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プロフィール
- 川勝平太とは
- 概要
- 来歴
- 比較経済史の研究
- 早稲田大学教員時代
- 石川県政の継承
- 静岡空港
- 静岡県知事選挙での主張
- 富国有徳
- 憲法・安全保障を巡る発言
- 理想とする内閣
- 「新しい歴史教科書をつくる会」との関係
- 略歴
- 職歴
- 共著
- 関連サイト
川勝平太(かわかつへいた、1948年(昭和23年)8月16日-)は日本の経済学者(比較経済史)、政治家。学位は博士(オックスフォード大学・1985年)。静岡県知事(第53代)、財団法人世界 緑茶協会理事長(第3代)、国際日本文化研究センター客員教授、麗澤大学比較文明文化研究センター客員教授。早稲田大学政治経済学部教授、国際日本文化研究センター副所長、財団法人総合研究開発機構理事、静岡文化芸術大学学長(第2代)、学校法人静岡文化芸術大学理事長(第2代)などを歴任した。
概要
| 大阪府で生まれ「民主の風生かし逆転――静岡知事に川勝氏」『朝日新聞』44256号、14版、朝日新聞東京本社、2009年7月6日、26頁。 |
| 、京都府京都市にて育つ。 |
| 1997年から長野県北佐久郡軽井沢町に在住していたが「達人に聞くPart1:歴史学者・川勝平太の軽井沢快適生活(第2特集セカンドハウス市場ただいま沸騰中団塊世代は別荘がお好き!?)」週刊東洋経済6033号86頁、2006年、静岡県知事就任後静岡市葵区にある知事公舎に入居した |
| 経済学者であり専攻は比較経済史で、研究内容としては英国議会資料の分析などが挙げられる。 |
| 早稲田大学にて助手、講師、助教授、教授、国際日本文化研究センターにて教授、副所長、財団法人総合研究開発機構にて理事などを歴任した。 |
| 元静岡県知事の石川嘉延の盟友として知られ、石川に対して「富国有徳」との県のスローガンを提案するなどブレーンとして活動した。 |
| のちに、石川からの要請を受け、静岡文化芸術大学の学長に就任した。 |
| その後、石川の辞任を受け、いったんは立候補を否定したものの、2009年6月5日に静岡県知事選挙への出馬を表明した。 |
| 公職としては、小渕内閣に設置された「21世紀日本の構想」懇談会「『21世紀日本の構想』懇談会メンバー略歴」『 |
| 、安倍内閣に設置された教育再生会議『 |
| と「美しい国づくり」企画会議『 |
| にて委員を務め、国土交通省では国土審議会の委員を務めた。 |
| 京都市社会教育委員会委員、東京都大学運営諮問会議新大学の教育研究に関する検討会委員にも就任した。 |
来歴
| 2006年10月に死去した木村尚三郎の後任として、2007年4月に静岡文化芸術大学の学長に就任した。 |
| 学校法人静岡文化芸術大学理事長は静岡県知事石川嘉延であり、石川の誘いを受けて学長に就いた。 |
| その後、理想の学校教育具現化委員会などで石川県政を支え、静岡県学術教育政策顧問の廣部雅昭とともに石川のブレーンとして活動した。 |
| 2009年5月、自由民主党と民主党に所属する静岡県議会議員、日本労働組合総連合会静岡県連合会、民主党代表代行小沢一郎らから、同年7月の静岡県知事選挙への出馬要請を受け、自由民主党・民主党の相乗り候補者として名前が挙がった朝日新聞静岡版(2009-05-21)「 |
| 静岡県知事選挙への立候補が取り沙汰されると、川勝は「私の身は理事長(石川嘉延知事)に預けてある。 |
| 理事長が『やれ』と言うならノーとは言わないが、99.99%ないと思う」「『出馬の意図はない』大学学長・川勝氏」『 |
| として立候補を否定していた。 |
| 超党派の議員らから立候補を要請されても、川勝は「身を理事長(石川嘉延知事)に預けている」「改めて川勝氏へ要請」『 |
| との理由から、これを固辞していた。 |
| また、自由民主党の静岡県議会議員らは、当初は川勝の擁立を目指したものの、最終的には離脱した。 |
| その後、出馬・不出馬に関する発言を二転三転しつつも『毎日新聞』静岡版2009年6月3日「 |
| 詳細は『静岡新聞』2009年6月6日「 |
| 、最終的に民主党、社会民主党、国民新党の推薦で同選挙への立候補を表明した。 |
| なお、立候補表明直前に学校法人理事会に対し辞表を提出し、受理された「お知らせ」 http://www.suac.ac.jp/news/topics/459.html。 |
| 選挙戦は自由民主党と公明党が推薦した坂本由紀子との激しい戦いとなった。 |
| 民主党は、海野徹と川勝の候補一本化を目指したものの不調に終わり、分裂選挙となった。 |
| 鳩山由紀夫、岡田克也、菅直人など民主党幹部も連日応援に駆けつけた結果、当選を果たした。 |
| 最終的な坂本との票差はわずか1万5,000票余りだった。 |
| 2009年7月7日、静岡県選挙管理員会の告示を経て、静岡県知事に就任「『全身全霊尽くす』――川勝新知事に当選証書」『 |
| 「川勝氏が知事就任――県庁で当選証書受け取る」『 |
比較経済史の研究
| 経済学が専門であり、なかでも比較経済史を研究対象としている。 |
| 早稲田大学大学院経済学研究科での指導教員は正田健一郎「経済学研究年報」15号64頁、20号187頁(早稲田大学大学院経済学研究科経済学研究会、1975年12月、1981年3月)。 |
| 早大では日本経済史を正田健一郎に、西洋経済史を小松芳喬に学び、オックスフォード大学ではイギリス経済史をピーター・マサイアスに学んだ |
| 梅棹忠夫の「文明の生態史観」を発展させた、独自の「海洋史観」を展開したことで知られる。 |
| また「英国議会資料」の研究を行う。 |
| 同僚30余人とともに早稲田大学図書館にこの資料の購入(2億円余)を申請するも受け入れられず、大阪の国立民族学博物館に購入されてしまったため、早大教授を辞職し京都にある国際日本文化研究センターに移籍した川勝平太「歴史の交差点 「英国議会資料」を退けた早大を辞す」(週刊ダイヤモンド1997年7月19日号)、「現代の肖像川勝平太」(アエラ2010年8月30日号65頁)。 |
| また、「西太平洋津々浦々連合」を提唱した |
| 又、日本の歴史における時代区分に関して、元号による時代区分に異を唱え、政権所在地による時代区分で一貫すべきだとして、明治維新から現在までを「東京時代」と呼ぶ事を提唱している |
早稲田大学教員時代
| 政治経済学部の日本経済史講義の主題は、(1)日本はいかにして「東洋における最初の工業国家」になったのか、(2)日本の工業化は「西洋における最初の工業国家(英国)」といかなる関係にあるのか、であった。 |
| 講義ではマルクス、ウェーバー、シュンペーター、ヒックス、ロストウ、ガーシェンクロン、ポラニー、ウォーラーステイン、大塚史学、宇野理論、生態史観等の理論の貢献を紹介するとともに、日本の経済発展をグローバルな観点から理解するには、それらに限界があることを示し、新たに「文化・物産複合論」という独自の理論を樹てた「早稲田大学政治経済学部講義要項」(1997年度)。 |
| 川勝は授業開始時刻前の教室入りを原則とし、各講義の終了後は学生との議論の時間をとり、質問・挑戦には必ず応じることとしていた「早稲田大学政治経済学部報ひろば」28号(1996年4月1日)。 |
| 川勝ゼミのテーマは「日本と世界経済-長期的・理論的・実証的接近-」で、ゼミ生はこのテーマに関わるものであれば自由に個別のテーマを選ぶことができた。 |
| ゼミでは自分にとってのっぴきならないテーマを定めて、卒業論文(ゼミ論文)を完成されることとなっていた。 |
| 入ゼミ資格は「文・武・芸の三道の鼎立をめざす者」だった。 |
| 川勝は日文研に移籍した後も早稲田大学には非常勤講師として残り、ゼミ生と院生の指導を継続した。 |
石川県政の継承
| 前任の静岡県知事だった石川嘉延と交流があり、石川在任中はブレーンを務めた。 |
| 石川は川勝が提唱した「富国有徳」をキャッチコピーとして取り入れたうえで、川勝を静岡文化芸術大学の学長として招聘している。 |
| 知事就任後は、前任の石川の県政運営について「16年間の実績はすばらしい」松久英子・浜中慎哉・竹地広憲「静岡空港・日航福岡便、搭乗率保証見直しへ」『 |
| と発言するなど評価する姿勢を示し、石川の施政方針を継承しつつ新たな総合計画を策定すると表明した「静岡文芸大空席の理事長――川勝知事就任へ――県議会」『 |
| 2010年1月の中国訪問に際し、川勝は「訪中を通じて(石川前知事から)教えを受けたい」「知事、10日から訪中――習副主席と面会へ」『 |
| と述べ、石川に対し同行を要請した。 |
| 石川はこの申し出を承諾したため、川勝と石川の両名が副主席の習近平らと会談することになった。 |
静岡空港
| 静岡県知事の石川嘉延と2005年に行った対談の中で、静岡県内への空港設置について話が及んだ。 |
| この対談において、川勝は国外からの観光客誘致の重要性を指摘したうえで「当然、空港も必要でしょう」石川嘉延・川勝平太「新しい地球モデルを目指す――自然の恵みと美意識を生かして」『Myしずおか』24巻、静岡県広報局、2005年3月、5頁。 |
| と提言している。 |
| また、空港の立地条件について、川勝は「国際空港は東京のはずれや大阪湾ではなく、富士山が見える場所にあったほうが日本らしい」と主張している。 |
| 静岡県知事選挙への立候補に際しては、川勝は「トップセールスで日本の表玄関としての静岡空港の利用率を高める」「知事選立候補者のマニフェスト(要旨)」『 |
| と主張している。 |
| 知事就任後は、静岡空港への就航便数の増加を狙い、自ら積極的に売り込みを図っている「『静岡-福岡便利用を』――川勝知事が新空港PR――県庁」『 |
| 静岡県議会の定例会では、空港反対派の議員から知事による売り込みの効果を疑問視する質問がなされたが、川勝は「何としてもですね、あの空港を立派に育てようと決意して知事になったんです」佐野周平「“川勝劇場”――空港質問に無視と熱弁」『 |
静岡県知事選挙での主張
| 『中日新聞』静岡版2009年6月6日「 |
| 学校教師の青年海外協力隊・シニアボランティアへの参加を奨励し、財政支援・人的支援を行う。 |
| JICAグローバル大学院(仮称)に向けて早急に設立を検討する。 |
| 県職員給与の一律カットへの反対、知事の給料30%カットに反対、余分に仕事をする意識が大事と主張『毎日新聞』静岡版2009年6月9日「 |
| 農業(林業・漁業)改革を行い、場の力を最大限に引き出し、地産地消と農産物のブランド化を目指す。 |
富国有徳
| 第84代内閣総理大臣の小渕恵三は、この思想に賛同し、自らのモットーの一つとして「富国有徳」を挙げていた「小渕“先生”への質問」『 |
| 施政方針演説の中で「富国有徳」について触れており「第百四十七回国会における小渕内閣総理大臣施政方針演説」『 |
| 、この理念の下で教育立国と科学技術創造立国を実現すると主張した「小渕総理から君たちへ(第147回国会・施政方針演説から)」『 |
| 川勝は第四分科会にて座長を務め、懇談会の纏めた報告書に「富国有徳」の概念を盛り込んだ『 |
| 第49~52代静岡県知事の石川嘉延も「富国有徳」の思想に賛同した一人であり、静岡県の県政のキャッチコピーとして「富国有徳――しずおかの挑戦」を掲げた。 |
| また、石川は学校法人静岡文化芸術大学理事長を兼任していたが、学長だった木村尚三郎が死去すると、石川は後任の学長として川勝を招聘した。 |
| その後、川勝は静岡県が設置した「理想の学校教育具現化委員会」にて委員を務めるなど理想の学校教育具現化委員会編集『 |
| 石川の後継者を決める静岡県知事選挙への立候補に際し、川勝は「石川知事が私の言葉を引用してくださったのも、ここ静岡県に“理想の日本”を創る、という私の使命感につながる」と語っている。 |
憲法・安全保障を巡る発言
| 実質的に紛争地域であるイラクで万が一、自衛隊が戦闘行為に及ぶことがあった場合は、即座に撤退すべき」「国際紛争を武力で解決しないという憲法9条の精神は、不戦条約や国連憲章と響きあう普遍性をもつ。 |
| イラク復興を含む中東問題の根っこにパレスチナ紛争があることは、ゆめゆめ忘れてはならない」と語った文芸春秋2004年3月号 |
「新しい歴史教科書をつくる会」との関係
| 1997年に行われた新しい歴史教科書をつくる会第二回シンポジウムに参加 |
| あれは最初会長になった西尾幹二という方が電話をかけてこられて、歴史教科書についてどう思うか、私の観点では日本史と東洋史と西洋史が分けられているのがおかしいと、そしてそれが選択科目になっているのがおかしいと、そういう観点での歴史教科書についての疑問があったので、教科書を見直すというのであればいいと、ところが御承知のように蓋を開けたところ特定の問題について必ずしも歴史家でない人たちが自らイデオロギーを論じる場になっていたので、一度もメンバーになっていません。 |
略歴
| 川勝家は京都府亀岡市旭町出身で、大陸からの渡来人である秦氏の流れを汲むとされる。 |
職歴
| 1975年4月-早稲田大学政治経済学部助手1975年当時、早稲田大学では法学部以外の学部の助手には任期がなく、政治経済学部の助手は必ず専任講師へ昇任していた(奥島孝康「早稲田大学における助手の任期制」大学と学生391号25、27頁、1997年)。 |
| 2007年-静岡文化芸術大学学長、国際日本文化研究センター客員教授、安倍内閣・「美しい国づくり」企画会議委員。 |
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1997年
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行われた新しい歴史教科書をつくる会第二回シ... |
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(松岡正剛の千夜千冊) |
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