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プロフィール
文宣帝(ぶんせんてい)は、北朝北斉の初代皇帝。姓は高、諱は洋。渤海郡(河北省景県)の人。
略歴
| 長兄の高澄が部下の蘭京によって殺害されると、後を継いだ高洋は蘭京を誅殺し、兄の仇を討った。 |
| やがて、着実にその後継者としての地位を固め、孝静帝により丞相、斉王に封じられた。 |
| しかし高洋は、傀儡皇帝でしかなかった孝静帝の臣下としての地位に満足せず、550年、23歳の時に孝静帝を廃して帝位に即き、北斉を建てた。 |
| 治世当初は政務に力を注ぎ、楊愔を登用して州郡の削減と官僚の削減、加えて富国強兵政策を実施し、農業、塩鉄業、窯業を中心にした経済を背景に、北斉を短期間の内に国家として成長させた。 |
| 軍事面では柔然、契丹、高句麗などを攻撃し、勢力範囲の拡大も実現している。 |
| しかし、即位後しばらくすると政務を省みなくなり、酒色に溺れ、宮城の造営で10万の民を重用するなど奢侈を極めるようになり、民衆生活を圧迫した。 |
| また高洋は自らが漢化した鮮卑族でありながら、その劣等感を常に持ったために、漢族の大量殺害を実行し、同胞である漢化した鮮卑貴族の利益を維持した。 |
| 腐敗した生活は高洋の寿命にも影響を与え、31歳の若さで崩御となった。 |
| 高洋の死後は北斉内部での混乱がいっそう強まっていった。 |
人となり
| 外見はぼーっとして兄弟や周りから笑われていたが、父親の高歓は真価を見抜いていた。 |
| 北斉を建国したのだから有能といえば有能なのだが、執念深さと残忍さ、そして死因ともなった酒乱が欠点であり、その勢いでたくさんの人々や臣下達が殺害された。 |
| 有能さと暴君的要素を併せ持った二重面の魔性の人物といえるだろう。 |
逸話
| 幼い頃、高歓が子供たちの才能を確かめようと絡まった糸を与えては解かせた。 |
| すると高洋はその絡まった糸を刀で断ち切ってはこう言ったそうである。 |
| 「乱れたものは斬らねばならない」何処かで聞いたような話でもある(通鑑記事本末)。 |
| ある時、文宣帝が悪酔いしたので母親の婁氏が鞭を打った。 |
| すると文宣帝は非常に怒って「なんだ?この婆さん、他所に嫁に出してしまうぞ!」と叫んで、自分の母親に過って怪我させた。 |
| しかし、酔いが覚めると過ちに気づいて深く後悔し、「わしは母上に言ってはならないことを言ってしまった。 |
| どうか罪深きわしの背中を打ってくれ」と強引に臣下に自分を杖で打たせて、自ら母に心底から詫びたのである。 |
| 長い鋸など処刑道具を常に準備していて、酔うたびに戯れで人を殺した。 |
| そのため楊愔は宮殿の庭に死刑囚用の檻を作った。 |
| 無論、生贄のためであり、3ヶ月間文宣帝に殺害されなかった者は解放されたという。 |
| 家臣の歌妓であった薛氏という女性を強引に嬪とし、またその姉をも後宮に納れた。 |
| しかし、猜疑心の強い文宣帝は、薛嬪と家臣の内通を疑い、家臣を殺害した上、脅迫として薛嬪の姉を鋸引きの刑で惨殺する。 |
| 後に薛嬪をも殺し、その骨で琵琶を作らせた。 |
| 僕射の崔進が卒去した時、その死を大いに悲しんだ。 |
| ある時、帝はその未亡人の李氏に対して問うた。 |
| 「崔進のことを思い出すか?」。 |
| 「どうして、忘れられましょうか?」。 |
| 「それならば、崔進の傍らに行くがよい」。 |
| と自ら剣を抜刀して、彼女を斬り捨てたという。 |
| 占い師が文宣帝の寿命を占った時、占い師は90年生きると予言したが、さすがに文宣帝は占い師が予言をごまかしたのを見抜いたという(実際に出た結果は30年だった)。 |
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つながりの強いひと
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