| 懐帝・太子が平陽に連行される。 |
| 司馬鄴は舅の荀籓・荀組と共に豫州に逃れる。 |
| 豫州刺史の閻鼎が司馬鄴を長安に擁立しようとし、司馬鄴は閻鼎らと宛から武関を経由して関中に逃れる。 |
| 雍州刺史の賈疋が閻鼎からの要請に応じ、護衛を派遣する。 |
| 12月、司馬鄴は雍城に入る『資治通鑑』巻87晋紀、孝懐皇帝中。 |
| 永嘉6年(312年)4月、司馬鄴は雍城から長安に移る『資治通鑑』巻88晋紀、孝懐皇帝下。 |
| 9月、皇太子に擁立される。 |
| 賈疋に征西大将軍を加え、秦州刺史の南陽王司馬保を大司馬とする。 |
| 賈疋が張連と戦い敗死、始平太守の麹允が雍州刺史を代行する。 |
| 建興元年(313年)夏4月、懐帝死去の知らせを受け、皇帝に即位。 |
| 衛将軍の梁芬を司徒、雍州刺史の麹允を使持節・領軍将軍・録尚書事に、京兆大守の索綝を尚書右僕射に任命する。 |
| 5月、鎮東大将軍の琅邪王司馬睿を侍中・左丞相・大都督陝東諸軍事とし、大司馬の南陽王司馬保を右丞相・大都督陝西諸軍事とする。 |
| 建興2年(314年)2月、司空の王浚を大司馬に、衛将軍の荀組を司空に、涼州刺史の張軌を太尉に任じ、西平郡公に封じる。 |
| 并州刺史の劉琨を大将軍に任じる。 |
| 3月、前趙の部将石勒が幽州を攻略し、大司馬・幽州牧の王浚が殺害される。 |
| 5月、太尉・涼州刺史・西平公の張軌が死去。 |
| 7月、前趙の部将劉曜・趙冉らが長安に侵攻し、麹允がこれを迎撃、趙冉を戦死させる。 |
| 建興3年(315年)2月、左丞相・琅邪王の司馬睿を大都督・督中外諸軍事・右丞相に、南陽王の司馬保を相国に昇進させた。 |
| 司空の荀組を太尉に、大将軍の劉琨を司空に任命する。 |
| 9月、劉曜が北地に侵攻し、領軍将軍の麹允が迎撃した。 |
| 10月、豫州牧・征東将軍の索綝を尚書僕射・都督宮城諸軍事に任命する。 |
| 12月、涼州刺史の張寔が皇帝行璽一紐をよこしてくる。 |
| 建興4年(316年)7月、劉曜が北地に侵攻し、麹允は步兵と騎兵3万を率いて救援に向かったが、戦わずして軍が崩壊し、北地太守の麹昌は長安に逃亡する。 |
| 8月、劉曜の軍が長安を孤立させる。 |
| 長安では食料不足により、人同士が食らい合い、多くの死者が出たことから、11月、愍帝は侍中の宋敞を劉曜に派遣して降伏、平陽に連行される。 |
| 愍帝は劉聡により光禄大夫・懐安侯とされる。 |
| 建興5年317年3月、琅邪王の司馬睿が承制して建康にて晋王を称す。 |
| 12月、愍帝、劉聡に平陽で殺害される。 |