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プロフィール
- 杉永政信とは
- 来歴・人物
- 杉永審判絡みのトラブル
- 背番号
- 審判出場記録
- 関連項目
杉永政信(すぎながまさのぶ、1961年5月5日-)は、福井県出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。
来歴・人物
| 鯖江高からのドラフト1位(木田勇の外れ1位)で横浜大洋ホエールズに入団。 |
| 高校球界では無名ながら、巨体から繰り出す速球は150キロ近いと言われ、将来を期待されていた。 |
| 本人も入団会見の際に、「300勝する」と宣言していたが、入団後はフォームを崩したこともあって伸び悩み、ストレートの球速が120キロ前半にまで落ち込んでしまった。 |
| その後アンダースローに転向するなど試行錯誤を繰り返していたが、スローカーブを取得してから2軍で成績を残せるようになり、に1軍デビューし3試合登板した(この頃はストレートの球速も135キロ前後まで回復していた)。 |
| しかし、その年のオフに戦力外通告を受け現役引退した。 |
| 翌年打撃投手となるものの1年で退団。 |
| オールスターでは2007年第2戦(オールスター史上初となる降雨コールドゲームかつ52年ぶりデーゲーム開催)で球審を、日本シリーズでは2004年第5戦、2010年第7戦で球審をそれぞれ担当。 |
| 1992年9月11日阪神甲子園球場で行われた阪神タイガース対ヤクルトスワローズ第18戦(日本プロ野球史上最長の6時間26分を記録した試合)で一塁塁審を務めていた。 |
| 審判員袖番号は16(1988年の初採用からつけている)。 |
| 190cm近い長身であり、日本プロ野球審判史上有数の巨漢である。 |
杉永審判絡みのトラブル
| 1999年7月18日、阪神対巨人戦(阪神甲子園球場)。 |
| 6回表、巨人が二死二塁で打者高橋由伸が一塁ゴロを打ち、一塁ベースカバーに入った阪神のダレル・メイ投手がボールを受けて一塁ベースに触れた。 |
| タイミングはアウトだったが、杉永一塁塁審はメイがベースに触れてないとしてセーフと判定した。 |
| この判定を不服として杉永に抗議。 |
| そしてメイが杉永を突いて退場処分(メイは14日間の出場停止)。 |
| また抗議している間に走者が生還して失点。 |
| この失点が響き試合は3対2で巨人が勝利した。 |
| 2001年4月26日、広島対横浜戦(広島市民球場)。 |
| 7回表二死満塁で打者・佐伯貴弘への投球を一度は「ボール」といったが、すぐに「ストライク」と変更した。 |
| この判定に森監督が激怒し杉永球審に詰め寄って抗議すると「こんなこともある」と答え、同監督はさらに激怒した。 |
| 2004年の日本シリーズ第1戦・中日対西武戦。 |
| 5回裏中日の攻撃で一死一塁。 |
| 打者谷繁元信の打った打球は捕手前のゴロとなった。 |
| 捕手野田浩輔が捕球し直ちに谷繁に触球を試みた。 |
| 球審橘高淳は野田が打者走者谷繁に触球したと判定し、アウトを宣告した。 |
| 野田は二塁へ送球。 |
| 橘高のアウトの宣告が聞こえていなかったのか、二塁塁審の杉永は一塁走者のオマール・リナレスに二塁フォースアウトを宣告した。 |
| この判定を受け、遊撃手中島裕之は一塁に送球。 |
| 西武側は併殺したと判断し、ベンチに引き上げた。 |
| すると中日の監督落合博満は審判団に、「打者走者に対する触球によってアウトが宣告されたのなら、二塁はタッグプレイになる。 |
| 一塁走者はアウトではない」と主張した。 |
| 確かに橘高が打者走者のアウトを先に宣告しているので、一塁走者のフォースの状態は解除されているから、二塁ではタッグプレイが行わなければならない。 |
| このため、審判団は協議の上、杉永のフォースアウトの判定を取り消し、二死二塁からの再開を決めた。 |
| しかし、西武の伊東勤監督がこれに対して「一度審判員がアウトといったのだから」とこの決定に対して異議を唱える。 |
| 球審の橘高は場内アナウンスを行うが、「野田選手のプレイについて伊東監督に説明していますので、しばらくお待ちください」という曖昧なものであった。 |
| この間49分試合が中断、最後は友寄責任審判と橘高とが場内アナウンスで謝罪するという異例の事態となった。 |
| この件で審判団はコミッショナーからは厳重注意を受けた。 |
| 2008年8月28日、巨人対横浜戦(東京ドーム)。 |
| 5回1死で坂本勇人が右前安打を放って塁をオーバーランした際、一塁に送球されて一塁塁審の笠原昌春が「セーフ」の判定をする一方で、球審の杉永政信が「アウト」の判定をした珍事が発生。 |
| 公認野球規則9.04の(c)で審判団が協議した結果、セーフの判定になった。 |
背番号
| 28(1980年-1981年)。 |
| 52(1982年-1985年)。 |
審判出場記録
| 初出場:1989年9月8日、阪神対大洋19回戦(甲子園球場)、左翼外審。 |
| 出場試合数:1717試合。 |
| オールスター出場:3回。 |
| 日本シリーズ出場:3回。 |
| (記録はシーズン終了時)。 |
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1961年
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杉永 政信(すぎなが まさのぶ)は、福井県出... |
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1989年
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阪神対大洋19回戦(甲子園球場)、左翼外審 |
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つながりの強いひと
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友寄正人
セントラル・リーグのプロ野球審判員。沖縄県出身であり、同県出身のプロ野球審判員第一号である。審判員袖番号22。 |
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嶋田哲也
山口県出身の元プロ野球選手。現プロ野球審判員。野球中継で解説者や実況に、名字の読みをしばしば「しまだ」と読まれていたことがあるが、正しくは「しまた... |
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白井一行
白井一行(しらいかずゆき、1977年10月3日-)はプロ野球審判員。パシフィックリーグ・関西審判部所属。審判員袖番号は「20」。兵庫県明石市出身。 |
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笠原昌春
東京都出身のプロ野球審判員。役職はクルーチーフ。 |
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木田勇
神奈川県横浜市旭区出身の元プロ野球選手(投手)。 |
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奥山一寸法師
東京都青ヶ島村出身の実業家。機械銘柄の東証二部上場企業フリージア・マクロスの代表取締役社長。フリージアグループ・会長の佐々木ベジ、フリージアハウス... |
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北安博
石川県河北郡内灘町出身の元プロ野球選手(内野手)。 |
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渡田均
渡田均(わたりだひとし、1958年5月1日-)は広島県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は31(1988年の袖番号初採用時から)。 |
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竹之内徹
鹿児島県出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 |
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秋村謙宏
山口県出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。 |
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橘高淳
橘高淳(きったかあつし、1962年12月17日-)は滋賀県出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球審判員。旧名は橘高敦。 |
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丹波幸一
日本の プロ野球審判員 。 来歴・人物 神港学園高 から 京都産業大 を経て、 1993年 パシフィック・リーグ の関西審判部に入局。 1994年 6月2日 のオリックス... |
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馳浩
日本の政治家、元プロレスラー。衆議院議員(4期)。参議院議員(1期)を務めた。 |
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渋谷哲平
日本の俳優・歌手。旧所属事務所はサンミュージックプロダクション。 |
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春川正明
讀賣テレビ放送報道局解説副委員長・関西大学社会学部非常勤講師・元読売テレビ報道局報道部長・元チーフプロデューサー。大阪市出身。 |
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中村稔
■ 中村稔典さん
宇都宮市出身。老舗材木屋の三代目として生まれる。大阪学院大学卒業後、2×4住宅系のハウスメーカーに入社、新人営業トップセールスを獲得、... |
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有隅昭二
福岡県粕屋郡出身の元プロ野球選手、現在はプロ野球審判員である。審判員袖番号は37。 |
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杉永政信さんについてのひとこと紹介
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