4541
4665
63648
%E6%96%B0%E8%A6%8B%E9%8C%A6
%E6%96%B0%E8%A6%8B%E9%8C%A6
%E6%96%B0%E8%A6%8B%E9%8C%A6
%E6%96%B0%E8%A6%8B%E9%8C%A6
%E6%96%B0%E8%A6%8B%E9%8C%A6
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 新見錦の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
新見錦(にいみにしき、天保7年(1836年)-文久3年9月13日(1863年10月25日)?)。水戸藩出身。新選組局長のち副長に降格。号は錦山(きんざん)。新選組の羽織を作るために大坂の平野屋五兵衛から金子を借りた時に、隊長として近藤、芹沢と同格で「親見錦」と署名した。署名から新見錦の読みがしんみにしきである可能性もある。また、出身である水戸藩(現 茨城県)では新見、親身の性があり、いずれも「しんみ」と読むものが多い。
生涯
| 岡田助右衛門に剣を学び神道無念流免許皆伝を授かる。 |
| 文久3年(1863年)2月、清河八郎が建策により上洛する将軍徳川家茂の警護のために組織された浪士組に加盟し、三番組小頭になる。 |
| 後に新選組を結成する水戸の芹沢鴨や江戸・試衛館(天然理心流)の近藤勇も加盟している。 |
| 新見の前歴は詳らかでないが、幹部の小頭に任じられていたことから名が知られた存在ではあったと考えられる。 |
| 同じ水戸出身で六番組小頭の芹沢鴨のかねてからの同志とされるが、芹沢との具体的な関係は不明である。 |
| また、剣術の師である岡田助右衛門も五番世話役として参加している。 |
| 新見の組下には井上源三郎、沖田林太郎(沖田総司の義兄)など5人の多摩系の天然理心流門人が配属された(井上以外は新選組には不参加)。 |
| 8日に江戸を出立して23日に入京。 |
| 粕谷新五郎(水戸出身)とともに南部亀二郎邸に宿泊。 |
| 芹沢は近藤とともに八木源之丞邸に宿泊しており、八木家の子息だった八木為三郎の回顧によれば、新見と粕谷は芹沢のいる八木家に入り浸っていたという。 |
| 27日に清河が攘夷の真意を明かして江戸帰還を宣言すると、芹沢、近藤とともに京都残留を表明して離脱。 |
| 離脱組は芹沢、新見ら5人の水戸系浪士と近藤、土方歳三、山南敬助、沖田総司ら8人の試衛館門人で、これに殿内義雄、根岸友山、粕谷新五郎らが加わるがすぐに内部抗争が起きて殿内、根岸、粕谷らは謀殺・脱退した。 |
| 必然的には浪士たちは芹沢、新見ら水戸派と近藤、土方ら試衛館派に大別された。 |
| 浪士たちは京都守護職の会津藩主松平容保に嘆願書を提出して、会津藩御預かりとなり壬生浪士組を名乗る。 |
| 新見は結成当初の編成で芹沢、近藤と並んで局長となった。 |
| 4月に大坂の商人から100両借りた(押し借り)したときの添書きでは新見、芹沢、近藤の名前が並んでいる。 |
| 隊士が増えて6月に編成変えが行われた時には、新見は局長から副長に降格されている。 |
| 新見は芹沢と行動を共にする腹心と言われるが、芹沢が引き起こした大坂力士乱闘事件や大和屋焼き討ち事件には参加しておらず、同じ水戸出身の最高幹部だが芹沢とどの程度の親密な関係だったか、また壬生浪士組幹部としての行動の実態はよく分らない。 |
| 芹沢や近藤のことをよく覚えていた八木為三郎も新見についてはまるきり覚えていない、いつの間にかいなくなったと述べている。 |
| そのため影の薄い男だったと言われることもあるが、隊務を怠っていたという記録があり、ほとんど屯所の八木家にいなくて為三郎と顔を合わせることもなかったのだろう。 |
| 八月十八日の政変では芹沢、近藤らと出動して殿を務めている。 |
| この出動を機に壬生浪士組は新選組(新撰組)と改称した。 |
| 新選組幹部の永倉新八が書き残した『浪士文久報国記事』によると新見は乱暴が甚だしく、法令を犯して芹沢、近藤の説得にも耳を貸さなかったという。 |
| 子母澤寛の『新選組始末記』によっても新見は遊蕩に耽って隊務を怠り、隊費と称して民家から強請り(ねだり)を繰り返していたという。 |
| 9月13日に新見は切腹させられた。 |
| 『新選組始末記』によると悪行の数々を握られて切腹せねば法度に照らして斬首すると詰め寄られ、遊蕩先の祇園新地の料亭山緒でついに切腹させられたという。 |
| 『浪士文久報国記事』によれば一同相談のうえ切腹と決まったが、またも三条木屋町の旅宿で水戸浪人吉成常郎に乱暴を働いたため梅津某の介錯で切腹させられたことになっており、真相はよく分からない。 |
| 日付も『浪士文久報国記事』では8月14,15日となっており、判然としない。 |
| 明治になって倒幕派尊王攘夷志士を祀るためつくられた霊山護国神社に倒幕派の敵だったはずの新選組幹部である新見が祀られていることから、切腹は単純な乱暴狼藉ではなく水戸や長州、土佐などの尊王攘夷派との親密な関係があったからではないかという説もある。 |
| 新見の死の僅か3日後の9月16日に芹沢と水戸派の平山五郎が試衛館派に襲撃・暗殺されており、新選組の水戸派は壊滅した。 |
田中伊織
| 新選組隊士・田中伊織と新見錦を同一人物とする説もあるが、定かではない。 |
| 近年では水戸浪士の新家粂太郎が新見錦であるという説も出ている。 |
| 田中伊織の墓は壬生寺にある。 |
参考文献
| 木村幸比古 『新選組日記』(PHP研究所、2003年) ISBN4569630081。 |
| 『新選組大全史』(新人物往来社、2003年) ISBN4404030657。 |
| 松浦玲 『新撰組』(岩波書店、2003年)ISBN4004308550。 |
| 大石学 『新選組―「最後の武士」の実像』(中央公論新社、2004年)ISBN4121017730。 |
| 子母沢寛 『新選組遺聞』(中央公論社、1997年)ISBN4122027829。 |
|
1863年
|
清河八郎が建策により上洛する将軍徳川家茂の... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
芹沢鴨
幕末の水戸藩浪士、新選組(壬生浪士)の初代筆頭局長。前名は下村嗣司。諱は光幹。本姓は平氏。家系は常陸平氏の平成幹の流れを汲むという芹沢氏。父は芹沢... |
|
|
近藤勇
江戸時代末期の新選組局長、幕臣。勇は通称、諱は昌宜(まさよし)。慶応4年(1868年)からは大久保剛、のちに大久保大和。家紋は丸に三つ引。 |
|
|
山南敬助
新選組総長(副長)。陸奥国(後の陸前国)仙台藩出身。姓は藤原氏、諱は知信。名字の読みについて「さんなん」と「やまなみ」の二説があるものの、本人の署... |
|
|
平山五郎
平山五郎(ひらやまごろう、文政12年(1829年)-文久3年9月18日(1863年10月30日))は江戸時代の武士。姫路あるいは水戸藩出身。新選組副長助勤(新見錦降格... |
|
|
田中伊織
English 田中 伊織 所属機関: 北海道立中央水産試験場 海洋環境部 【この人名をキーに探す】 | | 印刷画面 | URL 関連情報を見る 更新日... |
|
|
沖田総司
幕末の武士、新選組一番組組長及び撃剣師範。本姓は藤原を称した。諱は春政、後に房良。幼名は宗次郎。 |
|
|
清河八郎
幕末(江戸時代)庄内藩の志士で、浪士組(新選組・新徴組の前身)を結成し、虎尾の会を率いて維新の火付け役となった人物である。幼名は元司、諱は正明、号... |
|
|
相島一之
日本の俳優。埼玉県熊谷市出身。藤賀事務所所属。血液型A型、剣道2段。身長176cm、体重63kg。埼玉県立熊谷高等学校、立教大学法学部卒業。妻は脚本家の福島三... |
|
|
井上源三郎
新選組の六番組組長。諱は一武(かずたけ)。 |
|
|
永倉新八
幕末の武士(松前藩士)、新選組隊士、明治時代の剣術家。姓は長倉、諱は載之(のりゆき)。幼名は栄吉、栄治。松前藩を脱藩後、新選組に入隊し、二番組組長... |
|
|
伊東甲子太郎
新選組参謀及び文学師範、のち御陵衛士(高台寺党)盟主。諱は武明。幼名を祐之、初名は大蔵(大藏)。号は誠斎。変名は宇田兵衛。「甲子太郎」は”きねたろう... |
|
|
藤堂平助
新選組八番組組長、のち御陵衛士(高台寺党)。諱は宜虎(たかとら)。 |
|
|
徳川家茂
江戸幕府第14代征夷大将軍である。実父は第12代将軍徳川家慶の実弟であり、第13代将軍家定の従兄弟にあたる。将軍就任の前は徳川御三家紀州藩第13代藩主。初... |
|
|
原田左之助
新選組十番組組長。諱は忠一。谷万太郎から種田流槍術を教わり免許皆伝。 |
|
|
八木源之丞
幕末の山城国葛野郡壬生村の苗字帯刀を許された富裕郷士。八木家10代目当主。源之丞は通称。諱は応迅(まさはや)であり八木応迅といい、本姓は日下部氏であ... |
|
|
相馬主計
新選組隊士。名は肇、明治時代以降は主殿。箱館戦争に於いて新選組が降伏する際、戦死した土方歳三に代わって隊長として署名したため、新選組最後の隊長とも... |
|
|
壬生浪士
新選組の前身集団。文久三年(1863年)清河八郎が京へ率いた浪士組が東帰した後も、京(現在の京都府京都市)に残った24名で構成。構成内容は以下参照。新選... |
|
|
岡田助右衛門
天保7年に生まれる。
水戸脱藩浪士で岡田助右衛門のもとで神道無念流を学び免許皆伝を許される。
文久3年には、同門の芹沢鴨らと共に浪士組に参加する。
上洛... |
|
|
粕谷新五郎
壬生浪士組同士。水戸藩卒。現在の常陸大宮市御前山村野口平、粕谷忠兵衛の子として生まれる。安政5年(1858年)、孝明天皇から密かに下賜された戊午の密勅の... |
|
|
新見錦さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|