62481
62866
788438
%E6%96%B0%E9%96%93%E5%AF%BF
%E6%96%B0%E9%96%93%E5%AF%BF
%E6%96%B0%E9%96%93%E5%AF%BF
%E6%96%B0%E9%96%93%E5%AF%BF%20-%E6%96%B0%E9%96%93%E5%AF%BF%E6%81%92
%E6%96%B0%E9%96%93%E5%AF%BF
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 新間寿の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 新間寿とは
- 来歴
- スポーツ平和党結成から猪木告発そして和解まで
- その他
- エピソード
- 著書・参考文献
新間寿(しんまひさし、1935年3月28日-)は、元新日本プロレス専務取締役営業本部長、新間事務所代表、元WWF(現・WWE)会長。「過激な仕掛け人」の異名を持ち、昭和期の新日本プロレスを語るのに欠かすことのできない人物である。実父は東京プロレスを立ち上げ、新日本プロレス役員も務めた新間信雄。息子の 新間寿恒もユニバーサル・プロレスリングを立ち上げるなどプロレス業界の裏方で働いている。
来歴
| 中央大学に入学後、柔道部に所属する傍ら、強い男に憧れ、当時日本橋人形町にあった日本プロレスの道場にボディビル練習生として通う。 |
| この時後に新間の人生を左右する事となる豊登と知り合う。 |
| 大学卒業後、大手化粧品メーカーのマックスファクターでのサラリーマン生活を経て、1966年、豊登の誘いをうけて実父の信雄と共に東京プロレスの立ち上げに携わる。 |
| そこからアントニオ猪木との関係が生まれ、東京プロレス倒産後、小来川鉱山鉱夫、ダイナパワーセールスマン、寿屋パン店経営者を経て1972年に新日本プロレス入社。 |
| 専務取締役営業本部長の肩書きで、猪木の右腕として数々の名勝負を実現へと導いた。 |
| その中で最大の功績は「アントニオ猪木対モハメド・アリ」戦を実現させたことである。 |
| また、タイガーマスクを現実の世界に登場させ、IWGPの構想を提唱するなど、新日本プロレスに残した足跡は計り知れない。 |
| 1980年代前半の全盛期には「プロレスブームではなく、新日本プロレスブーム」との発言も残している(新間の言う通り、1980年代にはライバルの全日本プロレスの中継は新日本よりも早くゴールデンタイムから撤退しており、第三団体の国際プロレスに至っては1981年夏に崩壊している)。 |
| アリ戦の巨額の赤字が問題となり形式上降格された時期があったが、その時期も変わらず辣腕を振るっていた。 |
| 1983年に「新日本クーデター未遂事件」の責任をとる形で解任され(この時猪木も代表取締役社長を一時解任されている)、UWFを設立するが、1年ほどで崩壊し、その後も新日本の裏方を続けた。 |
| 猪木がNWA加盟を拒否されたため、新日本代表としてNWAの名義人となっていたのも、新間と坂口征二であった。 |
| また、その手腕を買われてジャパン女子プロレスの経営にも関与し、グラン浜田をコーチとして送り込んだこともある。 |
スポーツ平和党結成から猪木告発そして和解まで
| 1989年には猪木が立ち上げたスポーツ平和党の幹事長に就任、1992年の第16回参議院議員通常選挙では比例代表より立候補し落選している。 |
| スポーツ平和党の運営を巡っては猪木の税金未納疑惑が発覚すると江本孟紀副党首に金銭疑惑を追及され、党の行方が注目される中、政治評論家の菊池久から"親密な仲"と噂された佐藤久美子公設第一秘書が記者会見を行い決別を宣言、新間もその後袂を分かち、一時は猪木の告発本を執筆した。 |
| 常日頃「私はアントニオ猪木とプロレスの悪口は言ったことがない」と公言し、告発したのは「一個人としての猪木寛至」であり、「プロレスラー・アントニオ猪木」ではないなどと発言していたが、スポーツ平和党幹事長だった1995年に告発本の出版予定日を繰り上げて記者会見を行い「女性の方は耳をふさいでください・・・アントニオ猪木のPKO・・・それはパンパン来い来いオマンコやろう」と放送禁止用語を発言しその模様は、TBSで全国に生中継された(ちなみに、この放送をたまたまリングス関係者が見ており、前田日明に「猪木さんが大変なことになってますよ!」と伝えたら「何言ってるんだ、いつものことや!そのうち仲直りするさ!」と全く取り合わなかった、という話がある)。 |
| また猪木の秘書を便所に連れこみ平手打ちをするなど毎日のようにワイドショーで取り上げられていた。 |
| 猪木落選後は、猪木や新日本プロレスとの関係が疎遠となるが、2002年に東京スポーツ新聞社の桜井康雄元取締役が間を取り持ち猪木と新間電撃和解と報じる、そして猪木事務所のアドバイザーとして復帰すると、ジャングルファイトをプロデュースし、翌2003年の新日本プロレスの東京ドーム大会では約20年ぶりにリングに上り、その存在をアピールする。 |
| 現在は「天下のプロレスご意見番」として雑誌などに登場し、プロレス界に苦言を呈している。 |
| しかし、「暴露本」を出したミスター高橋のことは激しく非難している。 |
| ただし、新間が「これこの通り猪木のビッグマッチはほとんどミスター高橋以外が裁いている」宮戸優光もターザン山本・著『プロレスファンよ感情武装せよ!ミスター高橋に誰も言わないなら俺が言う!』(新紀元社)で同じ例を持ち出し「いかに(ミスター高橋が)レフェリーとして認められていなかったと言う証明」「ほとんど裁いていないのに(自著で)その辺の試合のことに触れるのは納得できない」と発言している。 |
| と言って持ち出してきた試合一覧は、大半が他流試合と異種格闘技戦(つまり新日本側・プロレス側である高橋が裁くのはあり得ない試合)であった。 |
その他
| WWE創業者一族のマクマホン家とは家族ぐるみの付き合いである。 |
| 特にビンス・マクマホン・シニアとの交流は有名で、亡くなる直前、新日本に立会人として来日した際のパーティの挨拶で「ここに私の友人である新間がいないことは寂しい」とコメントした新間はその時、プロレスの表舞台から消えている時だった。 |
| 後にシニアの訃報を聞き、雑誌のインタビューで、追悼と共に、シニアのこのコメントに対する謝意を示していた。 |
| メキシコUWAの初代代表であるフランシスコ・フローレス、2代目代表のカルロス・マイネスからも絶大な信頼を受けていた。 |
| 新間が提唱したIWGP構想に賛同して参加したが、新間への信頼から、律儀にメキシコ予選リーグ戦を開催した。 |
| IWGPリーグ戦第一回大会において、予選を勝ち抜いて本選に出場したのは、アジア代表の猪木、キラー・カーンと、中南米代表のエル・カネック、エンリケ・ベラだけである。 |
| タレントで元参議院議員(当選無効)の新間正次は従兄弟、声優の高山みなみは姪にあたる。 |
| なんでも鑑定団にて猪木VSアリ戦のもの(調印書かなにか書類)を持って来て350万円つけられた。 |
エピソード
| マックスファクター時代は、自社商品をレスラーに勝利者賞として提供していた。 |
| IWGP構想を"世界制覇の大野望"と評し、リング上で発表する新間に対して"過激な仕掛け人"と呼んだのは、テレビ朝日アナウンサー時代の"過激なアナウンサー"こと古舘伊知郎だった。 |
著書・参考文献
| リングの目激者(竹内宏介、桜井康雄との共著)都市と生活社1983年3月。 |
| プロレス仕掛人は死なず みき書房 1984年4月。 |
| これがジャパンライフの真実だ!21世紀の流通に挑む不滅のJLシステム 青山書房1986年6月。 |
| アントニオ猪木の伏魔殿-誰も書けなかったカリスマ「闇素顔」- 徳間書店 2002年4月。 |
| 新・リングの目激者歴史の証人(竹内宏介、桜井康雄との共著)日本スポーツ出版社2004年3月。 |
|
1935年
|
東京都新宿区にて生まれる新間 寿(しんま ひ... |
|
1966年
|
豊登の誘いをうけて実父の信雄と共に東京プロ... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
佐山聡
日本のプロレスラーおよび総合格闘技・シューティング(現・修斗)の創設者、掣圏真陰流興義館総監。山口県下関市出身。覆面レスラー・初代タイガーマスクと... |
|
|
高田延彦
日本のプロレスラー、元総合格闘家。現在はタレント、俳優、実業家として活躍をしている。本名は高田伸彦。神奈川県横浜市泉区出身。血液型はA型。格闘技ジム... |
|
|
前田日明
総合格闘技黎明期に活躍した元プロレスラー、元総合格闘家。リングスCEO。元HERO'Sスーパーバイザー。総合格闘技大会THEOUTSIDERのプロデューサー。大阪府大... |
|
|
永島勝司
かつて複数のプロレス団体の運営に携わった人物である。新日本プロレスでは取締役、WJプロレスでは専務取締役を務めた。島根県出身。 |
|
|
ターザン山本
ターザン山本(ターザンやまもと、1946年4月26日-)は日本の元編集者、プロレスライター、現競馬ライター。山口県岩国市生まれ。本名は山本隆司(やまもとた... |
|
|
竹内宏介
日本のプロレス評論家。元週刊ゴング編集長・日本スポーツ出版社元社長、のち編集顧問。静岡県熱海市生まれの東京都台東区出身。通称「熱血・週刊ゴング編集... |
|
|
宮戸優光
神奈川県出身の元プロレスラー、現U.W.F.スネークピットジャパン代表、イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)ゼネラル・マネージャー。神奈川県出身。現役... |
|
|
ミスター高橋
日本の作家、小説家、元新日本プロレスのレフェリー、マッチメイカー。本名は高橋輝男(たかはしてるお)。ニックネームは『ピーター』。 |
|
|
長州力
山口県徳山市(現:周南市)出身のプロレスラー。血液型O型。在日韓国人2世である。海外遠征時のリングネームはリッキー・チョーシュー。ニックネームは「革... |
|
|
坂口征二
日本の元プロレスラー、柔道家(五段)。福岡県久留米市出身。世界の荒鷲と呼ばれた。長男は総合格闘家の坂口征夫、次男は俳優の坂口憲二。2005年にはホンダ... |
|
|
桜井康雄
桜井 康雄(さくらい やすお、 1936年 12月23日 - )は 日本 のスポーツ 新聞記者 、 プロレス 評論家 。 東京スポーツ 記者、 取締役 編集局長。 東京都 牛... |
|
|
グレート小鹿
日本のプロレスラー。本名:小鹿信也(こしかしんや)北海道函館市出身。大日本プロレス代表取締役社長。 |
|
|
馬場元子
ジャイアント馬場夫人(寡婦)で元全日本プロレス社長、元全日本プロレスオーナー。兵庫県明石市出身。2010年現在、ジャイアント馬場の肖像権などの管理会社... |
|
|
梶原一騎
日本の漫画原作者、小説家、映画プロデューサー。本名は、高森朝樹(たかもりあさき)。高森朝雄(たかもりあさお)の筆名も使用した。格闘技やスポーツを題... |
|
|
新間正次
新間正次(しんましょうじ、1934年11月3日-)はタレント、俳優、元参議院議員。元民社党愛知県連副委員長。愛称は「新間ちゃん」など。中日ドラゴンズのファン。 |
|
|
天龍源一郎
日本の元大相撲力士、現プロレスラー。本名は嶋田源一郎(しまだげんいちろう)。福井県勝山市出身。身長189cm、体重120kg(力士時代は身長186cm、体重110kg... |
|
|
藤原喜明
日本のプロレスラー(フリーランス)。学校法人日本医科学総合学院理事長。同学校法人は文部科学省認可の専修学校朋友柔道整復専門学校を運営している。プロ... |
|
|
大仁田厚
日本の男性プロレスラー、元政治家、タレント・俳優としても活躍。長崎県長崎市出身。元参議院議員。身長181cm、体重77kg(全盛時は105kg)。弟(異父弟)は... |
|
|
蝶野正洋
日本のプロレスラー。アメリカ合衆国ワシントン州シアトル生まれ、東京都三鷹市育ち。闘魂三銃士の1人。「ARISTTRIST」(アリストトリスト)という、マルティ... |
|
|
藤波辰爾
日本のプロレスラー。本名は藤波辰巳。大分県出身。血液型はO型。ニックネームは「ドラゴン」もしくは「ドラゴン藤波」。第77代NWA世界ヘビー級王者。一時期... |
|
|
新間寿さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|