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プロフィール
得能 関四郎(とくのうかんしろう、せきしろう、1842年(天保13年)1月15日-1908年(明治41年)7月17日)は、幕末から明治時代の武士、剣術家、警察官。名は通久。
概要
| 上野国沼田藩藩士・得能隼人の子。 |
| 生まれは沼田であったとも、芝江戸見坂の藩邸であったともいわれる。 |
| 1856年(安政3年)、15歳で芝愛宕に道場を構える藩の剣術指南役・直心影流の長沼恂教(笑兵衛)に入門。 |
| 1862年(文久2年)、21歳で免許皆伝。 |
| 明治維新後、東京府の市中取締役となる。 |
| 1880年(明治13年)、警視庁に採用され、警護掛に任命される。 |
| 撃剣世話掛として警視流の制定に関わる。 |
| 1882年(明治15年)7月6日、吹上御苑での天覧試合で柿本清吉(警視庁)に勝つ。 |
| 1883年(明治16年)11月4日、向ヶ岡弥生社撃剣大会で磯貝昇(憲兵)に勝つ。 |
| 同年12月、関西剣客代表との対抗戦で高山峰三郎(滋賀県警察部)に負ける。 |
| 1884年(明治17年)6月22日、宮内省済寧館大会で松崎浪四郎と引き分ける。 |
| 同年11月8日、向ヶ岡弥生社全国撃剣大会で松崎と再度対戦し、勝つ。 |
| 小手で勝つことが多く、小手打ちの名人と言われた。 |
| 1886年(明治19年)2月10日、鹿鳴館舞踏会で外務卿井上馨の警護中、木刀や真剣を持った集団が襲いかかってきたため、持っていたステッキで応戦した。 |
| 逮捕された犯人は11人、そのほとんどが手首を砕かれていた。 |
| フロックコートの剣士として有名になり、それ以来、剣道の審判の際もフロックコートを着用するようになる。 |
| 1895年(明治28年)10月、大日本武徳会演武大会で奥村左近太に勝つ。 |
| 1903年(明治36年)5月、大日本武徳会より第一回の剣道範士号を授与される。 |
| 真貝忠篤、根岸信五郎とともに「東都剣道界の三元老」と称された。 |
| 1908年(明治41年)7月17日早朝、自宅の寝室で血まみれになって死亡しているのを発見される。 |
| 検視の結果、短刀で喉を掻き切ったあと、刃に付いた血を指で拭い、鞘に納めてから絶命したと判明した。 |
| 傷の深さは1寸、幅は1寸2分であった。 |
| 遺書はなかったが、この年の3月頃から卒中を患っていたため、病気を苦にしての自殺と推定された。 |
略年譜
| 1842年(天保13年)-沼田藩藩士の子として生まれる。 |
| 1856年(安政3年)-藩の剣術指南役・直心影流の長沼恂教(笑兵衛)に入門。 |
| 修行の間に塾頭を務めている。 |
| 1862年(文久2年)-免許皆伝。 |
| 1871年(明治4年)-廃藩後、東京で市中取締役として勤務。 |
| 1880年(明治13年)-警視庁に雇用、警護掛に任命される。 |
| 1882年(明治15年)-吹上御苑での天覧試合で柿本清吉に勝利。 |
| 1883年(明治16年)-向ヶ岡弥生社撃剣大会で磯貝昇に勝利。 |
| 1883年(明治16年)-警視庁撃剣世話掛と関西剣客代表との対抗戦で高山峰三郎に完敗。 |
| 1884年(明治17年)-宮内省済寧館大会で、松崎浪四郎に引き分ける。 |
| 同年、向ヶ岡弥生社での全国大会で松崎浪四郎に勝利。 |
| 1895年(明治28年)-大日本武徳会演武大会で奥村左近太に勝利。 |
| 1903年(明治36年)-大日本武徳会より剣道範士号を授与される。 |
| 1908年(明治41年)-短刀で自殺。 |
| 病気を苦にしての自殺といわれる。 |
参考文献
| 『剣の達人111人データファイル』(新人物往来社)。 |
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つながりの強いひと
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松崎浪四郎
江戸時代後期から明治時代の武士、剣術家。名は直之。一本目は必ず取ると言われたほどの達人であった。 |
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上田馬之助
幕末から明治にかけての武士、剣術家、警察官。別名は上田馬之丞、上原馬之介、植原右馬之助。新選組隊士の上田馬之助は同姓同名の別人である。 |
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奥村左近太
幕末から明治の武士、剣術家、奥村二刀流の創始者。名は寅吉。 |
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高野佐三郎
日本の剣道家(中西派一刀流剣術、大日本武徳会剣道範士)。諱は豊正。号は靖斎。武蔵国秩父郡(現埼玉県秩父市)に生まれる。幼年時から祖父で忍藩剣術指南... |
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山田次朗
あす2日(日)と3日(祝)に富岡公民館で開催される富岡公民館まつり(地区文化祭)に合わせて、郷土の生んだ偉人/剣聖・山田次朗吉企画展を旧同市農協下郡支店2... |
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榊原鍵吉
幕末から明治にかけての武士、剣術家。諱は友善(ともよし)。男谷信友から直心影流男谷派剣術を継承した。明治維新後に撃剣興行を主宰して剣術家を救済した... |
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日正
大石寺第57世法主。阿部姓。大石寺第66世日達の師範。 |
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根岸信五郎
幕末から明治にかけての武士、剣術家、剣道家。諱は資剛。 |
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島田虎之助
まず心より学べ」という言葉が知られている。 |
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謝花昇
沖縄自由民権運動の父と称される人物である。沖縄県島尻郡東風平町(現在の八重瀬町)出身。東京帝国大学農科大学卒業。沖縄県最初の学士でもある。 |
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下江秀太郎
幕末の剣術家、明治時代の警察官。「鬼秀」、「日本一の突きの名人」と呼ばれた。明治中期の警視庁の剣客の中で最強であったとも評される。 |
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市川量造
市川量造(いちかわりょうぞう 1844年-1908年)は元長野県議会議員、元信飛新聞社社長、元下横田町戸長、啓蒙家。1872年に松本城が競売にかけられた際に買い... |
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那珂通世
南部藩出身の明治時代の歴史学者、文学博士。東洋史の概念を初めて生んだとされる人物。 |
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星野長太郎
日本の実業家・政治家。衆議院議員当選1回(当初は甲辰倶楽部で、後の大同倶楽部に所属)。 |
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今井信郎
幕末から明治時代初期に活躍した武士(幕臣)。京都見廻組に参加しており、近江屋事件で暗躍したとされている。維新後は、明治11年(1878年)に榛原郡初倉(... |
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男谷信友
男谷信友(おたにのぶとも、寛政10年1月1日(1798年2月4日)-元治元年7月16日(1864年8月17日))は幕末の幕臣、剣客。直心影流男谷派を名乗った。門下から、島田... |
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中山博道
日本の武術家、武道家。幼名は於兎吉、別名は根岸資信。神道無念流第7代宗家、夢想神伝流居合開祖、神道夢想流杖術継承者で、剣道・居合道・杖道の範士。また... |
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得能関四郎さんについてのひとこと紹介
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