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プロフィール
- 木田勇とは
- 来歴・人物
- プロ入り後
- 引退後
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 関連項目
木田勇(きだいさむ、1954年6月7日-)は、神奈川県横浜市旭区出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
| 横浜一商高(現・横浜商科大学高等学校)から社会人野球の日本鋼管に進み、の都市対抗で準優勝するなど活躍した。 |
| 同年のドラフト会議では、大洋、広島、阪急の3球団が1位指名。 |
| 抽選の結果、広島が交渉権を獲得したがこれを拒否。 |
| 一般には大洋入りを強く希望したためと報じられているが、『広島アスリートマガジン』に連載された元スカウトの木庭教の記事には、「当初入団には前向きだったが、ある宗教団体との関係から入団が困難になった」との記述があった。 |
| 参考までに、木田は創価学会の機関紙である聖教新聞2009年12月18日号で創価学会員として紹介されていることから、宗教法人創価学会の会員であることが確認されており、また、同記事によれば社会人野球時代には既に創価学会に入会していたことが書かれてあるので、広島入団交渉時に障壁となった宗教は創価学会の事を指していると考えられるが、これは広島ファンの噂や憶測の域を出ない。 |
| なお広島のドラフト1位指名を拒否した人物は木田のみである。 |
| 翌1979年のドラフト会議でも再び3球団(巨人、日本ハム、大洋)の1位指名が重複したが、交渉権を得た日本ハムに入団した。 |
| 入団交渉の際、条件として住宅(土地とも言われている)を要求したと伝えられたことも話題となった。 |
プロ入り後
| ルーキーイヤーのに22勝8敗4セーブ、225奪三振、防御率2.28、勝率.733という驚異的な成績で投手部門のタイトルを独占。 |
| 後期優勝のかかった近鉄との最終戦には敗れて優勝を逃したが、新人王、そして史上初めて新人選手としてMVPに選ばれた。 |
| この年のパ・リーグは3チームがシーズン200本塁打を記録するなど、リーグ全体で1196本塁打という稀にみる打撃優位の年であり(本塁打が最も少なかったのは木田が所属する日本ハムで167本)、そのような年に22勝、防御率2.28は驚異的な成績といえる。 |
| 木田に引っ張られるようにこの年の日本ハムはパ・リーグ6チームで唯一、チーム防御率が3点台(3.61)であった。 |
| また、新人の最多奪三振は1967年の江夏豊以来、パ・リーグでは1954年の宅和本司以来の快挙だった。 |
| 毎回奪三振をシーズン3回記録しており、これは江川卓(1981年)と並ぶプロ野球記録である。 |
| 木田は当時を振り返って、破格の入団条件からやっかみが多くチームで孤立していたが、それも成績を残してからは周囲からみとめられたという「あの時、君は若かった」ルーキー秘話『SportsGraphicNumber』2011年3月24日号、文藝春秋、2011年、雑誌26854・3・24、52頁。 |
| 翌にも10勝を挙げ、チームの後期優勝に貢献。 |
| ロッテとのプレーオフでは第5戦に先発して勝利投手となり、19年ぶりのリーグ制覇を果たした。 |
| 巨人との日本シリーズでは第4戦で先発し、平田薫にソロ本塁打を打たれ降板し、勝敗はつかなかった。 |
| オールスターゲームには1980年と1981年はファン投票選出で、は監督推薦で出場している。 |
| しかし、他球団からの徹底的なマークと酷使の影響でその後は目立った活躍ができず、に金沢次男・大畑徹との交換トレードで高橋正巳と共に横浜大洋ホエールズに移籍。 |
| そのシーズンは8勝を挙げたものの、それ以降の3シーズンで2勝に終わった。 |
| に加茂川重治との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍し、同年限りで現役引退。 |
| 2年目以降目立った活躍が見られなかった事について、日本ハム時代のチームメイトだった江夏豊は「愛すべき男だったが、自分の型に固執しすぎた。 |
| それが2年目以降伸び悩んだ原因だろう」と語っている。 |
引退後
| 引退後は、サラリーマンとして川崎市の印刷会社セイブンドーに勤めていた。 |
| しかし日本ハムファイターズに対して強い愛着があるようで、日本ハムOB会の会長を務めたり、幾度となく試合開始前の始球式に登板したり、スタンドで観戦したりしている。 |
| 会社を退職した後はデイリースポーツで評論活動を行っていた。 |
| また、プロ野球マスターズリーグに対する思い入れも大きく、2005年に3度目のセレクション挑戦で合格、現在札幌アンビシャスの一員である。 |
タイトル
| 最多勝利:1回(1980年)。 |
| 最優秀防御率:1回(1980年)。 |
| 最多奪三振:1回(1980年)※当時はタイトルではない。 |
| 最高勝率:1回(1980年)。 |
表彰
| MVP:1回(1980年)。 |
| 新人王(1980年)。 |
| ベストナイン:1回(1980年)。 |
| ダイヤモンドグラブ賞:1回(1980年)。 |
| 月間MVP:1回(1980年4月)。 |
記録
| 初登板:1980年4月6日、対西武ライオンズ戦(後楽園球場)。 |
| オールスターゲーム出場:3回(1980年-1982年)。 |
| 1試合9イニング最多投球数209:1983年9月21日、対西武ライオンズ戦(後楽園球場)※プロ野球記録。 |
| 4者連続被本塁打:1986年6月10日、対ヤクルトスワローズ戦(横浜スタジアム)※プロ野球タイ記録(1イニング4被本塁打もタイ記録)。 |
| 初回先頭打者から3者連続被本塁打:1989年6月4日、対広島東洋カープ戦(秋田)※プロ野球タイ記録。 |
背番号
| 16(1980年-1985年)。 |
| 10(1986年-1989年)。 |
| 45(1990年)。 |
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1954年
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木田 勇(きだ いさむ)は、神奈川県横浜市旭... |
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1980年
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月間MVP:1回 |
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投票数
0
| ふりがな |
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