| また、妲己の言うことは、おそろしいことでも全部聞き、行った。 |
| この時、帝辛は肉を天井から吊るし林に見立て、酒を溜めて池に見立て、ほしいままにこれらを飲み食いした。 |
| ここから度を過ぎた享楽の事を「酒池肉林」と呼ぶようになった。 |
| しかし、これは神を降ろす神事であったとする説もある。 |
| また、祭祀をおろそかにしたという説も、旧式の祭祀を改良し、簡略化させようとしていたとする見方もあり、真相は不明である。 |
| 帝辛の親戚に箕子と比干と言う賢人がいた。 |
| 箕子は帝辛が象牙の箸を作ったと聞き、「象牙の箸を使うなら陶器の器では満足できず、玉の器を作る事になるだろう。 |
| 玉の器に盛る料理が粗末では満足できず、山海の珍味を乗せる事になるだろう。 |
| このように贅沢が止められなくなってしまうに違いない。 |
| 」と危惧し、贅沢をやめるように諫言したが、帝辛はまったく受け入れず、誅殺を恐れた箕子は狂人の振りをして奴隷の身分になった。 |
| 比干は当時行われていた炮烙と言う残酷な刑罰をやめるように諫言した。 |
| 帝辛は怒り、「聖人の心臓には七つの穴が開いているという。 |
| それを見てやる。 |
| 」と言い、比干は心臓を抉り出されて死んでしまった。 |
| 当時、殷の最も重要な地位三公には諸侯の中の実力者である西伯昌(後の文王)、九侯、鄂公が就いていた。 |
| 九侯に美しい娘がいたので、帝辛はこれを妾にした。 |
| しかし、九候と鄂公に謀反の疑いがあると知り、九候を塩辛にして、鄂公は乾肉にする処刑を行い、九候の娘も処刑した。 |
| 西伯昌も謀反の疑いがあることを費仲が気づき、それを帝辛に助言し、帝辛は西伯昌を羑里と言う所に幽閉した。 |
| その後、西伯昌は財宝と領地を帝辛に献上して釈放された。 |
| 西伯昌が死に武王が立つと、ついに天下の諸侯は帝辛を倒すために立ち上がった。 |
| 武王は文王の位牌を掲げ、軍を起こした。 |
| しかし、天の声を聞いた武王は一旦兵は退いたが、その二年後再び軍を起こした。 |
| 両軍は牧野で激突した。 |
| この時殷軍は70万を超える大軍であったが、その軍は奴隷が多く占め、戦意は無いどころか武王がやってくるのを待ち望んでいたほどであったので殷軍は大敗した。 |
| 首都朝歌に撤退した帝辛は鹿台に上り、焼身自殺した。 |
| その死体は武王により鉞で首を断たれた。 |
| 後世、夏桀殷紂(かけついんちゅう)と呼ばれ夏の桀と共に暴君の代名詞となった。 |