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| 1月19日に読売ジャイアンツへの入団が発表された。 |
| 単年契約を結び、背番号は33。 |
| WBCでの活躍や、高橋由伸・小久保裕紀(現・福岡ソフトバンクホークス)などの主軸が毎年のように故障していたこともあり、原辰徳は李を開幕から4番打者として起用。 |
| 8月1日には日韓通算400本塁打を達成、故障者続出の中でフル出場を続け、打率.323・本塁打41・打点108と来日以降最高の成績をマークした。 |
| 前年まで苦しんでいた左投手に対してもこの年は打率.338をマークするなど、完全克服を印象付ける。 |
| シーズン終了後に再びメジャー移籍を目指すと思われたが終盤に膝を痛め、オフシーズンに内視鏡手術を受け、オフをリハビリに費やすことになる。 |
| 巨人の熱心な説得もあり、2007年から4年総額30億円(推定年俸6億5千万円)と朝鮮日報が報じたが |
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| 背番号を25に変えてプレー。 |
| 前年に手術した左膝のほかに左肩や左手親指にも炎症を起こすなど故障が多く、2軍降格や7番打者での出場も経験するなど苦しいシーズンとなった。 |
| 終盤に4番に復帰したものの成績は打率.274・本塁打30・打点74に終わる。 |
| 巨人は5年ぶりにリーグ優勝し、迎えたクライマックスシリーズ第2ステージでは、3試合で3安打を放つも0打点、巨人も敗れて日本シリーズ進出はならず、同じ3安打でありながら2本塁打・5打点を記録したタイロン・ウッズとの差が際立った。 |
| この年、メジャーからの誘いが依然として無いことと、成績不振、左手親指付け根の手術を理由に翌年のメジャー挑戦を諦めることを決意したとされている |
| またこの手術(10月に実施)を理由に北京オリンピック野球アジア地区予選韓国代表入りを辞退した。 |
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| 手術明けであったが、宮崎春季キャンプを2月半ばで早々に切り上げ、3月からの北京オリンピック野球世界最終予選に韓国代表として出場 |
| しかし、その余波でオープン戦には2試合しか出場できず、調整の遅れが生じて開幕から14試合で打率.135・本塁打0・打点2と低迷し、4月14日には早々に降格した。 |
| 北京オリンピック派遣直前の7月25日に再昇格したものの成績は振るわず、打率.141のまま北京五輪に参加した。 |
| 8月28日に昇格したが、エイドリアン・バーンサイドの登板予定があるほか、外国人枠(ほか3人はアレックス・ラミレス、マーク・クルーン、セス・グライシンガー)の関係で9月4日に最降格。 |
| 9月14日に再昇格してからは復調して最終戦まで5番で起用された。 |
| 結局、45試合で打率.248・本塁打8・打点27。 |
| 阪神との最大13ゲーム差を逆転してリーグ連覇(メークレジェンド)し、クライマックスシリーズでは16打数・4安打・2本塁打・4打点の活躍を見せた。 |
| しかし、日本シリーズでは18打数・2安打・12三振の大不振に陥り、チームも日本一を逃した。 |
| 12三振はジャック・ハウエルが1992年に記録した16三振に次ぐ記録で、巨人選手としてはチーム新記録であった。 |
| その後、来日以来最低の成績に終わった今季を「野球人生で最悪の1年だった」と振り返り、翌年に集中するとして2009ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表を辞退することを表明した |
| 体調を整え、オープン戦では打率.302・本塁打8本・17打点と好調を維持したが、開幕と同時に絶不調となり、エドガルド・アルフォンゾとの併用で右投手登板時を中心に出場となった。 |
| 16本塁打を記録するもチャンスに結果が残せず、打率.300を超える時期があったものの無安打が続き、打率を大幅に落としたほか、一塁守備もミスが目立ったため、昇格と降格を繰り返す、さらに腰痛も発症して抹消され、そのままシーズンを終えた。 |
| ファーム日本選手権に李炳圭とともに先発出場した |
| しかし、日本シリーズでは好調で適時打や本塁打を放つなどして巨人の優勝に貢献し、更に日韓クラブチャンピオンシップでも活躍して巨人の日韓クラブチャンピオンシップ制覇に貢献した。 |
| 開幕一軍入りを果たしたが、打撃は絶不調で一軍成績は出場56試合、打率.163・本塁打5本・打点11点と自己最低の成績に終わった。 |
| これについて「渡邉恒雄が『去年活躍した選手が今年みんなダメになった。 |
| 4年契約で大金払って全く役に立たなかった選手もいる』と、李が期待外れの成績だったことを暗示するような内容のコメントを発した」という一部報道もあった。 |