66355
66753
1808933
%E6%96%87%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B%E5%A6%83%E7%B4%80%E5%AD%90
%E6%96%87%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B%E5%A6%83%E7%B4%80%E5%AD%90
%E6%96%87%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B%E5%A6%83%E7%B4%80%E5%AD%90
%E6%96%87%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B%E5%A6%83%E7%B4%80%E5%AD%90
%E6%96%87%E4%BB%81%E8%A6%AA%E7%8E%8B%E5%A6%83%E7%B4%80%E5%AD%90
0
|
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 文仁親王妃紀子とは
- 結婚以前
- 秋篠宮妃
- 年譜
- 子女
- 逸話
- 家系
- 訳書
- 備考
- 関連サイト
文仁親王妃紀子(ふみひとしんのうひきこ、1966年(昭和41年)9月11日-)は、日本の皇族で、 秋篠宮文仁親王の妃。旧名、 川嶋紀子(かわしまきこ)。身位は 親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は 檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)。勲等は勲一等宝冠章。学位は修士(心理学)(学習院大学・1995年)。
結婚以前
| 1966年(昭和41年)9月11日、川嶋辰彦・和代夫妻の長女として静岡県静岡市で誕生。 |
| 父がペンシルベニア大学大学院に留学したことから、6歳までアメリカで過ごす。 |
| この間に自由学園幼児生活団(幼稚園)通信グループを卒園。 |
| 父の仕事の都合から、小学校の転編入を繰り返す。 |
| 1976年(昭和51年)、父が学習院大学教授に就任したことから、学習院初等科へ編入。 |
| しかし、翌年の1学期を終えた段階で、父がオーストリアウィーン郊外ラクセンブルクにある国際応用システム分析研究所(IIASA)の主任研究員に招かれたため、一家で渡墺。 |
| 約2年間を同地で過ごす。 |
| 1979年(昭和54年)9月、日本へ帰国。 |
| 学習院女子中等科へ編入し、学習院女子高等科に進む。 |
| 女子高等科時代には、クラスで選ばれて厚生委員を務め、街頭に立ってハンセン氏病患者を始め恵まれない人たちへの募金を呼びかけたり、身体障害者の人たちが作った絵葉書をすすめる活動をしている。 |
| 1985年(昭和60年)、学習院大学文学部心理学科へ入学。 |
| 大学構内の書店で、1年先輩の礼宮文仁親王(当時)と出会う。 |
| サークル活動を通して交際を深めた。 |
| 1986年(昭和61年)6月26日に、文仁親王から求婚を受けるが即答は避けた。 |
| 一方でスキャンダルとして報道されるのを防ぐため、友人達の協力を得て、わざと離れて写真に写ったりしていた。 |
| 早い段階から宮中にも招かれ、皇太子明仁親王(当時)らとも面会していた。 |
| 礼宮が主宰するテニスサークルでは、皇太子明仁親王、美智子妃(当時)らと連合ダブルスの試合をしたこともあった。 |
| 明仁親王は、「キコちゃん」と気さくに呼びかけ、自然に皇太子一家の中にとけ込んで行った産経新聞1989年8月27日。 |
| 大学では礼宮との出会いの場となった自然文化研究会のほか、心理研究会、手話サークルに所属。 |
| 手話は、文化祭で手話劇を観て感動して始めた。 |
| 言葉が不自由な学生に付き添って講義を受け、通訳をしたりノートを取ったりもしていた。 |
| 身障者の車椅子を押したり、自閉症の子どもの面倒を見るなどのボランティア活動も行っている。 |
| また、大学内外の国際交流団体で留学生の世話をしたり、アジア問題など興味を持つ分野の講義を、他大学で聴講したこともあった。 |
| 婚約内定の報道がなされた際、社内の表記基準に従い新漢字の「川島」と報道した媒体も存在したが、宮内庁関係者などからの強い要望もあり、戸籍名の「川嶋」に表記を改めた静岡新聞1989年8月27日。 |
| 1989年(平成元年)、学習院大学を卒業し同大学院進学、社会心理学を専攻する。 |
| 同年8月26日、婚約内定が報道される。 |
| 9月12日に開かれた皇室会議において全会一致で可決され、同日午後記者会見を行なった。 |
| 平成改元後初の慶事であり、若々しい二人の結婚は国民から祝福された讀賣新聞1989年8月27日 社説「皇室にとっては久しぶりの慶事である。 |
| 心からお祝いを申し上げたい」。 |
| 昭和天皇の喪が明けた1990年(平成2年)1月12日に納采の儀が執り行われ、正式に婚約が成立した。 |
| 当時の住居が学習院大学教職員用の共同住宅だったことから、マスコミは3LDKのプリンセスと彼女を呼んだ。 |
| 一般家庭から誕生した初々しい彼女の姿は好感を与え、多くの雑誌で特集され、さらに関連書籍・アニメがつくられるなど、「紀子さんブーム」とも呼べる現象となった。 |
| 同年、6月29日に結婚の儀が行なわれ、これに伴い戸籍から消除され、皇族譜に記載される。 |
| 240px|thumb|left|1990年(平成2年)6月29日、自宅を出発する際に。 |
秋篠宮妃
| 翌1991年(平成3年)10月23日、眞子内親王が誕生。 |
| 1994年(平成6年)12月29日には、佳子内親王誕生。 |
| しかし、皇太子夫妻に遠慮をとの声もあり、その後は長らく子が誕生しなかった。 |
| 敬宮愛子内親王の誕生以降、皇太子夫妻に懐妊の兆候が無く、皇室は男系男子による相続が絶える危機に直面していた。 |
| 2003年(平成15年)12月には湯浅利夫宮内庁長官が、「皇室の繁栄を考えると、(秋篠宮ご夫妻に)第三子を強く希望する」と発言。 |
| 2006年(平成18年)の歌会始では、夫妻ともに昨2005年(平成17年)9月24日のコウノトリ放鳥に関する和歌を詠んだが、コウノトリは赤ん坊をもたらすシンボルである事から、夫妻にも第三子を望む気持ちがあったと考えられる。 |
| 2004年(平成16年)からは皇室典範に関する有識者会議により女性・女系天皇容認の議論が進む中、2006年(平成18年)2月7日、紀子妃の懐妊がスクープされる。 |
| 夫である秋篠宮に直接報告をする前の報道となり、紀子妃は動揺を受けた。 |
| その後2月25日に宮内庁から懐妊が正式発表された。 |
| しかし、同年7月18日、部分前置胎盤による大量出血の危険性を考慮して、皇族としては初となる帝王切開による出産が実施されることが宮内庁より発表された |
| 特に、皇后は紀子妃の身を非常に案じたと言う。 |
| 8月16日より、東京都港区の愛育病院に入院。 |
| {{要出典範囲|前日には一家で記念撮影をしており、紀子妃の覚悟がうかがえる。 |
| 9月6日午前8時27分、悠仁親王を出産。 |
| 身長48.8cm、体重2558g部分前置胎盤の場合、胎盤の位置によっては通常分娩できることもあるが、本ケースの場合は全前置胎盤に近い状態であったため、主治医の中林正雄ら医師団は「自然分娩はリスクが大きいと判断した」と報道されている |
| 2009年に日本学術振興会が、出産や育児で研究を中断させた女性の研究員を研究現場に復職させるために設けた制度を適用し、「名誉特別研究員」となって研究活動を再開する。 |
| お茶の水女子大学が紀子の受け入れ先となり、公務の合間を縫って研究室に通い、そのつど、専門の教授らを招いて研究を深めている。 |
| 積極的に、皇后の姿を見習い、近づこうとしている。 |
年譜
| 1966年(昭和41年)9月11日、川嶋辰彦・和代夫妻の長女として誕生。 |
| 1985年(昭和60年)4月(18歳)、学習院大学・文学部心理学科入学。 |
| 1989年(平成元年)4月(22歳)、学習院大学卒業。 |
| 1990年(平成2年)6月29日(23歳)、礼宮文仁親王と結婚。 |
| これに伴い戸籍から消除され、皇族譜に記載される。 |
| 1991年(平成3年)10月23日(25歳)、眞子内親王を出産。 |
| 1994年(平成6年)12月29日(28歳)、佳子内親王を出産。 |
| 1995年(平成7年)(28歳)、学習院大学大学院・人文科学研究科心理学専攻博士前期課程を修了。 |
| 2006年(平成18年)9月6日(39歳)、悠仁親王を出産。 |
子女
| 第1女子-眞子内親王(まこ:1991年(平成3年)-)。 |
| 第2女子-佳子内親王(かこ:1994年(平成6年)-)。 |
| 第1男子-悠仁親王(ひさひと:2006年(平成18年)-)。 |
逸話
| 本籍地は川嶋家父祖の地である和歌山県和歌山市だった。 |
| 「紀子」という名前は、和歌山県の旧国名紀伊国に由来するという説と、母方の祖母紀子(いとこ)に顔立ちが似ていたからという説がある1989年8月27日毎日新聞。 |
| 成婚を記念する番組内で、「平成のシンデレラ紀子さま物語制作スタジオコメット。 |
| 川嶋紀子と礼宮文仁親王の出会いと苦悩を描いた作品で、紀子の声優は歌手の石川秀美が、文仁親王は同局アナウンサー笠井信輔が担当した。 |
| 結婚に際し、ナマズをあしらった婚約指輪を文仁親王に贈った |
| 趣味の一つはツィターで、子女にウィーン民謡を弾き語りしたこともあった |
| 学生時代より手話を習っており、手話を行ないながらの演説や、外国訪問の際には現地語の手話を披露している。 |
| ウィーン滞在中には、郊外にある乗馬訓練学校でキャンプ生活も体験している。 |
| スキーの腕前はオーストリア仕込みで、高校2年生の時のスキー教室では学年でただ一人の上級コース。 |
| 中学一年の時に、硬式テニスを自宅近くのテニススクールで習い始め、学習院女子高等科時代には院内ダブルス戦で優勝を果たしている。 |
| 学生時代の愛読書は、神谷美恵子のこころの旅。 |
| また絵本・児童書への関心を示し、海外の絵本などの翻訳と構成を手がけている。 |
| 宮中儀礼の指導役は、皇后美智子と同じく、岩国藩主吉川氏末裔で宮内庁官僚の吉川重国。 |
家系
| 高祖父川嶋庄右衛門(庄屋、地主)。 |
| 高祖父 池上武輔(旧会津藩士 会津藩郡奉行 )。 |
| 高祖父小菅智淵(旧幕臣、陸軍参謀本部陸地測量部初代部長、池上四郎の岳父)。 |
| 高祖叔父関定暉 (旧幕臣、陸軍工兵大佐、陸軍参謀本部陸地測量部初代地形課長)。 |
| 曾祖父川嶋庄一郎(教育者・学習院教授兼初等科長、佐賀師範学校校長、奈良師範学校校長)。 |
| 曾祖父池上四郎(大阪市市長、朝鮮総督府政務総監)。 |
| 曽祖伯父池上三郎(函館控訴院検事長)。 |
| 祖父孝彦(官僚・内閣統計局長)国立国会図書館webの帝国議会会議録検索http://teikokugikai-i.ndl.go.jp/に「川嶋」でなく「川島」姓で内閣統計局長として答弁に多数出現。 |
| 父辰彦(経済学者、学習院大学経済学部教授)。 |
| 叔父 川嶋行彦 (経営学者、東京国際大学商学部教授)。 |
| 弟舟(獣医師、東京農業大学農学部講師)。 |
訳書
| (ビッキー・イーガン著、ダニエラ・デ・ルカ画)新樹社。 |
| 「秋篠宮紀子」の筆名「秋篠宮」は文仁親王に与えられた称号であり、名字には相当しない。 |
| 例えば正仁親王妃華子は「常陸宮"妃"華子」として訳書を出版しており、紀子妃の場合は意図的に"妃"の文字を外した筆名と考えるのが妥当。 |
備考
| 政府による正式表記(内閣告示や宮内庁告示など)では皇族に宮号が冠されることはない(「皇太子」を除く)ため、それらの告示が掲載される官報での表記は「文仁親王妃紀子」とされ、「秋篠宮」が冠されることはない。 |
|
2009年
|
日本学術振興会が、出産や育児で研究を中断さ... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
悠仁親王
日本の皇族。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第一男子。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は高野槇。皇位継承順位第3位。今上天皇の孫にあたり、姉に... |
|
|
秋篠宮文仁親王
友達
日本の皇族。今上天皇の第二皇子。母は皇后美智子。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は栂。勲等は大勲位菊花大綬章。学位は博士(理学)(総合... |
|
|
秋篠宮
友達
日本の皇室の宮家の一つで、今上天皇の第二皇子・文仁親王の宮号。__TOC__ |
|
|
佳子内親王
佳子内親王 かこないしんのう ( 一般 ) 編集 注目の求人情報 [求人] 大日本スクリーン製造株式会社への正社員転職 募集内容:半導体製造装置で世界唯一の... |
|
|
川嶋紀子
文仁親王妃紀子の祖母。悠仁親王の曾祖母に当たる。 |
|
|
皇太子徳仁親王
日本の皇族。今上天皇の第一皇子。母は皇后美智子。御称号は浩宮(ひろのみや)。身位は皇太子、親王。皇室典範に定める敬称は殿下。お印は梓(あずさ)。勲... |
|
|
皇后美智子
今上天皇の皇后。旧姓・正田(しょうだ)。身位は皇后。皇室典範における敬称は陛下。お印は白樺(しらかば)。日本赤十字社名誉総裁、国際児童図書評議会名... |
|
|
眞子内親王
日本の皇族。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第一女子。今上天皇の孫にあたる。身位は内親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は木香茨(もっこうばら)。妹に... |
|
|
明仁
日本の第125代天皇(在位:1989年1月7日-)である。「現在の天皇」を意味する今上天皇とも呼ばれる。昭和天皇(第124代天皇)の第一皇子。母は香淳皇后。御称... |
|
|
川嶋辰彦
父
日本の経済学者。学習院大学名誉教授。Ph.D.inRegionalScience(ペンシルベニア大学、1971年)。研究の専門は、空間経済学、統計学、計量経済学。主要な研究... |
|
|
常陸宮正仁親王
日本の皇族。昭和天皇と香淳皇后の第二皇子。今上天皇の弟宮にあたる。御称号は義宮(よしのみや)。身位は親王。皇室典範における敬称は殿下。お印は黄心樹... |
|
|
承子女王
日本の皇族。高円宮憲仁親王と同妃久子の第一女子。妹に典子女王、絢子女王がいる。身位は女王。皇室典範における敬称は殿下。お印は萩(はぎ)。栄典は宝冠... |
|
|
崇仁親王妃百合子
日本の皇族で、三笠宮崇仁親王の妃。旧名、高木百合子(たかぎゆりこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は桐(きり)。2004年の高松宮妃喜... |
|
|
正仁親王妃華子
日本の皇族で、常陸宮正仁親王の妃。旧名、津軽華子(つがるはなこ)。身位は親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印は石南花(しゃくなげ)。勲等は勲一等。 |
|
|
檜扇
宮中で用いられた木製の扇のこと。女性の用いるものは特に袙扇(あこめおうぎ)とも呼ぶ。紙製の扇子(蝙蝠/かはほり)はここから派生し、檜扇を略したものと... |
|
|
愛子内親王
日本の皇族。皇太子徳仁親王と同妃雅子の第一女子。今上天皇の孫にあたる。御称号は敬宮。身位は内親王。皇室典範における敬称は殿下。お印はゴヨウツツジ(... |
|
|
三笠宮崇仁親王
日本の皇族、歴史学者(古代オリエント史専攻)。大正天皇と貞明皇后の第四皇子。今上天皇の叔父にあたる。御称号は澄宮(すみのみや)。身位は親王。皇室典... |
|
|
田中美佐子
日本の女優。本名、深沢美佐子(ふかさわみさこ)旧姓、田中。 島根県知夫郡(現・隠岐郡)西ノ島町出身。佐藤企画所属。東洋女子短期大学英語英文科卒業。... |
|
|
夏目雅子
日本の女優である。本名、西山雅子(にしやままさこ)。旧姓、小達(おだて)。其田事務所などに所属していた。 |
|
|
典子女王
日本の皇族。高円宮憲仁親王と同妃久子の第二女子。姉に承子女王、妹に絢子女王がいる。身位は女王。皇室典範における敬称は殿下。お印は蘭(らん)。栄典は... |
|
|
文仁親王妃紀子さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|