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つながりの強いひと
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徳川家光
役
江戸幕府の第3代将軍(在職:1623年-1651年)である。2代将軍秀忠の次男(嫡男)で、母は浅井長政の娘で織田信長の姪にもあたる江であった。乳母は春日局(福... |
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徳川秀忠
親
安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府第2代征夷大将軍。 |
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春日局
安土桃山時代から江戸時代前期の女性で、江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母。「春日局」とは朝廷から賜った称号。父は美濃の名族斎藤氏(美濃守護代)の一族で明... |
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浅井長政
母
戦国時代の武将。北近江の戦国大名。浅井家の3代目にして最後の当主。浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏... |
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竹千代
竹千代 プロフィール ブログ なう ピグの部屋 ペタをつける アメンバーになる メッセージを送る プレゼントを贈る 最新のなう 「薬剤のパワ... |
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保科正之
江戸時代の大名。会津松平家初代、陸奥会津藩初代藩主。江戸幕府第3代将軍徳川家光の異母弟で、家光と4代将軍家綱を補佐し、幕閣に重きをなした。 |
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崇源院
母
安土桃山時代から江戸時代初期の女性。一般には江(ごう)、小督(おごう)、江与(えよ)として知られる。位階は従一位。浅井長政の三女で、母は織田信秀の... |
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千姫
安土桃山時代から江戸時代の女性。豊臣秀頼・本多忠刻の正室。父は徳川秀忠、母は継室の江。号は天樹院。祖母は西郷局、母方の祖父は浅井長政。伯母は淀殿(... |
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松平長七郎
江戸幕府の第3代将軍徳川家光の弟・徳川忠長の子とされる架空の人物。諱は長頼(ながより)。伝説上は徳川忠長の遺児で母親は鷹司家の出とされているが、忠長... |
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土井利勝
安土桃山時代の武将。江戸時代前期の譜代大名であり、江戸幕府の老中・大老である。下総国小見川藩主、同佐倉藩主、同古河藩初代藩主。土井家宗家初代。徳川... |
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徳川頼宣
徳川家康の十男で、常陸国水戸藩、駿河国駿府藩、紀伊国和歌山藩の藩主を歴任して紀州徳川家の祖となる。母は側室の養珠院(お万の方)である。八代将軍徳川... |
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徳川綱重
徳川綱重(とくがわつなしげ)は甲斐甲府藩主。江戸幕府3代将軍・徳川家光の三男。母は側室の夏(順性院)、養母は天樹院(千姫)、乳母は松坂局。 |
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徳川義直
江戸時代前期の大名。尾張藩の初代藩主で、尾張徳川家の始祖である。 |
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朝倉宣正
安土桃山時代から江戸時代前期の武将。駿河国安倍郡柿島の出身。徳川氏に仕え、徳川忠長(駿河大納言)の御附家老となった。妻の朝倉局は忠長の乳母をつとめ... |
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徳川綱吉
徳川徳松、鶴姫。俗に、柳沢吉里が綱吉の落胤であるといわれるが、実際には疑わしい。 |
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織田信良
安土桃山時代、江戸時代の武将、大名。上野小幡藩の初代藩主。織田信雄の四男。母は木造具政の娘。幼名は勝法師。諱は信良。仮名(通称)は因幡守、兵部少輔。... |
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豊臣秀頼
日本の安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。天下人。豊臣秀吉の次男。母は側室の茶々(淀殿)。子は側室和期の方(名は伊茶。渡辺氏)との間に国松... |
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豊臣完子
安土桃山時代・江戸時代の人物。豊臣(羽柴)秀勝の娘で、九条幸家の正室。従三位。豊臣(羽柴)秀吉の養子・羽柴秀勝(秀吉の姉・日秀の次男、三好小吉)、... |
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南條範夫
小説家、経済学者。本名、古賀英正。東京市出身。「條」は旧字のため南条範夫とも表記される。 |
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初姫
安土桃山時代から江戸時代初期の女性。徳川秀忠の四女。小浜藩主京極忠高の正室。号は興安院。母は継室の江。忠高とは又従兄妹の関係に当たる。徳川家光は弟... |
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プロフィール
- 徳川忠長とは
- 略歴
- 改易の理由
- 年譜
- 主な家臣
- 参考文献
- 徳川忠長が登場する作品
- 関連項目
徳川忠長(とくがわただなが)は、江戸時代初期の駿府藩主。江戸幕府第2代将軍・ 徳川秀忠の三男。母は 浅井長政の娘で正室の江。同母兄に第3代将軍・ 徳川家光。極位極官が従二位 権大納言で、領地が主に駿河国であったことから、通称は駿河大納言。誕生日は5月7日説、6月1日説、12月3日説など諸説がある。5月7日は異母弟 保科正之の、12月生まれは異母兄長丸の誕生日が誤伝したと考えられるため、6月1日が有力だろうと思われる。
略歴
| 慶長11年(1606年)江戸城西の丸にて生まれる。 |
| 乳母として朝倉局(土井利勝妹、朝倉宣正妻)が附けられたという。 |
| 父の秀忠や母の江は、病弱で吃音であった兄・竹千代(家光)よりも容姿端麗・才気煥発な国松を寵愛していたとされ、それらに起因する竹千代擁立派と国松擁立派による次期将軍の座を巡る争いがあったとされる。 |
| この争いはのち、春日局による家康への直訴(異説あり)により竹千代派の勝利に終わった。 |
| 元和2年(あるいは元和4年1618年)9月に甲府藩23万8000石を拝領し、甲府藩主となる(『甲斐国志』による)。 |
| のち信州の小諸藩も併合されて領地に加えられた。 |
| 藩主就任に際し、朝倉宣正や郡内地方を治めていた鳥居成次ら附家老を中心とした家臣団が編成され(『武徳編年集成』による)、のちに武田遺臣や大久保長安配下の代官衆らがこれに加えられた。 |
| 元服前かつ幼少であった忠長が実際に入甲することはなく、藩の運営はこれら家臣団や代官衆により行われた。 |
| 元和6年(1620年)9月に家光とともに元服し、名を忠長と改める。 |
| 元和9年(1623年)7月、家光の将軍宣下に際し中納言に任官。 |
| 寛永元年(1624年)7月には駿河国と遠江国の一部(掛川藩領)を加増され、駿遠甲の計55万石を領有し、家光に迫る権力を有した。 |
| なお、その際に小諸藩領は領地から外されている(のちに松平憲良が入封)。 |
| 寛永3年(1626年)に大納言となり、後水尾天皇の二条行幸の上洛にも随行する。 |
| なお、「会津松平家譜」によると忠長は正之に徳川家康の遺品(葵紋入り)などを与えたたり、年代不詳ながら正之に復姓を進めたりしたとされる。 |
| 寛永8年(1631年)5月に、不行跡(家臣1名もしくは数人を手討ちにしたとされる)を理由として甲府への蟄居を命じられる。 |
| その際、秀忠側近の崇伝らを介して赦免を乞うが許されず、翌寛永9年の秀忠の危篤に際して江戸入りを乞うたがこれも許されなかった。 |
| 秀忠死後、甲斐府中に台徳院殿(秀忠)供養の寺院建立や、加藤忠広改易の際に風説を流布したとして改易となり、領国全てを没収され、安藤重長に預けられる形で高崎(上野国)へ逼塞の処分が下される。 |
| また、その際に朝倉、鳥居も連座して改易処分されている。 |
| 翌寛永10年、幕命により同地において自害した。 |
| 法名は峰巌院殿前亜相清徹暁雲大居士。 |
| 墓所は群馬県高崎市通町の願行山常巌院大信寺。 |
| 子には松平長七郎(長頼)がいると伝えられているが、実子の存在は資料上確認されていない。 |
| また、母・江の伯父・織田信長に顔立ちがよく似ていたといわれている。 |
| ※松平長七郎(長頼)は松平忠直が配流先で生んだ永見長頼ではないかとされ、史料上では忠長の実子は確認できない。 |
改易の理由
| 改易の表向きの理由は前述の通り不行跡であるが、本質的には幕府権力の確立・強化などを目的とした、当時の幕府による大名廃絶政策(詳細は『改易』を参照)がその理由としてあげられる。 |
| 忠長の場合は改易に至る過程として、江戸と駿府の両方に将軍がいるといわれるほどであった幕府・将軍家に対する不遜とも取れる言動もその一因としてあげられ、同様に改易された松平忠輝や松平忠直のようになるという風聞もあった(『細川家史料』による)。 |
| また、家光との間に確執があり、それが改易のみならず自害という過酷な処分の一因となったとする説もある。 |
| なお、従来より流布されている家臣や領民の無差別な殺害や、殺生が禁じられていた静岡浅間神社での猿狩りとその後の度を超えた狂乱ぶりが幕府に咎められたとする説は、そのほとんどが信憑性の低い伝聞や伝承が元となっており、従来からある暗君像をステレオタイプ的に忠長に当てはめたものである可能性が高い。 |
| 猿狩りについても、猿による農作物被害に悩まされていた領民のために行ったという側面があり、暗君像をより強調するため不正確な伝聞や伝承が物語的に後付けされたものとされる。 |
年譜
| 慶長11年:生誕。 |
| 元和4年(1618年):1月11日、甲府藩主20万石を知行。 |
| 元和6年(1620年):8月22日、従四位下参議左近衛権中将。 |
| 元和9年(1623年):7月27日、従三位権中納言。 |
| 寛永元年(1624年):駿河国・遠江国・甲斐国で55万石を領有する。 |
| 寛永3年(1626年):8月19日、従二位権大納言となる。 |
| 寛永8年(1631年):5月、甲府(甲斐国)へ蟄居を命ぜられる。 |
| 寛永9年(1632年):10月20日、改易。 |
| 寛永10年(1633年):12月6日、配流地の高崎(上野国)で自害。 |
主な家臣
| 朝倉宣正(附家老、朝倉宣親が継ぐ)。 |
| 鳥居成次(附家老、鳥居忠房が継ぐ)。 |
| 屋代秀正(附家老、屋代忠正が継ぐ)。 |
| 松平忠勝-大番士の中から将軍秀忠によって朋輩53名とともに選抜され忠長に仕える。 |
| 土岐頼泰(旗本土岐頼次三男)。 |
| 山名豊晴-初名豊信、兵庫。 |
| 忠長改易時に息子と共に内藤忠興に預けられる。 |
| 息子は忠興に仕えた。 |
| 原重久-原虎胤の四男重胤の子。 |
| 忠長に仕えて代官となる。 |
| 忠長改易に連座して子の重国とともに追放されるが、寛永13年(1636年)12月10日赦免されて御家人格で大番に列する。 |
| 寛永15年(1638年)12月1日、禄二百俵を賜って旗本に列した。 |
| 大久保忠尚-将監。 |
| 忠長改易後、息子長次郎とともに他家に預りとなった。 |
| 森山盛治-本多正信の麾下で大阪冬・夏の陣に出陣。 |
| その後忠長に付属された。 |
| 忠長改易後は将軍家光に仕えた。 |
| 仙石久形-右兵衛・主水。 |
| 忠長に仕えたが、朋輩に殺害され嗣子なく家は断絶した。 |
参考文献
| 平山優「江戸幕府確立期の甲斐とその支配」『山梨県史通史編3近世1』。 |
| 飯沼関弥「会津松平家譜」(昭和13年(1938年))。 |
徳川忠長が登場する作品
| 「柳生一族の陰謀」(1978年)役:西郷輝彦。 |
| 「春の坂道」(NHK大河ドラマ、1971年)役:舟木一夫。 |
| 「徳川三国志」(NETテレビ、1975-1976年)役:田村正和。 |
| 「柳生一族の陰謀」(フジテレビ、1979年)役:西田健。 |
| 「大奥」(フジテレビ、1983年)役:伊勢将人→金田賢一。 |
| 「風雲江戸城怒涛の将軍徳川家光」(テレビ東京、1987年)役:荻島真一。 |
| 「春日局」(NHK大河ドラマ、1989年)役:岩下謙人→橋本光成→雨笠利幸→斉藤隆治。 |
| 「徳川武芸帳柳生三代の剣」(テレビ東京、1993年)役:堤真一。 |
| 「葵徳川三代」(NHK大河ドラマ、2000年)役:向江流架→今村優太→飯塚恭平→高杉瑞穂。 |
| 「大奥第一章」(フジテレビ、2004年)役:長島弘宜→浜田学。 |
| 「天下騒乱〜徳川三代の陰謀」(テレビ東京、2006年)役:海東健。 |
| 「闇の土鬼」(横山光輝)。 |
| 「シグルイ」(原作:南條範夫、作画:山口貴由)。 |
関連項目
| 島津家久※慶長末年頃、まだ実子がいなかったときに忠長を養子にしようと画策した。 |
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1626年
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大納言となり、後水尾天皇の二条行幸の上洛に... |
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1631年
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不行跡(家臣1名もしくは数人を手討ちにした... |
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