| 幼い頃に正教の洗礼を受ける。 |
| 聖名はアナスタシア |
| (ギリシャ語で「復活」「復活した女」を意味する)。 |
| 11歳の時に家族と共にモスクワから千葉県に移住。 |
| 帰国後に編入した小学校で、「純粋な日本人ではない」、「ハーフ」と揶揄を受け、壮絶ないじめに遭う。 |
| 上履きを隠され、教科書を破かれ、給食にゴミやゴキブリを入れられ、「川村かおりを殺す会」が作られるまでに至った。 |
| 都内の中学校に進学した1983年、ソ連による大韓航空機撃墜事件が起きる。 |
| 教師から「この外道が!ソ連に帰れ!」といわれのない非情な言葉を浴びせられたという。2009年3月13日放送『金スマ波瀾万丈』及び、自伝『HelterSkelter』参考。 |
| 思春期を向かえ、ハーフならではの大人びた顔立ちと腰まで伸びた亜麻色の髪が人目を引き、街に出ると異性や芸能プロダクションから声を掛けられるようになった。 |
| 徐々に自分の個性に自信を持ち始め、学校で受けるいじめに対しても強気で返すようになる。 |
| そして、今まで自分が体験し、辛かったいじめを封じるのではなく、いじめる側になってしまう(高校進学後も続けていた)。 |
| 気の弱い同級生や下級生にいじめを転嫁することで、例えようのない快楽の感情を覚えてしまったという後に、そのいじめを苦に自殺を図った者や不登校になった者がいたことを知るが「取り返しのつかない悪いことをした。 |
| 子どもだったとはいえ、自分が情けない」と生涯悔いていた。 |
| 1986年、東京都立田柄高等学校に進学。 |
| 選択教科は音楽ではなく美術。 |
| 授業はサボり気味で成績は芳しくなかった。 |
| また、学校を休んで新宿Loftやツバキハウスなどに頻繁に出入りするようになったのもこの時期である。 |
| そこで音楽関係者と知り合い、後にデビューの足掛かりとなった。 |
| 1987年、都立校を中退し渡英。 |
| 暫くして英国四天王寺学園高等学校(2000年閉鎖)に編入、単位を修得し卒業。 |
| 1988年に辻仁成プロデュースにより、シングル「ZOO」「ZOO」は後にエコーズや蓮井朱夏(菅野美穂)にカバーされたが(エコーズの場合はセルフカバー)、オリジナルは川村のバージョンである。 |
| および同名アルバムでデビュー。 |
| 1990年、「神様が降りてくる夜」が『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』のテーマ曲となりヒットする。 |
| 1991年には「翼をください」赤い鳥のカヴァーもヒット。 |
| 音楽番組だけではなくバラエティ番組などにも出演するようになる。 |
| また、モデルとして雑誌やショーに出演する機会が増えた。 |
| 1989年4月から1991年6月までニッポン放送『オールナイトニッポン』土曜2部のパーソナリティを務めた。 |
| 番組中、電話でゲスト出演した大槻ケンヂと同じ、田柄高校の出身と分かり、話が盛り上がる。 |
| また当時のソビエト連邦大統領、ゴルバチョフにリスナーから質問をする趣旨を掲げた「ゴルバチョフへの手紙」というコーナーもあり、簡単なロシア語を披露した。 |
| 実際にロシア語で綴った手紙を大使館を通じてゴルバチョフに届けたことがある。 |
| それがきっかけとなり、大統領と電話で話す機会を得るなど話題となった。 |
| ゴルバチョフの来日が決定すると、当時の内閣総理大臣であった海部俊樹の名前で晩餐会への招待状が届く。 |
| 短時間ではあったが面会も叶い、その模様も番組で放送された。 |
| 「子どもの頃はコンプレックスであった自分の血を、いまは胸を張って誇りに思える」と語った。 |
| 1991年、『東京の休日』で映画初主演。 |
| 1992年、エッセイ集『volume―僕の手の中』を発表。 |
| 1993年より活動休止し、ニューヨーク等で生活。 |
| 1995年6月、音楽活動を再開。 |
| 所属レコード会社を移籍し、シングル「BigBeat」を発表した。 |
| 1996年、NHK-BSのテレビドラマ『新宿鮫』に出演。 |
| 1997年、『新宿鮫・毒猿』に出演。 |
| 1998年、クラブ向きの音楽制作を目的としたソロプロジェクト「SORROW」を開始し、クラブイベントでのDJとしても活動を始めた。 |
| また、モデルの坂田かよと共にクラブイベント「696」を開催。 |
| この頃、「川村かおり」から「川村カオリ」に改名した。 |
| また同年、母が乳癌で永眠。 |
| 1999年2月、バンド「SOBUT」のギタリストであったMOTOAKIと結婚。 |
| 同年、手塚眞監督の映画『白痴』に出演。 |
| 2000年、「SORROW」のメンバーに中村達也を加えてイベントを全国で展開。 |
| 以降、夫を含む4人編成のバンドとしてインディーズで活動を続ける。 |
| MOTOAKIとの写真集『TrueRomance』(撮影:ニッキー・スターキー)を出版。 |
| 2001年、ツアーの様子を自ら撮影したドキュメンタリー映画『696TRAVELINGHIGH』を発表した。 |
| 同年、行定勲監督『贅沢な骨』に出演。 |
| また同年12月には長女を出産。 |
| 2003年、ユニバーサルミュージックよりアルバムを発表し、メジャーデビュー。 |
| またこの年からMOTOAKIとの別居生活を始めた。 |
| 2004年、乳癌が発覚。 |
| 左乳房の切除手術と抗がん剤治療を経て、2005年に芸能活動を再開した。 |
| 少女期に受けたいじめや、音楽活動の紆余曲折、乳癌を患った事とその闘病生活などを明かした。 |
| 2006年、手塚眞監督の映画『BLACKKISS』で主演を務める。 |
| また、国内アパレルブランドLIMIfeu(リミフゥ・山本耀司の長女・里美のブランド)、alfredoBANNISTER(アルフレッド・バニスター)、Roen(ロエン)、CandyStripper(キャンディストリッパー)、HIROMICHINAKANO(ヒロミチナカノ)、FULLCOUNT(フルカウント)などのモデルとしてパリ・コレクションなどのファッションショーに出演。 |
| 2007年2月、「SORROW」の活動休止を発表。 |
| 同年、北村龍平監督の『LOVEDEATH』に出演。 |
| 9月29日、ピンクリボン運動のイベントでトークショーに出演。 |
| 「年に1度はマンモグラフィー検査に行ってほしい」と訴えた |
| イベント終了後の記者会見では、話し合いを経て共に悔いの無い心境で離婚届を提出した事、長女の親権は川村が持つ事などを明かした |
| 2008年10月1日、ブログで癌の再発を発表。 |
| 同日に参加したピンクリボンフェスティバル終了後の記者会見では、昨年関節炎と診断された胸の痛みの原因が実際は癌である事が1月に判明、リンパ節・骨・肺の3ヶ所に転移しており、手術が不可能なため点滴での抗がん剤治療を続けている事を明かした |
| 2009年1月23日、11年ぶりの誕生日ライブを東京・原宿アストロホールで行う。 |
| 同年3月18日に『徹子の部屋』にゲスト出演する。 |
| 同年3月22日、東京渋谷HMVでシングル「バタフライ」と書籍『MYSWEETHOME』の発売記念インストアライブにて、トークと「バタフライ」を1フレーズ歌い、握手会を行った。 |
| 同年4月4日、単発特番の川村カオリのオールナイトニッポンが放送される予定だったが、体調不良のため川村本人は生出演せず、急遽『川村カオリのためのオールナイトニッポン』として放送された。 |
| 同年5月5日、東京渋谷CCレモンホールにてライブを行った。 |
| ゲストは鈴木祥子、浅井健一、高橋研、吉川晃司、渡辺俊美、鈴木彩子で、13年ぶりのフルアルバム『K』に参加したメンバーが入れ換わりで演奏した。 |
| 同年7月1日、ブログで癌の新たな転移が見つかったことを報告。 |
| 正教徒であったカオリのために、7月30日晩にパニヒダ(通夜)が、31日昼に埋葬式(葬儀)(埋葬式は主教祈祷)が、日本正教会最大の教会であるニコライ堂で行われた。 |
| 友人・知人からの献花の後、聖堂に川村のCD、ギター三本などが聖堂内に並べられたただし出典記事には正教会の用語等につき多くの誤りがあり、これを修正して本項文章を作成。 |
| 喪主は、カオリの弟である川村忠が務めた |