| 1990年に「専門職」と呼ばれる半ばフリーな立場となった。 |
| 『優駿』での杉本の説明によれば、この「専門職」とは「好きなことをやっていいと言うことだったんですよ。 |
| こう言う対談に出るにしても、会社を通さなくて良いから、自分で判断してやる」立場とのこと。 |
| また、関西テレビ内では杉本の後輩・桑原征平もフリーになる直前の肩書は「専門職」だった。 |
| 関西テレビアナウンサーが専門職まで登りつめたのは現在に至るまでこの2人のみである(参考文献参照)。 |
| 1992年からは年末恒例の『さんま・清の夢競馬』がスタート、1995年からは『とんねるずのハンマープライス』のオークショニアとして出演し、とんねるずと親交を持つようになり、バラエティーにも進出する(後の定年退職後にはフジテレビ・関西テレビ共同制作のスポーツニュース番組『Grade-A』でとんねるずと共演している)。 |
| また、1995年頃『さんまのナンでもダービー』(テレビ朝日制作)では局の垣根を越えて出演し、実況を担当した(当時は、在阪テレビ局アナが系列外の在京テレビ局の番組に出演する事例がなかったが、杉本で初めて実現した。 |
| これ以前にも1991年に単発特番として放送された同番組で、声のみの出演で同じく実況を担当したことがある。 |
| 一方では、ライスシャワーが予後不良となった宝塚記念での実況について苦情の手紙を寄せた視聴者に、生涯初めて実況に関する謝りの手紙を出している。 |
| このとき、ライスシャワーが骨折、転倒した時に場内に大きな悲鳴が起ったが、そのことに気付かなかった杉本は「大歓声が上がって」と実況してしまっていた。 |
| すぐに落馬に気がついて「おおーっと、1頭落馬!」と続けたが、この実況に「ライスシャワーが落馬しているのに『大歓声!』とは何事か」と苦情の手紙が来たのである。 |
| 同年末の『さんま・清の夢競馬'95』にて、さんまはこのことに触れて「『ライスシャワー落馬!大歓声!』ってやったらね、そら怒られますわ」と言っている。 |
| 杉本はライスシャワー落馬の瞬間が初めは分からず、落馬に気付いた時に何が落馬したのかと双眼鏡で見ようとした際、ゲスト解説だった田原成貴が「ライスシャワー!」と言ったので、その時点で落馬したのがライスシャワーだったのに気付いたと言う。 |
| ただし、その手紙には「あなたは以前よりライスシャワーに冷たかった」とも書かれていたというが、これに関しては杉本は「自分は競馬が単なるギャンブルでなく大衆スポーツとして認められるずっと以前から競馬に携わってきた。 |
| 1996年には、大往生を遂げたシンザンの追悼イベントの司会も勤めた。 |
| 1997年2月19日編成局専任局次長職を最後に定年退職。 |
| 定年退職前、とんねるずの誘いでアライバルへの所属が決定。 |
| 定年退職の当日は『ハンマープライス』の企画で「杉本清引退記念パレード」と銘打って、大阪市内をオープンカーでパレードを行った。 |
| 以降は日本テレビ『スポーツうるぐす』の競馬キャスター、関西テレビ『ドリーム競馬』のターフコメンテイターを担当。 |
| 競馬実況そのものは、定年退職直後は宝塚記念・天皇賞(春)・菊花賞とその関連のレースに絞り、徐々に担当レースをかつての部下で後輩アナウンサーの馬場鉄志に譲り(それ以前から、杉本の不在時の実況や牝馬戦線を担当していた)、2004年の宝塚記念で一応のピリオドを打っている。 |
| その後、2007年4月22日に、東京競馬場フジビュースタンド竣工を記念して開催された第1回ジョッキーマスターズで久々の実況を行い、2008年11月9日に、アジア競馬会議が23年振りに日本で開催されることを記念して開催された第2回ジョッキーマスターズでも実況を行った。 |
| また、フジテレビ系列の真夏の一大イベント「FNSの日」の盛り上げにも一役買っている。 |
| それから11年後の2005年には、『FNSあっついテレビ局決定戦』決勝トーナメントで、初戦として行われた準々決勝のサラリーマンドッジボールと準決勝・決勝戦の社長アームレスリング、全7試合の実況を担当した。 |
| なお、競馬中継の他にも、関西テレビ制作の三菱ギャラントーナメント(現・ダイヤモンドカップゴルフ)の実況を1996年まで務めていた。 |
| 最終日が日本ダービー当日と重なるケースが多く、プレーオフなどで競技終了時間が遅くなると、ダービーの映像をリアルタイムで見ることができないことも多かった。 |
| 天覧競馬となった2005年10月30日の第132回天皇賞(秋)のレース前、競馬関係者の一人として今上天皇から言葉を掛けられた。 |
| 2009年12月27日を以って18年間続いた『DREAM競馬』が終了すると共に、杉本自身が解説の大坪元雄共々70歳を超えているために中堅若手へと世代交代となり降板した。 |
| 2010年以降、競馬中継の第一線から離れることになったが、後継番組『競馬beat』では番組サイト上のコラム執筆を継続することを明言している『DREAM競馬』では“杉本清・夢の一頭”。 |
| 2010年のテレビドラマ『チャンス』(NHK)の最終回では有馬記念の実況役で出演している。 |