| 詩人としてはあまりに短い生涯であり、僅か240余首が残るのみながら、李賀の名が不朽の輝きを持って現代に伝わる理由は、他の誰とも類似を見出せない独特の詩風ゆえである。 |
| およそ「写実をもって良しとする」中国文学の世界にあって、李賀の作品はそのまったく逆に幻想を志向する。 |
| 「創作にあって踏みならされた道筋をことごとく無視した」とは、晩唐の詩人杜牧の評である。 |
| まずその作品を挙げてみる。 |
| 詩に詠われる蘇小小は斉(南朝)の有名な歌妓であった。 |
| ここに登場する蘇小小は、死んでもなお想い人を待ち続ける哀れな亡霊となって描き出されている。 |
| 詩自体はあくまで美しく幻想的だが、昏く重い。 |
| この幻想と怪奇、耽美と死こそが李賀が昏い情熱を傾けたテーマであった。 |
| 李賀の詩にはしばしば鬼――それは日本におけるオニではなく、死者の魂、すなわち亡霊をいう――や奇怪な生き物、妖怪、超常現象が描かれる。 |
| それらは李賀以外にもまったく見られないわけではない。 |
| 例えば陶淵明は『山海経を読む十三首』にて古代神話に登場する妖怪のことを詠んでいるが、その本意は百鬼夜行のごとき人間社会の風刺・批判にあるがごとく、一種の喩えであったり、詩にインパクトを与えるテクニックにすぎない。 |
| 対する李賀の場合、その亡霊・妖怪の類は詩中に必然を持って頻々と登場したり、往々にして怪異きわまる現象そのものが詩のテーマとすらなる。 |
| 前途洋洋たる李賀に対し、言いがかりというまったき悪意を持ってその栄達を阻んだ人々は魑魅魍魎そのものであり、その行いは理解しがたき怪異である。 |
| 李賀にとって亡霊や怪異は、現実と大差ないリアルな存在であったのだ。 |
| 否むしろ、半ば幻想世界に生きた李賀にとって、現実よりも親しいものであったのかもしれない。 |
| またその詩をより暗くしているのは、繰り返される絶望と死の描写である。 |
| その詩句より例をとれば、「長安に男児有り二十にして心已に朽ちたり」(『陳商に贈る』)。 |
| 官僚への道を理不尽に閉ざされた李賀の意識は、深い絶望に覆われる。 |
| もとより漢詩は悲哀を詠うことを拒まないが、李賀のそれは悲哀を通り越して絶望の域に達し、この世のすべてが悪意に満ちているという、ペシミズムの極地に至る。 |
| 周囲を魑魅魍魎のごとき輩に囲まれた絶望の世界を抜け出すには、死ぬしかない。 |
| 李賀の詩に繰り返し「死」が詠われるのは必然であった。 |
| このようにはなはだ悲観的な内容であり、無間地獄のごとき底なしの絶望を感じさせながら、しかし李賀の詩は同時に絢爛豪華である。 |
| それは独特の色彩感覚にある。 |
| 同じく、「瑠璃の鍾琥珀濃し小槽酒滴って真珠の紅」(『将進酒』)。 |
| 漢詩は意外にも色彩に溢れている。 |
| 美を韻文で表現しようとするのだから当然のことなのだが、李賀の場合は特に濃厚な色彩の描写に執心した。 |
| ときとして、鮮やかさを通り越してかえって暗く感じるほど、その詩中に溢れる色彩は人工的なまでに濃く、ゆえに不健康に美しいのである。 |
| 技巧面でも他に見られない特色が幾つかある。 |
| たとえば詩句を断絶させること~一つの詩の部分部分、あるいは一つ一つの句が他と意味的に連続せず、まるで思いついたフレーズを書き連ねたように一詩を構成させる。 |
| あるいは独特の比喩を使用すること~かつて用いられたことがなく、かつ一般的に連想しがたい比喩を多用する。 |
| また新語・造語を多用することなどである。 |
| これらの技巧は確かに李賀独特の世界を構築しながら、鑑賞者の理解を阻む要因ともなっている。 |
| 古来「注無しでは読めない」と評される所以である。 |