| ※詳細は「亀新フィーバー」を参照。 |
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| 3月に欧州にて開催が予定された、バルセロナオリンピック出場国壮行試合でキューバと対戦する遠征チームメンバー二軍選手の中から各球団2名ずつ。 |
| 阪神からは嶋尾康史と共に選出された。 |
| に選抜されるも、事前に相手方の都合で遠征中止となる。 |
| シーズン開幕は二軍スタートとなり、40人枠(当時)から外れるも4月下旬に故障者と入れ替えで入った。 |
| 5月に一軍の主砲で三塁手のトーマス・オマリーが故障離脱したのと入れ替えで、急遽の三塁守備練習後に昇格した。 |
| 5月26日横浜大洋ホエールズ戦(阪神甲子園球場)にて7番三塁でこの年の初出場。 |
| 有働克也投手から第1打席の初球を左翼へプロ初本塁打。 |
| この本塁打の鮮烈な印象と、2日後に初代「ミスタータイガース」と称された藤村富美男が亡くなったことも重なり、新庄が次代のタイガースの担い手となることを期待するマスコミの記事が出始めた。 |
| この後、守備は遊撃手を経て中堅手に定着(#守備を参照)して、打順は主に5-7番で起用された。 |
| 9月16日広島東洋カープ戦(甲子園)の両チーム無得点8回表二死満塁の守備で、山崎隆造の右中間への打球を中堅から走り込みダイビングキャッチしてピンチを防ぎ、そのまま両チーム無得点でむかえた9回裏には大野豊投手からプロ初サヨナラ安打となる本塁打を放つ。 |
| 試合後のヒーローインタビューでは「優勝です!」と宣言した。 |
| この年、前年まで低迷していたチームは優勝争いをし、最終順位は2位となった。 |
| この際、亀山努らと共に活躍したことから「亀新フィーバー」と呼ばれ、新庄の行く先々や入寮していた球団寮・虎風荘に連日殺到する若い女性ファンを指して「新庄ギャル」と報道された。 |
| 規定打席に僅かに及ばず、新人王を選定する記者投票でも同僚の久慈照嘉に僅かに及ばず次点となる。 |
| 11月の日米野球に初出場してロジャー・クレメンス投手などと対戦するも無安打に終わった。 |
| 翌1993年契約の昇給率は前年比323%増であり、この昇給率は2007年→2008年桜井広大に346%で抜かれるまで球団過去最高であった。 |
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| この年より背番号を「5」に変更。 |
| 打席時応援歌も北村照文・金森永時と背番号5の外野手に引き継がれている曲に変更され退団まで使用された。 |
| 2月下旬のオープン戦でヘッドスライディングをした際に左肩を故障。 |
| シーズン初出場は5月中旬となり、中堅手として2番と7番以降を除く打順で起用された。 |
| 10月1日、甲子園での中日ドラゴンズ戦にて初の4番スタメン出場。 |
| 4打数2安打を記録。 |
| 21歳8か月3日での4番スタメン出場は阪神球団最年少記録である(2010年シーズン終了時点)。 |
| この年初めて規定打席に到達してベストナイン・ゴールデングラブ賞を初受賞。 |
| 自身の後援会国内の「新庄」と名のつく市町村(山形県新庄市、奈良県新庄町、岡山県新庄村)がタイガース新庄人気にあやかって村おこしの一環として創設。 |
| 発足記念の「新庄ナイター」となった5月13日ヤクルトスワローズ戦(甲子園)で高津臣吾投手から自身初となるサヨナラ満塁本塁打を記録する。 |
| 7月のオールスターゲームにファン投票セントラル・リーグ最多得票で選出され、第1戦(西武ライオンズ球場)にて代走で初出場し、球宴初盗塁を記録。 |
| 6月20日の横浜ベイスターズ戦(横浜スタジアム)にて、1点差を追う9回表の先頭打者として佐々木主浩投手から放った左翼フェンス最上部付近への飛球が、観客により振られている応援旗(新庄の名前入り)に包まれるかたちで当たり、ボールは地面に落下。 |
| 藤田平・新監督との確執が噂されたが、21日に発言を撤回した |
| 引退希望の理由は、当時右肘や右足を痛めていて自身は治療に専念しようとしていたが、藤田監督により四国黒潮リーグへ出場させられたことや、慕っている柏原純一打撃コーチの退団により球団への不信感を募らせ、横浜ベイスターズへのトレードを志願するも拒否されたことなどであると報じられた。 |
| 自身は自著にて、シーズン中に足首の故障で二軍落ちしていたある日、(新庄は故障状態の悪さから判断して、練習開始時間に合わせグラウンドへではなくトレーナー室へ行ったことで、当時二軍監督であった藤田から遅刻であると咎められた際に)正座の罰を受けた件をきっかけに、藤田とは野球観が合わないと考えるようになっていったことを告白。 |
| 後年、引退を希望した他の理由として「1995年の騒動は、引退して野茂さんのように大リーグに挑戦したい気持ちもあったことから起きた」当時は日本プロ野球を引退すれば、メジャーリーグベースボールへの挑戦が出来る制度。 |
| 5月27日、首位攻防の中日戦(富山市民球場アルペンスタジアム)1回の攻撃で無死一二塁から三塁ゴロを放ち三重殺となり、阪神劣勢での3回の守備では満塁から立浪和義の中前安打を後逸し走者一掃で追加3得点を与える失策1992年に一軍で初めて中堅守備に就いた当球場では、翌2000年の広島戦でも同様のゴロ打球後逸の失策を犯しており、1999~2000年の全6失策の内訳で送球失策もある中、1年に1試合のみの当球場で2年連続して後逸失策を記録した。 |