| その後は対呉戦線で武功を挙げ、250年の戦いにも王昶、王基と共に参加し武功を挙げた。 |
| 司馬師が政権を握った時代には、州郡を治める諸将の一人として王基や鄧艾、石苞と共に名があがるほどであった(『晋書』景帝紀)。 |
| 軍の統率に優れる一方で治績にも優れていたため、その才能を司馬昭にも認められて、豫州刺史、兗州刺史を歴任した。 |
| 258年の諸葛誕の反乱では、援軍として侵攻してきた朱異率いる呉軍を陽淵で迎え撃ち、大勝するという武功を挙げた。 |
| 259年、都督荊州諸軍事の職が二分割されると、州泰は荊州方面に復帰し、襄陽に鎮守する都督江南諸軍事に任命された(都督荊州諸軍事は王基)。 |
| 仮節を与えられ、征慮将軍にまで昇進をした(『晋書』文帝紀)。 |
| 衛将軍を追贈され、壮侯という諡号を与えられた。 |
| 司馬氏に引き立てられた人物であるが、晋建国をみることはできなかった。 |
| また、子や一族が晋建国後に列侯されたという記録もない。 |
| 小説『三国志演義』では、正史と同様に諸葛誕の反乱で魏軍の右備えとして参加し、鍾会の策に従って呉軍と戦い、大勝している。 |