| 自身の著書『秘密』によると、父親は韓国人で、韓国にも家庭があり、母は日本での妻という立場だったとのこと。 |
| 貿易商であり1年の大半を国外で過ごしていたため、日本に戻る事はほとんど無く母子家庭同然だったという。 |
| 映画「新・仁義なき戦い」に、昌龍の役で出演を決めた理由について、「彼の生い立ちと同じく、僕も父親が韓国人で、アウトサイダーとして生きざるを得なかった」と語っている。 |
| 母親は、ロシア(樺太)生まれの日本人とロシア人とのハーフで、日本国籍とのこと。 |
| かつて高崎駅前にてクラブを経営していた。 |
| 妹はかつてガラパゴスのヴォーカルとして活動していた狩野環。 |
| ガラパゴスは1991年から1992年に行われた布袋のGUITARHYTHMACTIVEツアーで前座を務めたり、布袋が同バンドの楽曲『月の流す涙』をラジオ内でカヴァーしたりと、音楽上でも交流があった。 |
| 1994年のガラパゴス解散後は、新たにSUPEREGOを結成。 |
| 後に同バンドのドラマーと結婚した。 |
| 彼女の第一子は女児で「ハナ」と命名されたが、この名前を布袋は盟友であるジーザス・ジョーンズのマイク・エドワーズの女児にセカンドネームとして贈った。 |
| 裕福な家庭に育つが、父親が韓国人だったことから幼少時代には差別のような扱いも受けた。 |
| また当時の時代背景もあってか両親は籍を入れてはおらず、自宅の表札には2つの苗字が並んでいたという『秘密』(2006年幻冬舎)ISBN4344011082。 |
| 布袋が高校3年の時に両親は離婚している。 |
| その際父親の借金を母親がすべて背負うことになってしまい、住んでいた邸宅を引き払い四畳半のアパートでの生活を余儀なくされる。 |
| 幼少時代にピアノを始める。 |
| 母親がハリウッド映画のサウンドトラックやアルゼンチン・タンゴを好んで聴いており、彼女からのリクエストでこれらの楽曲を弾くことも多かったという。 |
| 14歳の頃、マーク・ボランのポスターを見て感銘を受け、ギターを始める。 |
| 初めて買ったギターはストラトキャスタータイプで、この時の資金は母親の財布から失敬した1万円だった。 |
| 『BOØWYSTORY大きなビートの木の下で』紺待人(1986年ソニー出版)ISBN4789702669『布袋寅泰ビッグストーリー』J-ROCK研究会(1999年飛天出版)ISBN4894401584。 |
| 家庭環境もあってか、幼少時代から服装には拘りを持っていた。 |
| カブスカウトの制服に憧れたり、小学校高学年になると長髪にしてベルボトムのジーンズを履くような少年だった。 |
| 当時の群馬県は中学生になると頭髪を五分刈りにしなければならなかったが、これを避ける為に私服登校が可能な中高一貫制の私立校へ進学している。 |
| 高校時代は真っ赤なスーツで登校したり、デヴィッド・ボウイの『アラジン・セイン』のジャケットを真似て眉毛を剃り落としたりもしていた。 |
| プロテスタント系キリスト教主義学校の新島学園高校中退。 |
| 在籍した場合、その氏名等を掲載するという方針のため、「同窓会名簿」には名前が載っている。 |
| 中退したのは卒業直前の時期であり、学校側から髪型を指摘されたことが原因である。 |
| その際、教師に向けて「イエス様の方が僕より長い」と言い放ったといわれ、このエピソードについて『クイズダービー』第748回(1990年7月14日放送分)の最終問題で出題されたが、実際には長髪にそれほど拘りがあった訳ではなく、敢えて中退した翌日に髪を切ってしまった。 |
| 新島学園にも「生徒の個性を尊重すべきだ」と布袋を擁護した人物がいた。 |
| その人物は氷室京介や松井恒松、山田かまちの小学校時代の担任で、後にかまちの作品を世に送り出す人である(当時、新島学園高校の美術科非常勤講師だった竹内俊雄)。 |
| BOØWY時代から現在に至るまで愛用されている、白黒の幾何学模様のフェルナンデス(後に、ネックや金属パーツなどをゾディアック・ワークス製に交換している)・テレキャスター(TEJ-HT)は、市販の数あるシグネイチャー・モデルのギターの中でも特に有名である。 |
| この模様は、布袋のトレードマークとして、ステージ衣装やアルバムのジャケットに使われたり、ソロ活動以降の「ギタリズム・マーク」書籍『よい夢を、おやすみ。 |
| 模様は、当時ESP製の一本しか持っていなかったテレキャスターをかっこよくしたいと思い、本気で描いた(当初は白いボディに黒ライン)と自身のTwitterで語っている。 |
| これは1987年にベルリンで入れたもので、当時BOØWY解散が決定し一時は音楽業界からの引退も考えたが、最終的に「自分は天国に行くまでギターを弾き続ける」と決意した際の誓いの証とのこと。 |
| 1986年1月に、歌手の山下久美子と結婚したが、1997年11月に離婚した。 |
| その後2004年、フライデーに、当時、保坂尚輝の妻であった高岡早紀との関係を写真付きで報じられマスコミを賑わせたが、今井美樹との関係が壊れることはなかった。 |
| 2007年10月、パンクロック歌手で芥川賞作家の町田康に暴行し軽傷を負わせたとして、木更津簡易裁判所より傷害罪で罰金30万円の略式命令を受けた。 |
| なお、暴行事件を起こした布袋を「布袋寅泰容疑者」ではなく「布袋寅泰氏」または「布袋ギタリスト」と呼称した一部マスコミも存在した。 |
| 2011年に東日本大震災で被災した宮城県南三陸町にボランティアとして訪れたことを明らかにしている |