| 1954年…福岡県福岡市博多区に生まれる。 |
| 1962年…東京都大田区に転居。 |
| :転校先の小学校では「スーダラ節」を歌ってクラスの人気者になるなど、人を楽しませることが大好きな性格は既にこの頃には開花していた。 |
| :ラジオから流れるロイ・オービソンの「オー・プリティ・ウーマン」を聞いて洋楽に強い興味を抱く。 |
| その後はラジオで浴びるように洋楽を聞くようになる。 |
| 1964年…ビートルズの「のっぽのサリー」を聞いて衝撃を受ける。 |
| その後はビートルズの大ファンとなる。 |
| この頃初めて買ったレコードも「のっぽのサリー」だった。 |
| :楽器を所有していなかったため手作りの楽器で楽曲演奏をしていたが、祖母にウクレレを買ってもらう。 |
| :真理の友人には青山純(後のプリズムのドラマー)の兄がいた。 |
| そのため真理は青山純にもビートルズのレコードを聴かせていた。 |
| この事がきっかけで後に青山は杉真理のバンドのレコーデイングに参加している。 |
| 1966年…大田区立貝塚中学校に入学。 |
| 同級生とバンドを結成する(楽器はウクレレ)。 |
| :その後、ガットギターを入手する。 |
| 真理はクラシックの楽曲をアレンジするなどしてギターを演奏。 |
| ギターの習得に勤しむとともに、曲作りを始める。 |
| 1967年…日比谷野外音楽堂で行われた森山良子が出演していたフォークコンサートに飛び入り出演した。 |
| :この頃からジェームス・テイラーやエルトン・ジョンの影響を受けるようになる。 |
| 1969年…大田区立貝塚中学校を卒業。 |
| 福岡に戻り西南学院高等学校に入学。 |
| :アマチュアバンドを結成し、練習に励む。 |
| :1970年の夏休みにはニッポン放送系列の名物ラジオ番組「バイタリス・フォーク・ビレッジ」の公開放送を見るために上京。 |
| 出演者のブレッド&バターが歌うCSN&Yの『Halplessly&Hoping』を聞いてコーラスワークのレベルの高さに驚く。 |
| 福岡に戻ってからは自分のバンドのコーラスワークの強化に励むようになる。 |
| 1972年…西南学院高等学校卒業。 |
| その後再び上京し、慶應義塾大学工学部に入学。 |
| :大学の軽音楽サークル「リアルマッコイズ」に参加。 |
| この頃に早稲田大学の学生だった安部恭弘とも出会う。 |
| 1973年…軽音楽サークル「リアルマッコイズ」グループのリーダーになる。 |
| さらに「リアルマッコイズ」を発展させた形で【ピープル】を結成する。 |
| :【ピープル】は結成当初はジェームス・テイラーをコピーする程度のバンドに過ぎなかったが、後に竹内まりやと安部恭弘が参加し、数々のコンテストに出場するうちに実力を蓄えていく。 |
| こうして【ピープル】は後の【MARI&REDSTRIPES】の礎となる。 |
| 1974年9月7日…ヤマハ主催のヤマハポピュラーソングコンテストの予選である関東・甲信越大会(中野サンプラザ)に【ピープル】で出場し『踊りに行こう』(作詞・作曲:杉真理)を演奏した。 |
| :同じ大会に出場していた佐野元春と舞台袖で出会う。 |
| ちなみに佐野元春(バックレイン元春セクション)が演奏した曲は『ByeByeC-Boy』(「NIAGARA TRIANGLEVol.2」収録曲)であった。 |
| :同年の「ヤマハJコンテスト」決勝大会(銀座ヤマハホール)にも出演し、見事作曲賞を受賞した。 |
| この大会で審査員を務めていた松任谷正隆から声がかかる。 |
| 1977年…ビクター音楽産業からリリースの【MARI&REDSTRIPES】名義のシングル「思い出の渦」(同日にアルバム「MARI&REDSTRIPS」もリリース)でレコードデビュー。 |
| 1978年…風邪をこじらせて急性髄膜炎で久我山病院に入院、活動を一時休止する。 |
| :活動休止中は西荻窪の喫茶店“CITYMAGIC”の運営に携わりながら作曲家として竹内まりや、須藤薫、レイジーなどに楽曲を提供する。 |
| 須藤薫の作曲の依頼を受けた時に松任谷正隆と再会し、松任谷由実とも知り合う。 |
| 1980年…CBSソニーに移籍し、6月21日にソロ再デビューシングル「Holdon」リリース。 |
| :【THEHOSPITAL】名義でリリースしたシングル「LIVECAPSULE」がSONYのカセットテープのCMソングとなり、ヒットする。 |
| :7月21日…CBSソニー移籍後初となるアルバム「SONGWRITER」をリリース。 |
| 1981年…佐野元春、網倉一也、浜田金吾と共に「JapanContemporarySoundコンサート(ジャパコン)」に出演した。 |
| ステージ上で突然大瀧詠一が「NIAGARA TRIANGLEVol.2」の制作メンバーに佐野元春と杉真理を指名する。 |
| 1982年…「NIAGARA TRIANGLEVol.2」リリース、ソロアルバム「OVERLAP」をリリース。 |
| :10月1日リリースのシングル『バカンスはいつも雨(レイン)』がグリコチョコレートのCMソングになり、堀ちえみがCMに出演したこともあり大ヒットとなった。 |
| :8月31日~9月2日…松任谷由実、須藤薫とのジョイントコンサート「WonderFullMoon行かないで夏休み」を開催。 |
| 1983年…ソロアルバム「STARGAZER」をリリース。 |
| 「WonderFullMoon行かないで夏休み」の2回目のツアーを全国各地にて実施(3月5日~4月7日)。 |
| 1984年…ソロアルバム「MISTONE」をリリース。 |
| :アーティストブック「MISTONE」の執筆を開始。 |
| 同年6月1日に発行。 |
| :11月8日…杉真理が総合プロデュースしたジョイントコンサート「杉真理とその仲間たち」(中野サンプラザ)〔出演:杉真理、伊藤銀次、Hi-Fi SET、安部恭弘、飯島真理〕を開催し、大成功を収める。 |
| :Hi-Fi SETに提供した『素直になりたい』がシチズンのCMソングに使われてヒットする。 |
| 1985年…ソロアルバム「SYMPHONY#10」をリリース。 |
| :11月1日…杉真理が総合プロデュースしたジョイントコンサート「杉真理とその仲間たちVol.2」(熊本県民劇場)〔出演:杉真理、伊藤銀次、安部恭弘、EPO、麗美、飯島真理〕を開催。 |
| :杉真理のラジオ番組「フォー・ウェイ・ミュージック・ストリート」に松尾清憲がゲスト出演。 |
| 2人とも大のビートルズ・フリークであり、同じ福岡県出身であることから急速に交友を深めていく。 |
| 1986年…ソロアルバム「SABRINA」をリリース。 |
| このアルバムで松尾清憲がコーラスに初参加、以降松尾は杉の作品に深く関わるようになる。 |
| :1月30日~31日…杉真理が総合プロデュースしたジョイントコンサート「Let'sCityharmony」(中野サンプラザ)〔出演:杉真理、小林克也、Hi-Fi SET、MALTA、Bread&Butter、EPO〕を開催。 |
| :コンピレーションアルバム「WinterLounge」をリリース。 |
| 1987年…ソロアルバム「HAVEAHOTDAY!」、コンピレーションアルバム「SUMMERLOUNGE」をリリース。 |
| :9月頃、杉真理と松尾清憲が抱いていた「ジョン・レノン&ポール・マッカートニーのような音楽をやりたい」という話が具体化し、小室和幸、田上正和と共に密かに【BOX】を結成し、杉の自宅で曲作り&デモテープの作成を始める。 |
| 1988年4月21日…【BOX】の初シングル「風のBadGirl」をリリース(【BOX】の正式結成)。 |
| 5月5日には【BOX】の1stアルバム「BOXPOPS」をリリースする。 |
| :1988年5月14日~1989年1月14日…【BOX】の大規模ライヴツアー「BOXPOPSTour」を開催。 |
| 1989年…ソロアルバム「LADIES&GENTLEMEN」をリリース。 |
| このアルバムでは松尾清憲が作曲にも参加し、以降曲造りにおいても杉真理と松尾清憲の共作が増えていく。 |
| 1990年…ソロアルバム「WonderfulLife」をリリース。 |
| :2月20日~22日に行われた稲垣潤一のコンサート「SOUNDofLIFEinnaeba」(苗場プリンスホテル)に杉真理と伊豆田洋之、鈴木雄大の3人がゲスト参加した。 |
| この時にポール・マッカートニーに似た伊豆田洋之の歌声を聴いて惚れ込む。 |
| 1991年…ソロアルバム「MADEINHEAVEN」をリリース。 |
| :サントリーギフトのCMソング『ウイスキーが、お好きでしょ』(SAYURI)が大ヒットする。 |
| :伊豆田洋之に『夢のふるさと』(JRAキャンペーンCMソング)を提供。 |
| :12月30日…「THEBEATLES30thANNIVERSARYFORUM」にTHEALWAYS・松尾清憲らとともに出演する。 |
| :6月4日…NISSINPOWERSTATION閉店ライブ「杉真理パワステ最後の日」(出演:【Piccadilly Circus】、須藤薫、安部恭弘、村田和人)を開催。 |
| :ネスレのチョコレート菓子KitKatのCMに、杉真理の『雨の日はきっと』(翌年にリリースのアルバム「LOVEMIX」に収録)が起用される。 |