルである高橋由伸も同年に週刊少年マガジンに「高橋由伸物語」として読切連載された。 |
| 中日在籍当時、ライバル・巨人の関連会社である日本テレビの『THE・サンデー』で、「ウッス!川上憲伸っス!」という彼の1週間を追うコーナーが放送されていた時期があった(石井浩郎、三沢興一のコーナーと同時に放送されていたが、この2名は巨人在籍経験があった)。 |
| また、『THE独占サンデー』では川上のパロディのパペット人形キャラ「川上犬・シン」(本物の川上は犬好きである)も登場していた。 |
| 99年にリーグ優勝した次の試合(10月2日横浜戦・横浜)に先発登板し、7回を投げ当時リーグワースト記録となる19被安打、同最多タイの14失点と散々に打ち込まれた。 |
| 2回には投手の三浦大輔に3ラン本塁打を浴びている。 |
| 日本シリーズ対策として同試合に視察で訪れていた王貞治監督を別の意味で驚かせた(ただし、その年の日本シリーズでは王率いるダイエー相手に好投し、勝利投手になっている)。 |
| 佐藤充は川上のフォームを参考にしているという。 |
| 2002年8月1日に巨人戦でノーヒットノーランを達成したが、その前年の2001年8月1日も巨人戦で登板している。 |
| 対戦相手の投手は、いずれも入来祐作であった。 |
| 前年は高橋由伸に100号本塁打を打たれ、その後打球を足に受け、途中降板している。 |
| 自身も敗戦投手となり、チームも0-7と完封負けをして散々な結果となった。 |
| 最多勝に輝いた2006年は広島戦のみ勝ち星が挙げられなかった。 |
| そのためかは不明だが広島戦が近づくと広島戦に強い朝倉健太とローテーションを入れ替える。 |
| その結果2004年6月16日以来広島市民球場では登板しておらず、その試合も勝ち投手になっていない。 |
| 日本シリーズなどの大舞台に強く、これまでに登板したプレーオフの試合では、たとえ敗戦投手になったとしても、大崩れしたことはない。 |
| 2007年に53年ぶりの日本一になるまで、長い間短期決戦に弱いと言われてきた中日の投手の中では異例とも言える。 |
| しかし、その2007年のプレーオフでは、クライマックスシリーズは2試合に先発し、2勝したものの、日本ハムとの日本シリーズでは川上自身、出場した日本シリーズでは初めて勝利を挙げることができなかった。 |
| 中日時代は井端弘和、福留孝介の主力3選手がともに独身であることがネタにされていたが、福留が2007年に、井端が2008年に結婚した。 |