| 200px|thumb|明智光秀の像(坂本城址公園内)。 |
| ファイル:IMG_4129.JPG|thumb|200px|明智光秀首塚、首はこの地に埋められたと伝えられる。 |
| のちに五重石塔が作られ首塚として知られる。 |
| なお,本来の所在地については諸説がある。 |
| 京都市東山区三条通白川橋下る東側。 |
| 主君・織田信長を討った行為については、近代に入るまでは“逆賊”としての評価が主だった。 |
| 特に儒教的支配を尊んだ徳川幕府の下では、本能寺の変の当日、織田信長の周りには非武装の共廻りや女子を含めて100名ほどしかいなかったこと、変後に神君徳川家康が伊賀越えという危難を味わったことなどから、このことが強調された。 |
| 本能寺の変で信長を討った後、光秀は京童に対して「信長は殷の紂王であるから討ったのだ」と自らの大義を述べた。 |
| しかし京童や町衆は光秀が金銀を贈与していたから表面上は信長殺しを賞賛したが、心の中では「日向守(光秀)は己が身を武王に比している。 |
| 笑止千万、片腹痛い」と軽蔑していたという。 |
| このことから光秀の行為が町衆などの市民にさえ支持されていなかったことがうかがえる(豊内記)。 |
| 『明智光秀公家譜覚書』によると、変後の時期に光秀は参内し、従三位・中将と征夷大将軍の宣下を受けたとされる。 |
| 光秀は信長を討った後、朝廷や京周辺の町衆・寺社などの勢力に金銀を贈与した。 |
| また、洛中及び丹波国に、地子銭(宅地税)の永代免除という政策を敷いた。 |
| これに対し、正親町天皇は、変の後のわずか7日間に3度も勅使を派遣している。 |
| ただし、勅使として派遣されたのは吉田兼見である。 |
| 兼和は、神祇官として朝廷の官位を受けてはいたが、正式な朝臣ではなかった。 |
| こうしたことから、光秀が得た権威は一時的なもので、朝廷は状況を冷静に見ていたと考えられる。 |
| 『老人雑話』は、光秀の言葉として以下の言葉を紹介している。 |
| 曰く、「仏のうそは方便という。 |
| 武士のうそは武略という。 |
| 土民百姓はかわゆきことなり」。 |
| この言葉を光秀の合理主義の表れであるとする意見がある。 |
| 高柳光寿は、著書『明智光秀』の中で、合理主義者同士、光秀と信長は気が合っただろうと述べている。 |
| 光秀が信長とウマがあったのは事実で、光秀が信長を信奉していたという史料上の記述も多い。 |
| また、信長の方も、例えば天正七年の丹波国平定について、「感状」の筆頭に「日向守、こたびの働き天下に面目を施し候…」と讃えている。 |
| 『信長公記』には他にも似たような記述が少なくない。 |
| 天正3年(1575年)の叙任の際に姓と官職を両方賜ったのは、光秀・簗田広正・塙直政の三人だけである。 |
| このことから、この時点で既に官職を賜っていた柴田勝家・佐久間信盛は別としても、丹羽長秀・木下秀吉などより地位が高かったと見てよいと思われる。 |
| 当時織田家中で5本の指に入る人物であったことは疑いなく、簗田・塙は譜代家臣であることから考えても信長の信頼の厚さが窺える。 |
| 『フロイス日本史』中には、。 |
| 「その才知、深慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けた」。 |
| 「己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。 |
| 友人たちには、人を欺くために72の方法を体得し、学習したと吹聴していた」。 |
| 「築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持ち主」・・・実際に、本能寺の変の後、光秀の進軍を阻むために安土への道中にある瀬田の唐橋が切断された際、「瀬の深さと流れる水足が極めて速いことから、それ(修理)は不可能な事と見られていた」にも関わらず、「明智の優秀な技能と配慮により、ただちに修理復旧された」という。 |
| 鈴木眞哉・藤本正行は共著『信長は謀略で殺されたのか』の中で、『フロイス日本史』での信長評が世間で広く信用されているのに対し、光秀評は無視されていると記し、光秀に対する評価を見直すべきとしている。 |
| 西近江で一向一揆と戦った時、明智軍の兵18人が戦死した。 |
| 実際に、光秀の家臣団は、本能寺の変でも一人の裏切り者も出さず、山崎の戦いでは劣勢であったにもかかわらず奮戦したといわれている。 |
| 現代に至る亀岡市、福知山市の市街は、光秀が築城を行い城下町を整理したことに始まる亀岡市は亀山城の城下町。 |
| 伊勢の亀山市との混同を避けるため、明治2年(1869年)に改称した)。 |
| 亀岡市観光協会など光秀ゆかりの地の十数団体を中心に、明智光秀が主人公の大河ドラマの制作を目指す署名活動が行われている。 |
| また、亀岡市や細川ガラシャゆかりの長岡京市等の京都府内の7市町が、2014年度の大河ドラマ実現に向け、活動をしている |