| 入団当時の西武は黄金期を迎えており、登板機会が得られないのではないと不安があったという週刊ベースボール、2001年11月12日号、P.133。 |
| しかし社会人野球を経験して肉体が鍛えられており、キャンプで一軍投手陣に負けない球を投げられた事で自信を得た。 |
| また、渡辺久信や鹿取義隆の気づかいでチームに溶けこんでいった。 |
| 開幕2戦目の4月7日の対オリックス戦で早くも初登板を果たし、渡辺智男の不振などから8月2日には初めて先発を任され、初勝利を挙げた。 |
| 同年は9月中旬まで計8試合に先発し、2完投を含む2勝を記録している。 |
| 同年の日本シリーズでは第5戦で初登板して5回途中から1回2/3を投げ5安打を浴びて1失点した |
| 翌は年俸が2,400万円(推定)に倍増し読売新聞、1992年12月6日付朝刊、P.17、先発ローテーションの5番手として19試合に先発し、8月7日の対ダイエー戦ではプロ初完封を達成している読売新聞、1993年8月8日付朝刊、P.20。 |
| 同年の日本シリーズでは中継ぎに回り、第2戦では郭泰源の後を受けて3回表から7イニングを投げ5安打1失点に抑えている |
| オフには年俸が2,000万円増の4,400万円(推定)となった。 |
| 後半戦も谷間の先発を含め杉山賢人とともに様々な場面で起用され、必死で投げていたという。 |
| 同年は自己最多の41試合に登板し、シーズン最終戦の10月10日の対ロッテ戦で1回1/3を投げて3失点ながら規定投球回に達し読売新聞、1994年10月11日付夕刊、P.13、最優秀防御率のタイトルを受賞した。 |
| 日本シリーズでは第4戦の5回途中から登板し、3回2/3を4安打無失点に抑えた |
| オフのMVPの投票ではシーズン210安打を達成したイチローに大差を付けられたものの、イチローの満票獲得を阻止して次点となっている朝日新聞、1994年11月1日付朝刊、P.23。 |
| 契約更改では西武の投手としては過去最高のアップとなる4,000万円増の年俸8,400万円(推定)となった読売新聞、1994年12月15日付朝刊、P.16。 |
| 西崎幸広や橋本武広と並ぶ投手陣の最年長として迎えた朝日新聞、1998年2月11日付朝刊、P.25は、キャンプで早めの調整を進めたものの、シーズン当初は中継ぎとして起用され防御率も10点を超えていた読売新聞、1998年5月28日付朝刊、P.16。 |
| しかし同年初先発となった5月27日の対ロッテ戦で勝利を挙げるとそのまま先発ローテーションに定着し、6月20日の対オリックス戦では1年9ヶ月ぶりに完封勝利を収めている読売新聞、1998年6月21日付朝刊、P.21。 |
| 規定投球回には達しなかったものの、16試合に先発して防御率3.67の成績を残した。 |
| 同年の日本シリーズでは第5戦の7回途中から5点ビハインドの場面で登板したが、横浜のマシンガン打線につかまり8回に3点、さらに9回に7点を失った。 |
| この1試合10失点および10自責点は、いずれも日本シリーズ新記録となっている。 |
| 投手コーチの杉本正は「先発も早々に降板しており、他の投手への負担を避けるため仕方なかった」と述べ、新谷自身は「野手に迷惑をかけてしまった」と語っている読売新聞、1998年10月25日付朝刊、P.19が、森祇晶からは日本シリーズにふさわしい采配と言えるか疑問を投げかけられている週刊ベースボール、1998年11月9日号、P.29。 |
| オフの契約更改では1,000万円減の年俸7,000万円(推定)となった読売新聞、1998年12月9日付朝刊、P.19。 |
| 移籍1年目のは4月7日の対ダイエー戦で3回5失点で降板したものの、4月14日の対ロッテ戦で2年ぶりの勝利を完投で挙げている読売新聞、2000年4月15日付朝刊、P.21。 |
| その後5月にかけて3連勝し、マスコミにも騒がれたが投球内容には自信を持てなかったという。 |
| チーム最年長の選手として、投手陣の決起集会を開くなどチームを支える役割を担っていた。 |