105400
94161
630536
%E6%9D%8E%E6%96%89%E8%B3%A2
%E6%9D%8E%E6%96%89%E8%B3%A2
%E6%9D%8E%E6%96%89%E8%B3%A2
%E6%9D%8E%E6%96%89%E8%B3%A2
%E6%9D%8E%E6%96%89%E8%B3%A2
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 李斉賢の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
李斉賢(り・さいけん、り・せいけん、1287年-1367年)は、朝鮮・高麗の政治家・儒学者・詩人。初名は之公、字は仲思、号は益斎。諡は文忠。朝鮮における朱子学普及に努めるとともに、元との関係調整に尽くして高麗の存続に尽力した。
略歴
| 検校政丞・李瑱の子として慶州に生まれる。 |
| 14歳で科挙に合格し、22歳で芸文春秋館に入る。 |
| また、朝鮮における朱子学の祖である白頤正の門弟となる。 |
| 1320年、子の忠粛王に位を譲っていた前王忠宣王が、滞在中の元において突如讒言によって捕らえられて吐蕃(チベット)へと流される。 |
| これを機に一部の親元派高官が権力の拡張を図り、1323年には高麗の元への併合の申し出が行われた(立省問題)。 |
| これを憂慮した李斉賢は元の政堂に対して高麗併合は元の長期的利益にはならない事を説いて、計画を中止させた。 |
| また、この年には遠くチベットへと旅立って忠宣王を見舞っている。 |
| 1339年、忠粛王が亡くなり忠恵王が立つと、元の信頼の低い忠恵王の廃位を計画する親元派の画策で王が2度にわたって元軍に捕らえられると、元の宮廷に出向いて王を弁護した。 |
| その後恭愍王が即位すると、権征東行省事(元の官職で正官は高麗王の兼務)に任じられ、1356年に金城侯門下侍中に任じられて宰相の任を帯びた。 |
| 翌年には引退して著作活動に専念したが、大事の際には度々王から諮問されたという。 |
| 死の7年後には恭愍王廟に合祀された。 |
| 儒学者として多くの門人を育てて朱子学の普及に努める一方、度々の元訪問を通じて多くの文人と交わった。 |
| また、忠烈王から忠粛王までの3代の実録や国史の編纂などに従事したが現在では散逸している。 |
| 現在では随筆集『櫟翁稗説』・詩文集『益斎乱藁』が現存している。 |
参考文献
| 『高麗史』巻34-39、巻41、巻110。 |
| 『高麗史節要』巻24-28。 |
| 『東国通鑑』巻42-46。 |
| 『益斎先生年譜』。 |
| 『牧隠文稿』巻16。 |
|
1320年
|
子の忠粛王に位を譲っていた前王忠宣王が、滞... |
|
1339年
|
忠粛王が亡くなり忠恵王が立つと、元の信頼の... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
恭愍王
恭愍王(きょうびんおう、1330年-1374年在位:1351年-1374年)は第31代の高麗王。忠粛王の子。姓は王、名は祺。蒙古名は伯顔帖木児。諡号は恭愍仁文義武勇智... |
|
|
金重明
在日韓国人の作家、翻訳家。東京都生まれ。東京大学、大阪外国語大学朝鮮語学科中退。韓国関係の翻訳を多く行う。1997年『算学武芸帖』で朝日新人文学賞、200... |
|
|
二条道平
鎌倉時代後期から南北朝時代初期の公家。摂政・関白二条兼基の子。官位は従一位・関白・左大臣。後光明照院と号する。 |
|
|
忠烈王
忠烈王(ちゅうれつおう、1236年-1308年)は第25代高麗王(在位1274年-1298年、復位1298年-1308年)。姓名は王椹、第24代高麗王元宗の子。諡は忠烈景孝大王、... |
|
|
ロベール3世・ダルトワ
中世フランスの貴族。フランス王フィリップ6世の義弟だったが、アルトワ伯の継承争いに関して対立し、謀反人として追われイングランドに亡命した。エドワード... |
|
|
佐竹貞義
佐竹貞義(さたけさだよし、弘安10年(1287年)-正平7年/文和元年9月10日(1352年10月18日))は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。佐竹氏の第8代当... |
|
|
金文京
著者情報 金 文京 1952年東京都に生まれる。1979年京都大学大学院文学研究科博士課程修了。専攻、中国文学。現在、京都大学人文科学研究所教授(本データはこ... |
|
|
南富鎭
南富鎭(ナム・ブジン、1961年-)は大韓民国慶尚北道出身の文学研究者。専門は日韓の比較文学、文化論、植民地文学研究。 |
|
|
金富軾
高麗の官僚・儒学者であり、慶州金氏という新羅王室に連なる門閥貴族である。朝鮮に現存する最古の歴史書である『三国史記』を編纂し、後に楽浪郡開国侯を賜... |
|
|
山名時熙
南北朝時代から室町時代の武将、守護大名。室町幕府相伴衆、侍所頭人、但馬・備後・安芸・伊賀守護。父は山名時義で長男。養子として入った兄弟(従兄)に氏... |
|
|
上杉房方
室町時代の武将。越後守護。上杉憲方の子。憲孝は兄で、憲定、憲重(山浦氏祖)は弟。朝方、頼方、憲実、重方、清方の父。幼名は龍命丸。官位は民部大輔。天... |
|
|
鄭夢周
高麗末の儒学者である。号は圃隠。慶尚北道の生まれ。朱子学を学び、科挙に首席で及第した。高麗末の内憂外患の中、軍人の李成桂(のちの李氏朝鮮王朝太祖)... |
|
|
夫馬進
日本の歴史学者、京都大学教授。専門は中国社会史。 |
|
|
洞院実夏
南北朝時代の公卿(内大臣(北朝))。父は太政大臣洞院公賢、子は洞院公定・公頼。17歳で従五位下に叙せられ、間もなく元服して後醍醐天皇の侍従・左近衛少... |
|
|
北条業時
北条業時(ほうじょうなりとき)は鎌倉時代中期から後期にかけての北条氏の一門。鎌倉幕府の六波羅探題北方・連署である北条重時の四男。普音寺流北条氏の租... |
|
|
李滉
李滉(りこう/イファン、ユリウス暦1501年12月24日(大統暦弘治十四年十一月二十五日)-ユリウス暦1570年12月24日(大統暦隆慶四年十二月初八日))は李氏朝... |
|
|
李珥
李氏朝鮮の儒学者。号は栗谷(りっこく、ユルゴク)、字は叔献(しゅくけん、スコン)。朱子学者として李滉とならぶ二大儒と称される。李滉の主理説に対し主... |
|
|
張士誠
元朝末期、各地に割拠した群雄の一人。泰州白駒場(現在の江蘇省大豊)の人で、元の名は張九四。弟は張士義、張士徳、張士信ら。娘婿は潘元紹。蘇州を拠点と... |
|
|
細川詮春
細川詮春(ほそかわあきはる、元徳2年(1330年)-正平22年/貞治6年(1367年)は南北朝時代の人物。幼名は九郎。官位は讃岐守、左近将監。父は細川頼春。兄に... |
|
|
李斉賢さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|