| 開幕一軍は逃したが、二軍では4月から遊撃手のレギュラーの座を掴み、高卒新人としては珍しい79試合に出場。 |
| 打率は.240と苦戦したが、6本塁打31打点とパンチ力を発揮し結果を残した。 |
| シーズン終盤の10月9日の対中日戦で一軍初出場(2打数無安打)。 |
| 10月10日の対広島東洋カープ戦の第2打席で1軍初安打・マルチヒットと共に、プロ初打点を記録し、プロ2試合目で早くもお立ち台に登った。 |
| 球団史上、ドラフト会議を経た高卒1年目の野手が一軍の試合に出場したのは、1987年に1試合出場した土橋勝征以来、約20年ぶりの出来事。 |
| それ以前には1984年の池山隆寛が10試合に出場している。 |
| ただし、土橋、池山共に、1年目は安打は記録していない。 |
| 高卒1年目の野手の安打は、1968年の奥宮種男まで遡る。 |
| 二軍キャンプスタートもキャンプ中に一軍に昇格。 |
| しかし昇格直後に体調を崩してしまい、二軍に逆戻りとなった。 |
| シーズンでは手薄な内野を補うために、4月と7月に2度一軍に昇格し、消化試合でない試合でのスタメン出場も経験。 |
| 二軍では50試合で打率.284と、前年以上の成績を残した。 |
| しかし8月22日の試合で左手の薬指を骨折し、全治2ヶ月。 |
| そのリハビリで残りのシーズンの出場は出来なかった。 |
| 10月中旬のフェニックス・リーグで実戦に復帰した。 |
| 春季キャンプでは宮本慎也の後継候補宮本を三塁にコンバートするプランがあり、キャンプ途中まで川端や鬼崎裕司、三輪正義がショートで出場した。 |
| として、2年ぶりの一軍スタート。 |
| 宮本からポジションを奪うことは出来なかったが、オープン戦でも打撃・走塁で好調を維持し、遊撃手を含む複数ポジションを無難にこなした。 |
| そのことが買われる形で、3年目にして初の開幕一軍の座を掴んだ。 |
| 10月7日、対中日第24回戦の第1打席にて小笠原孝からプロ初本塁打を記録した。 |
| 春季キャンプから右肩痛で離脱し出遅れたものの、5月に一軍昇格。 |
| その後は主に左の代打として出場、川島慶三や田中浩康の不調時にはスタメン出場することもあった。 |
| しかしスタメン予定であった8月23日の練習中にまたも右肩痛を発症し、登録抹消。 |
| 以降は一軍での出場はなかった。 |
| 阪神から藤本敦士が加入。 |
| 遊撃手のポジションを鬼崎裕司、新人の荒木貴裕らと争う。 |
| 開幕当初は藤本が固定される形で起用されたが、不調から二軍落ち、その後は鬼崎が守備力を生かして台頭したが、打撃に難があったため、7月ごろから川端が遊撃手のレギュラーとして起用されるようになった。 |
| その後、シーズン終了まで遊撃手のポジションを守り続け、8番打者としてチームの後半戦の躍進にも貢献した。 |
| 守備力は鬼崎の方が買われていたため、試合終盤は守備固めとして鬼崎が遊撃手に入り、川端は三塁手へ回る機会も多かった。 |
| 川端の飛躍にはシーズン中盤高田繁監督の休養(事実上の引責辞任)により監督代行に就任した恩師・小川淳司の引き立てによるところも大きい。 |
| 入団当時の二軍監督で初年度からファームで積極的に起用を続けている。 |
| 開幕戦で川島慶三が死球を受けて骨折したことから、スタメンに定着。 |
| また、バッティングの好調より、クリーンアップに定着。 |
| 主に3番として活躍。 |