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プロフィール
- 平原康多とは
- 経歴
- 主な獲得タイトル
- 競走スタイル
- エピソード
- 関連項目
平原康多(ひらはらこうた、1982年6月11日-)は日本競輪選手会埼玉支部に所属する競輪選手。埼玉県狭山市出身。日本競輪学校第87期卒業。師匠は太田耕二( 太田真一の兄)。ホームバンクは大宮競輪場。
経歴
| 競輪選手だった父親(平原康広)の影響から埼玉県立川越工業高等学校在学中より自転車競技を行い、ジュニア世界自転車競技大会等、国際大会の出場経験を持つ。 |
| やがて第87期生として入学した日本競輪学校では全生徒中、最終バック先頭回数が最も多かったことから、恵まれた体格も相まって同期の中で最も将来性がある生徒と目す関係者が少なくなかった。 |
| デビュー戦は2002年8月5日の西武園競輪場で迎え、初勝利も同日。 |
| 2年後の2004年1月よりS級へ昇進し、同年のヤンググランプリにも出場(7着)。 |
| 翌2005年のヤンググランプリでは、2センターから捲り追い込みをかけ、優勝した山崎芳仁を鋭く追い詰め2着。 |
| そして翌2006年あたりからGI、GIIの常連選手となっていく。 |
| 2006年8月に開催されたふるさとダービー(富山競輪場)では、本命を背負った武田豊樹を尻目にホームから果敢に先行し、さらに武田を捲り不発に追い込んで堂々逃げ切り優勝。 |
| また同年の全日本選抜競輪決勝では3着に入り、初のGI表彰台を経験した。 |
| 2007年は日本選手権競輪で決勝進出を果たしたが、主導権争いを演じていた村上義弘を最終ホーム通過付近で押し上げたことが原因で村上らを落車させたとして失格を取られる。 |
| その影響があってか、その後の競走では精彩を欠く場面も見られたが、同年の全日本選抜競輪決勝では、直線に入って優勝の山崎芳仁に対して4分の3輪差まで迫り2着に入った。 |
| 2007年のKEIRINグランプリ出場は逸したが、2008年の初代S級S班の18名に選出され、同年は安定した成績を挙げ、獲得賞金によりKEIRINグランプリにも初出場し井上昌己の2着に入賞する。 |
| 2009年は6月の高松宮記念杯決勝で武田豊樹の番手を回ることになり、武田の後ろから最終2センターより自ら先頭に出て山崎芳仁の猛追を振り切りGI初優勝を飾る。 |
| その後7月の寛仁親王牌決勝と9月のオールスター決勝では、共に平原-武田-神山雄一郎の並びで挑み、神山の連続2着と武田のオールスター優勝に貢献している。 |
| そして11月の競輪祭決勝では3番手の位置を確保した後に差し切って勝ち自力でGI2勝目を奪取した。 |
| 2010年の高松宮記念杯も決勝で武田豊樹の番手を回ったが、この時は武田との連携から最終バックの自力捲りに戦術を切り替え連覇を達成した。 |
主な獲得タイトル
| 2009年-高松宮記念杯競輪(大津びわこ競輪場)、朝日新聞社杯競輪祭(小倉競輪場)。 |
| 2010年-高松宮記念杯競輪(大津びわこ競輪場)。 |
競走スタイル
| 先行主体の自力選手として活躍しており、トップスピードに達してからの持久力には評価が高い。 |
| タイトルホルダーとなる前は失格などが原因で少々不振に喘ぐ時期もあり、少しのことで成績に左右されやすい側面も見受けられたが、精神面や模索していた大ギアの倍数が安定化しつつあり、関東の若手機動型としての地位を確立させている。 |
エピソード
| マスコミに対しての受け答えが非常に良いことから、いわゆる「シンパ」の記者が少なくない。 |
| 後閑信一が東京に移籍した理由の一つとして、平原との関係を一層深めたかったからという見方をする人もいる。 |
| 実際のところ、後閑が新たなホームバンクとした京王閣競輪場での記念開催では、連日平原は後ろに後閑を従えて主導権を奪う競走を心がけており、2007年と2009年の開催では後閑を優勝へと導いている。 |
関連項目
| 『2011年プロスポーツ年鑑』財団法人日本プロスポーツ協会、2011年、ISBN978-4-9905744-0-6。 |
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1982年
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平原 康多(ひらはら こうた、- )は日本競輪... |
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2002年
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デビュー戦はの西武園競輪場で迎え、初勝利も... |
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