| 深水に常軌を逸した溺愛を一身に受けて成長。 |
| 世間知らずのお嬢様育ちで、一般常識というものがよく分からずまさに浮世離れした人格である。 |
| 幼少期から自宅と学校の行き帰りは勿論、何処に出掛けるにも養育係と一緒であったため、金銭の使い方や道順を覚えるということを知らないまま成長した。 |
| 膳に並んだシラスを見て「おとと(御魚)の目が怖い」と言えば爺やと婆やが魚の目をひとつひとつ取り除く。 |
| 雨が降れば一般では傘を使用するが、深水は「(朝丘の)指を怪我したら大変だ」と傘の開閉も、持たせることもさせない。 |
| 中学生時分に、ほんの気まぐれで、一人で通学を試みたが途中で迷子になってしまい大騒ぎになったことがある(現在でも一人では公共交通に乗って移動することも、切符の購入も出来ない)。 |
| しかし、物心つく前からそのような環境で育ったため朝丘にとっては“普通の生活”であり「父のすることは全て正しい」と信じ、疑問に感じたことはなかったという。 |
| 浮世離れで世間知らずな言動と、おっとりした性格が仇となったことがある。 |
| 宝塚時代もその性格は変わらず、朝丘の至らぬところは周囲が補ってくれていた。 |
| しかし、それらも朝丘にとっては実家に居たときと同様、当たり前のことだと思っていたため特に気にも留めずにいた。 |
| やがて娘役に抜擢されて人気も出てくると、朝丘に対して反感を覚える者も出てくる。 |
| ある時は舞台で使用する化粧品が紛失、ある時は衣装に不備が生じる。 |
| 靴の中に剣山や釘が仕込まれていたこともある。 |
| 幕間の衣装替えの時、靴を履き替える際に気付かずに踏んでしまい激痛で失神したことがある。 |
| 娘の幼少時代も授業参観で大騒ぎしたエピソードがあり、娘も「親が関わる時は必ずパパ(=夫の津川雅彦)が来てくれなきゃ困る」と言っていたという。 |
| 芸名は、「朝の丘の雪の路」は誰にも踏まれていないので真っ白、という意味が由来である。 |
| 花柳章太郎や川口松太郎にも、目をかけられた。 |
| 1967年『11PM』で大橋巨泉が胸の大きい朝丘を指して「ボイン」と呼び、'80年代まで長く使われる流行語になったという経緯がある。 |
| 巨乳タレントのはしりといえる。 |
| テレビ番組『ゲバゲバ90分』において、郵便小包の配達夫に「拇印お願いします」と言われ、「よいしょっと」と言いながら伝票にボイン(自分の乳房)を押し付けるコントを披露した。 |
| 1974年春よりフジテレビ系の歌謡番組『夜のヒットスタジオ』の2代目司会者として、芳村真理、三波伸介とのトリオ体制で司会を担当したが、程なく、舞台の長期公演の仕事が入ってしまい、やむなくわずか3か月でレギュラーでの出演を中断。 |
| その後、1975年3月までは、スケジュールが空いている場合等にゲスト司会者として断続的に出演をするという変則的な形式が採られていた。 |
| 3か月で番組降板をしたことにつき、同い年の芳村との確執が原因では、とする噂もあったが、この点については後年、明確に否定している。 |
| 実際には、1960年代半ばの頃から芳村が朝丘の歌謡ショーの司会を担当したこともあるなど、長年の親交があり、当時、お互いに毎回放送前になると服装をどうするかを相談し合い、なるべく衣装の雰囲気が重ならない形で放送本番で着用する衣装を選ぶようにしていたというその後も、ゲスト歌手の客演やご対面ゲストといった形で番組に顔を出したことはあるが、3か月のみの登板であったこともあり、フジテレビ側の公式解釈としては正式のレギュラーの司会者ではなく、「ゲスト」司会者扱いとされており、『夜ヒット』の○周年記念・あるいは○百回記念といった節目の回において歴代司会者が集まる場で彼女が司会者の一人として登場したことはなく、最終回や1000回記念でも歴代司会者から彼女の名前は除外されていた。 |
| ただし、1000回放送での勇退後に芳村真理が著した勇退記念本『芳村真理の夜のヒットスタジオDELUXE』(1988年6月発刊)の中では、前田武彦・井上順・古舘伊知郎と並んで歴代司会者の一人として番組の想い出や芳村へのメッセージを語っている。 |
| 恐らく、同じく2代目の芳村の相手役であった三波伸介が既に1000回放送の時点で逝去していた(1982年末に三波は逝去した)ことからその代わりとして朝丘へのインタビューを行ったものと考えられる)。 |
| 『笑っていいとも!』の「テレホンショッキング」コーナーに何度かゲスト出演しているが、さまざまなハプニングを起こしている。 |
| 1986年3月3日の出演時、「お友達紹介」の際に次回出演の宍戸錠の、自宅の電話番号を思わず言ってしまう。 |
| その直後、宍戸宅にいたずら電話が殺到、しばらく電話が繋がらない状態となった。 |
| 宍戸はその後、自宅の電話番号を変更せざるを得なくなったという。 |
| また1988年12月16日にも出演予定だったが、滞在先の金沢市が大雪により、飛行機が大幅に遅れて離陸のため同番組に登場出来なかった(急遽本番当日は長門裕之が代理出演)。 |
| 無線電話で司会のタモリと連絡が繋がったが、朝丘はこの時思わず「いま飛行機の上~!」と叫んでしまう。 |
| タモリは「早く飛行機の中に入って下さい!『かんれーじぇんしぇん』が…」正しくは「寒冷前線」。 |
| 気象解説者・福井敏雄の独特な言葉で話題となったとギャグを飛ばし、会場は大いに受けていた。 |
| 友人であった鈴木その子の経営していた会社「トキノ(現SONOKO)」のCMに出演したことがある。 |
| また、2006年に放送された鈴木の半生を描いたドラマ『ダイエットの女王鈴木その子』では、鈴木の実母・末野を演じている。 |
| 近年『エンタの神様』でははなわが朝丘にインタビューしつつ「朝丘雪路伝説」というネタを披露した。 |
| 仲の良い先輩、同年代のタレント、実の娘からも「ゆきえちゃん」と本名で呼ばれている。 |
| 朝丘自身は夫を「まー」と呼んでいるらしい(トーク番組では夫のことを「雅彦さん」「津川さん」と言っている)。 |
| 若いころは「雪姐(ゆきねー)」という愛称でも呼ばれた。 |
| フジテレビの2006年5月25日放送の『クイズミリオネア』に真由子と親子で出演し、750万円の問題で「浦島太郎の竜宮城の場所」の解答を間違えて賞金100万円を獲得。 |
| 娘が生後5ヶ月の時期に誘拐されたことがある(津川雅彦長女誘拐事件)。 |
| 後に娘は無事発見・保護され、誘拐犯は逮捕される。 |
| ヒット曲もあり、代表的なものは「道頓堀行進曲」(1961年東芝音楽工業)「振り向いてもくれない」(1965年日本クラウン)「スキャンドール」(1968年日本クラウン)「雨がやんだら」(1970年CBSソニー)など。 |
| 11PMでの、キャッチフレーズで自身が「朝弱い朝丘雪路です」と言っていたように、おっとりとした低血圧の天然キャラも売り物であった。 |
| 実際にトーク番組などで自身が披瀝する低血圧エピソードは多い。 |
| 代表的なものに、朝の低血圧時にホテルの部屋のモーニングコールが鳴ると、驚いてそのまま気絶。 |
| 部屋で倒れているところを発見されて大騒ぎになることが度々ある、など。 |
| 結婚するまで自分でお金を払って買い物をしたという経験が全く無く、結婚してから買い物はすべて1万円札で支払っていたためにお釣りの千円札や硬貨が溜まりに溜まり、ある日、薬を探していた津川が引き出しから小銭の山を発見し仰天する。 |
| 無論、金銭感覚も一般とずれているため、ともすると言われるままに多く支払ってしまう。 |
| 料理は「火が怖い」、洗濯は「洗濯機が使えない」、掃除は身の回りの整理が辛うじて出来る程度で「掃除機の使用方法が分からない」。 |
| それを聞いた朝丘は「私も家事の出来る奥さんが欲しいわ」とあっさり言ってのけたという。 |
| 夏は親が用意したホテルのスイートのプール(1ヵ月貸切)にて友人たちと過ごした。 |
| 日本ではまだ試験放送だった時期にアメリカの番組(「ダイナ・ショア・ショウ」)に出演した。 |
| (『笑っていいとも!』のお答え足し算100超えたら負けよ!より)。 |