2601
2715
36941
%E6%97%A5%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%AD%90
%E6%97%A5%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%AD%90
%E6%97%A5%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%AD%90
%E6%97%A5%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%AD%90
%E6%97%A5%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%AD%90
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 日野富子の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 日野富子とは
- 生誕と結婚
- 応仁の乱
- 応仁の乱後
- 備考
- 墓所等
- 参考書籍
- 登場作品
- 関連項目
日野富子(ひのとみこ、永享12年(1440年)-明応5年5月20日(1496年6月30日))は、室町時代後期から戦国時代前期の女性。室町幕府8代将軍 足利義政の正室。父は蔵人右少弁・贈内大臣 日野重政、母は従三位北小路苗子(北小路禅尼)。兄に勝光、妹に 足利義視室。9代将軍 足利義尚の母。従一位。
生誕と結婚
| 山城(京都府)の生まれ。 |
| 室町幕府の足利将軍家と縁戚関係を持っていた日野家の出身で、義政の生母日野重子は富子の大叔母にあたる。 |
| 富子も康正元年(1455年)8月27日に16歳で義政の正室となり、長禄3年(1459年)1月9日には第1子が生まれるが、その日のうちに夭折。 |
| それを義政の乳母の今参局が呪いを掛けたせいだとし、彼女を琵琶湖沖島に流罪とし(本人は途中で自刃)、義政の側室4人も追放した。 |
応仁の乱
| 富子は寛正3年(1462年)と翌4年(1463年)に相次いで女子を産むが、男子を産むことは出来なかった。 |
| 寛正5年(1464年)に義政は実弟で仏門に入っていた義尋を還俗させ、名を足利義視と改めさせ細川勝元を後見に将軍後継者とした。 |
| しかし翌寛正6年(1465年)に富子は義尚を出産、富子は溺愛する義尚の擁立を目論み、義尚の後見である山名宗全や実家である日野家が義視と対立した。 |
| これに幕府の実力者である勝元と宗全の対立や斯波氏、畠山氏の家督相続問題などが複雑に絡み合い、応仁の乱が勃発した。 |
| 富子は戦いの全時期を通じて東軍側にいたが、東西両軍の大名に多額の金銭を貸し付け、米の投機も行うなどして一時は現在の価値にして60億円もの資産があったといわれる両軍の大名に貸し付け、西軍の主将畠山義就には一千貫を貸し付けていると『尋尊大僧正記』文明9年7月記録にある。 |
| 文明3年(1471年)頃には室町亭(京都市上京区)に避難していた後土御門天皇との密通の噂が広まった。 |
| 当時後土御門天皇が富子の侍女に手を付けていたためこの噂が流れたが、噂が流れるほど義政と富子の間は冷却化していた永原、326p。 |
| 文明5年(1473年)に宗全・勝元が死去、義政が隠居して義尚が元服して9代将軍に就任すると、兄の日野勝光が新将軍代となった。 |
| 義政は完全に政治への興味を失い、文明7年(1475年)には小河御所(上京区堀川)を建設して1人で移った。 |
| 文明8年(1476年)に勝光が没すると、富子が実質的な幕府の指導者となった。 |
| 「御台一天御計い」するといわれた富子に八朔の進物を届ける人々の行列は1、2町にも達した桜井、329p。 |
| 11月に室町亭が焼失すると義政が住む小河御所へ移る。 |
| しかし、富子と義尚が移った直後に義政は長谷聖護院の山荘に移ってしまった(その後長らく義政とは別居)。 |
| 文明9年(1477年)にようやく西軍の軍は引き上げ、京都における戦乱は終止符を打ったが、この翌日、富子は伝奏広橋兼顕に「土御門内裏が炎上しなかったのは、西軍の大内政弘と申し合わせていたから」という趣旨の発言をしている桜井、317p。 |
応仁の乱後
| 長禄3年以降、京都七口には関所が設置され関銭を徴集していた(京都七口関)。 |
| この関所の設置目的は内裏の修復費、諸祭礼の費用であったが、富子はほとんどその資金を懐に入れた。 |
| これに激高した民衆が文明12年(1480年)に徳政一揆を起こして関所を破壊した。 |
| 富子は財産を守るために弾圧に乗りだし桜井、329p、一揆後は直ちに関の再設置に取りかかったが、民衆だけでなく公家の怨嗟の的となった永原、330p。 |
| 義尚は成長すると富子を疎んじ始め、文明15年(1483年)には富子をおいて伊勢貞宗邸に移転し酒色に溺れた。 |
| このため富子は一時権力を失った。 |
| しかし延徳元年(1489年)に六角高頼討伐(長享・延徳の乱)で遠征中の義尚が25歳の若さで没した。 |
| 息子の急死に意気消沈したが、富子は義視と自分の妹の間に生まれた足利義材(後の義稙)を将軍に擁立するよう義政と協議し、同年4月に合意が行われた。 |
| 延徳2年(1490年)正月に義政が没すると、義材が10代将軍となった。 |
| しかし後見人となった義視は権力を持ち続ける富子と争い、富子の邸宅小河邸を破壊し領地を差し押さえた。 |
| 翌年の義視の死後、親政を開始した義材もまた富子と敵対した。 |
| 明応2年(1493年)、義材が河内に出征している間に富子は細川政元と共にクーデターを起こして義材を廃し、義政の甥で堀越公方足利政知の子足利義澄を11代将軍に就けた(明応の政変)。 |
| その3年後、明応5年(1496年)に57歳で死亡した。 |
備考
| 戦乱で苦しむ庶民をよそに巨万の富を築いた「悪女」「守銭奴」と評される事も多く、夫の義政が東山山荘の造営のため費用捻出に苦心していたときは、一銭の援助もしていない。 |
| 一方で、。 |
| 幕府財政は贈答儀礼や手数料収入などに頼ったものに切り替わりつつあり、富子の蓄財もその文脈で考える必要があるとも指摘されている桜井、331p。 |
| 学問にも熱心であり、関白一条兼良に源氏物語の講義を受けている。 |
| 将軍家御台所とはいえ、関白が女性に講義をするのは異例であるが、富子はこのために莫大な献金を行っている。 |
| 遺産は7万貫(約70億円)に達していたという。 |
| だが、その活動に対する庶民からの評価は決して高くなく、お金儲けに熱中した悪妻と囁かれた。 |
| 義尚の急死とそれに続く義政の病没によって、幕府内部が動揺する中で40年近く幕府とともに歩んできた富子は「御台」として引き続き幕府内部に大きな影響を与えてきた富子は義政の没後、6年間の余生を送っていたが、その間も将軍の正室を意味する「御台」の尊号で呼ばれていたことが、富子の死去を記した『実隆公記』や『後法興院記』の記事で知られている。 |
| 明応の政変における将軍追放も「御台」富子の支持があって初めて可能であったと言われている。 |
| 応仁の乱の原因として義尚の後見人を宗全に頼んだことが挙げられるが、近年の研究で応仁記が記した虚構ではないかとされている。 |
| 理由として、富子が宗全に依頼した出来事は応仁記以外の記録には見当たらず、義尚が生まれる前に宗全が諸大名と連携、その中に義視がいたことが挙げられている石田、3p-4p、185p-190p。 |
墓所等
| 墓所:京都市上京区の華開院に富子のものと伝わる墓が存在する。 |
| 木像:京都市上京区の宝鏡寺所蔵。 |
参考書籍
| 永原慶二『下克上の時代日本の歴史〈10〉』中公文庫、1979年。 |
| ISBN1121-681010-4622。 |
| 桜井英治『室町人の精神日本の歴史12』講談社学術文庫、2001年。 |
| 吉見周子『日野富子のすべて』新人物往来社。 |
| ISBN4-404-012136-4。 |
| 石田晴男『戦争の日本史9応仁・文明の乱』吉川弘文館、2008年。 |
| ISBN978-4-642-06319-7。 |
関連項目
| 明王院(大津市)。 |
| マーガレット・オブ・アンジュー-富子と同時代のイングランド王妃。 |
| 富子と同じく薄弱な夫に代わって政治の実権を握り、王位継承を巡る薔薇戦争を引き起こして国内を荒廃させた。 |
|
1455年
|
16歳で義政の正室となり、長禄3年1459年1月9... |
|
1463年
|
相次いで女子を産むが、男子を産むことは出来... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
足利義政
室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年-1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟... |
|
|
北条政子
平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室。伊豆国の豪族、北条時政の長女。子は頼家、実朝、大姫、三幡姫。兄弟姉妹には宗時、義... |
|
|
細川勝元
室町時代の武将・守護大名。管領、土佐・讃岐・丹波・摂津・伊予守護。足利氏の支流で三管領の1つである細川氏嫡流・京兆家の当主。細川持之の子、政元の父。... |
|
|
山名宗全
対立
室町時代の武将、守護大名。家系は新田氏庶流の山名氏。室町幕府の四職の家柄で侍所頭人。但馬・備後・安芸・伊賀・播磨守護。山名時熙の3男で、母は山名氏清... |
|
|
足利義尚
室町時代後期の室町幕府第9代将軍(在職:1473年-1489年)。晩年に義煕と改名しているが、一般的には義尚の名で知られる。応仁の乱では、叔父の足利義視と将... |
|
|
足利義視
室町時代中期から後期にかけての足利一族。一時的に将軍継嗣になったこともある。 |
|
|
今参局
室町時代の女性で、室町幕府8代将軍足利義政の乳母である。新田氏の一門である大舘満冬の娘で大舘教氏の妹。本名は不明。御今とも。義政のそばに蔓延る奸臣の... |
|
|
畠山義就
室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名である。河内・紀伊・山城・越中守護。足利氏(足利将軍家)の一門にて室町幕府の三管領家の1つである畠山氏出... |
|
|
田端泰子
日本の歴史学者、元京都橘大学学長。専門は日本中世史(中世後期の村落構造)・女性史。兵庫県神戸市生まれ。1964年京都大学文学部卒業、同大学院博士課程中... |
|
|
日野重子
室町時代中期の女性。日野家出身。室町幕府6代将軍足利義教の側室。日野重光の子。7代将軍足利義勝、8代将軍足利義政の生母。兄は日野義資で、その孫が日野勝... |
|
|
日野重政
父
日野重政(ひのしげまさ、生年不詳-嘉吉3年10月2日(1443年10月24日))は日野家分家当主。日野義資の長男。最初は政光と名乗っていた。法名・壷尊。位は蔵人... |
|
|
松本幸子
松本幸子(まつもと さちこ)
誕生日: 年月日
本名:
改名歴:
身長: cm
体重: kg
スリーサイズ(B/W/H): //
血液型: 型
出身地:
学歴:
家族(芸能人... |
|
|
日野勝光
日野勝光(ひのかつみつ、永享元年(1429年)-文明8年6月15日(1476年7月6日))は室町時代の公卿。本姓は藤原氏。家系は藤原北家の出で名家の家柄、日野家の... |
|
|
畠山政長
室町時代後期から戦国時代前期の武将・守護大名。室町幕府管領、河内・紀伊・越中・山城守護。足利氏の一門畠山氏出身。畠山持富の次男で政久(弥三郎)の弟... |
|
|
細川政元
室町時代後期から戦国時代前期の武将、守護大名、管領。足利氏の庶流・細川氏当主。幕臣ながら将軍をしのいで事実上の最高権力者となり、「半将軍」とも呼ば... |
|
|
永井路子
日本の歴史小説家。本名は黒板擴子(くろいたひろこ)。 |
|
|
伊勢貞親
室町時代の室町幕府政所執事である。桓武平氏の流れを汲む伊勢氏。父は伊勢貞国、母は蜷川親俊の娘。弟に貞藤。子に貞宗。 |
|
|
足利義満
足利義満(あしかがよしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年-1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。... |
|
|
佐久間智代
日本の漫画家。神奈川県出身。血液型はO型。本人曰く「鬼のようなTV好き」。作品の傾向として、妖怪や宇宙人等の人外の登場人物が多く登場する。高校生が主役... |
|
|
斯波義敏
室町時代後期の守護大名。斯波氏(武衛家)10代当主。父は斯波持種、義父は斯波義健。 |
|
|
日野富子さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|