| 2007年に髪を伸ばし今の容姿に。 |
| 同年3月4日にはウルティモ・ドラゴン、TAJIRIらが参戦した闘龍門MEXICO自主興行で行われた8人参加トーナメント「〜YAMAHAカップNWAインターナショナルJrチャンピオンシップトーナメント〜」でショッカーを破り優勝。 |
| 22年ぶりに復活したNWAインターナショナルジュニア王座を載冠した。 |
| それまで91kgだった体重を同年の6月に103kgまで増量。 |
| 8月26日「LASTOFC.T.U」興行で凱旋帰国予定だったが、棚橋弘至の欠場を受け日程が前倒しとなり、8月25日の大会で凱旋試合。 |
| ヘビー級転向を宣言した。 |
| 2007年の10月に両国国技館で付き人を勤めた天山広吉と対戦。 |
| 大流血の末、必殺の昇天で勝利。 |
| この試合で後藤が繰り出した変形バックブリーカー(牛殺し)で天山は頸椎負傷し長期欠場に。 |
| 11月にはついに棚橋弘至が持つIWGPヘビー級ベルトに初挑戦するが敗北。 |
| 2008年1月、4日の東京ドーム大会で7年8か月ぶりに新日本へ降臨したグレート・ムタと初遭遇を果たすが、ムーンサルトプレスであえなく敗北を喫した。 |
| 3月に行われたNEWJAPANCUP(NJC)では1回戦から棚橋弘至と対戦するが敗北。 |
| 同年8月にG1CLIMAXに初出場。 |
| 開幕前に「初出場・初優勝を狙う」と発言し注目を集める。 |
| 初戦の川田利明戦は敗北するも、その後は白星を重ね見事決勝進出を果たし、17日の決勝戦では真壁刀義と対戦。 |
| G・B・Hメンバーの介入やイス攻撃などにより流血を負いながらも最後は昇天・改で勝利。 |
| 2003年7月にデビューしてからわずか5年のキャリア、そして初出場ながら“夏男”の称号を獲得した。 |
| 8月31日、IWGPベルトの奪還を目標に後藤が敵地のリングにおもむき全日本プロレスでは史上2度目史上初は、2005年3月の小島聡(王者)VS中邑真輔(挑戦者)となるIWGPヘビー級王座戦が行われ、王者武藤敬司に挑戦。 |
| しかしムーンサルトプレスで敗退しIWGPベルト新日本への奪還に失敗した。 |
| その後、真壁刀義、矢野通が所持するIWGPタッグ王座に的を絞り、9月5日に中邑真輔とタッグを組み挑戦。 |
| ところが、試合終盤同じRISEメンバーだったはずのジャイアント・バーナードとリック・フーラーが乱入しG・B・Hと結託。 |
| 最後は真壁のキングコングニー・ドロップを受け惨敗。 |
| 試合後、G・B・H勢とバーナード、フーラーに袋叩きされるもここで救出に駆けつけた棚橋弘至と握手を交わし本隊と共に打倒G・B・Hをアピールする。 |
| 10月13日にバーナードと一騎打ちを行うがセコンドの介入があり最後はバーナードライバーに沈んだ。 |
| 2009年の1月にプロレスリング・ノア対抗戦に出陣。 |
| 中邑と共に“ノアの象徴”三沢光晴、杉浦貴組と対戦。 |
| 最後は中邑が杉浦を飛びつき式腕ひしぎ逆十字固めで捕獲しタップを奪った。 |
| 「文句があるならいつでもやってやる」という中邑の発言に対し、三沢もホームアウェイ問わず団体対抗戦継続の意思を表した。 |
| 3月に行われたNJCは。 |
| 1回戦でカール・アンダーソンを、2回戦は中邑、準決勝で永田裕志に勝利し、決勝戦でジャイアント・バーナードを変型腕固め(昇龍結界)でギブアップ勝ちを収め、昨年のG1優勝に続き春夏連覇を果たした。 |
| 5月になると8年振りに“レスリングどんたく”と冠が付けられ、3年ぶりに開催した福岡国際センターでNJC覇者として棚橋弘至とIWGPヘビー級王座を賭けて再び対戦。 |
| 3度目の正直を誓うもハイフライフローであえなく敗戦。 |
| 5月5日では岡田かずちかと組み、杉浦貴、青木篤志組とNOHA勢との対抗戦を行う。 |
| 最後は岡田が杉浦のオリンピック予選スラムで轟沈。 |
| その後6月20日に杉浦とのシングルマッチが組まれたが、敗北。 |
| さらに8月のG1CLIMAX2009公式戦で再び対決するも、最後は雪崩式オリンピック予選スラムで惨敗。 |
| この敗戦で予選リーグ敗退となり夏2連覇の夢が潰えた。 |
| それから程なくして真壁刀義と組み矢野通、ZERO1の田中将斗とハードコアルールマッチで対戦。 |
| 今年のG1覇者と昨年の覇者の強力タッグだったが、矢野と田中が凶器をうまく使いこなし、終始ペースを握った。 |
| 最後は田中のスライディングDの前に撃沈した。 |
| リベンジを誓うべく11月8日、田中とのシングルマッチに挑むも、最後は側頭部へのスライディングDを喰らい敗戦。 |
| 「もう一回やらしてくれ」と後藤はさらに再戦を要求し、12月ついに田中から昇天3連発でピンフォール勝ちを収めた。 |
| 2010年の1月から杉浦貴とGHCヘビー級王座を賭けて対戦するも足首固めで敗退し3連敗を喫した。 |
| 2月にはハードコアルールで再び田中将斗と対戦。 |
| エルボーパッドに鉄パイプを仕込んだスライディングDを喰らい敗北。 |
| 3月のNJCでは前年度優勝者だったことからシード権を獲得し出場。 |
| 初戦は高橋裕二郎に勝利、準決勝で田中将斗を撃破し、決勝戦で真壁刀義と対戦。 |
| これに勝利し史上初となるNJC2連覇を達成した。 |
| 4月4日、IWGPヘビー級王者中邑真輔に挑戦するも敗北。 |
| 試合終了後のバックステージに田中が現れ再戦を要求される。 |
| 5月3日、博多で田中と4度目の対戦を行い、昇天・改で勝利し田中との抗争の星を2勝2敗の5分にする。 |
| 10月11日に両国で中邑に勝利しIWGPへ名乗りを上げるが、チャンピオンの小島聡は中邑を直接指名。 |
| 新日プロレスの管林社長は後藤を次期挑戦者に推するも小島は拒否し続け、結局会社側が小島指名をのみ、中邑が挑戦者になる。 |
| 後藤は棚橋弘至とのIWGP次期挑戦者決定戦に挑む事になった。 |
| 12月11日の大阪で棚橋を相手にIWGP次期挑戦者決定戦に挑むも敗北。 |
| 2011年1月4日、東京ドームのレッスルキングダムにて、12月に一時帰国した岡田かずちかをタッグパートナーに、杉浦貴、高山善廣組と対戦するも、岡田が高山のエベレストジャーマンで敗北。 |
| 2月20日の仙台大会で、「(後藤がIWGPヘビー級ベルトを逮冠していない事実に対して)あんたは新日の四天王にふさわしくない」と発言し真っ向から後藤を全否定した、内藤哲也と対戦。 |
| その後3連覇達成を目指しNJCに出場するも、中邑真輔に敗れ初戦で敗退、3連覇実現は失敗に終わる。 |
| また、タッグを組んでいた棚橋と確執が発生、試合後棚橋にヘッドバッドをお見舞いし、単身メキシコのCMLLに修業へ向かった。 |
| 同年4月29日CMLLでウルティモ・ゲレーロの持つCMLL世界ヘビー級王座に挑戦。 |
| 5月3日のレスリングどんたくに合わせて帰国、CMLL時の黒袴姿を新コスチュームに纏い、新しい入場曲に乗りタマ・トンガをパートナーにし出場、の杉浦貴、橋誠組と対戦。 |
| 昇天・改で橋から3カウントを奪う。 |
| また同日のメインイベントIWGP戦終了後、棚橋弘至に頭突きをお見舞いして挑戦者表明。 |
| 試合終了後にジャイアント・バーナードが、棚橋にIWGPヘビー級ベルトへの挑戦表明。 |
| 棚橋が会場のコールに乗り後藤に手を差し伸べ、後藤が棚橋と握手し3月の確執をあっさり清算し棚橋、後藤組で挑戦する意思を見せた。 |
| 7月3日、公約通りに棚橋と共にBADINTENTIONSのIWGPタッグに挑戦するも後藤がアンダーソンのガン・スタンで沈み敗北。 |
| 8月のG1は、優勝戦線のトップに喰いつき続けたが、最終戦のストロングマンに敗れ、予選リーグ敗退。 |