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つながりの強いひと
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プロフィール
- 東国原英夫とは
- タレント“そのまんま東”として
- 作家活動
- 現在までの逮捕・犯罪歴
- 政治家として
- 2007年
- 2008年
- 2008年の騒動
- 2009年の騒動
- 知事退任後
- 略歴
- エピソード
- 関連サイト
東国原英夫(ひがしこくばるひでお、1957年9月16日-)は、鹿児島県霧島市生まれの政治家、タレント、前宮崎県知事。かつてお笑い芸人であり、 ビートたけし率いる芸人集団・ たけし軍団の一員で ビートたけしの最初の弟子。俳優、作家としての活動歴がある。タレント時代は「 そのまんま東」(そのまんまひがし)や「 東英夫」(ひがしひでお)という芸名で活動していた。専修大学経済学部経済学科卒業、早稲田大学第二文学部社会人間系専修卒業、早稲田大学政治経済学部 政治学科中退。
タレント“そのまんま東”として
| 1980年、フジテレビの『笑ってる場合ですよ!』のお笑いオーディションコーナー「お笑い君こそスターだ!」に「オスカル・メスカル」という漫才コンビで出場した際に、同番組に出演していたビートたけしの楽屋を訪ねて弟子入りを願い出てこのとき桂三枝の弟子になる考えも持っていた、1982年3月に付き人となる。 |
| 2009年現在までに数多くいるたけしの弟子の第一号である。 |
| デビュー当初の芸名は「東英夫」であった。 |
| その直後、コンビの相棒が芸能界入りする目的であった当時の人気アイドル歌手河合奈保子を生で見たことで満足し、芸能界を辞めるということでコンビは解散、やむなく京都産業大学の学生だった丸山昭範と3か月だけという約束で、コンビを結成。 |
| 師匠たけしのコンビ名「ツービート」の「ツー」をもらって「ツーツーレロレロ」と命名。 |
| 3か月後、芸能界を辞める丸山に、たけしに黙って失踪したという事にしてもらい、東国原は当時テレビ局でADをしていた大森うたえもん(当時の芸名は大森クンタ)とコンビを組んで「ツーツーレロレロ」を続けるそのまんま東『60歳を人生ピークにもっていく法』KKベストセラーズ。 |
| 人気漫才師ビートたけしの弟子と言うことで注目され、関東の有名大学をコキおろすネタを主にやっていた。 |
| 1983年にたけし軍団の一員となり、「ツーツーレロレロ」のコンビを解消。 |
| 1982年前後、たけしと東国原以下たけしの弟子たち(後のたけし軍団)の宴会が開かれ、その席で弟子全員の芸名をたけしが命名した。 |
| しかし、東国原は新しい芸名が与えられなかったため、たけしに対して、「殿、私の名前はどうなるのでしょうか?」と聞いた。 |
| 東国原はすでに「東英夫」という芸名を名乗っていたので、たけしは「“東”はもう、“そのまんま”、でいいよ」と答えた。 |
| これはもちろん「お前は従来の芸名『東英夫』を名乗り続けろ」という意味である。 |
| しかし、書記係のラッシャー板前がたけしの言葉の意を勘違いしてしまい、「“東英夫”」ではなく「“そのまんま東”」とメモしてしまった。 |
| 最終的に半ばシャレで、東国原は「『“そのまんま東”』という芸名を与えられた」ということにしてしまった。 |
| 北野オフィス所属の漫才コンビ浅草キッドの水道橋博士によると、事務所所属芸人で表立った活動をしている団員に対して東は素っ気無い態度で、軍団内でどうにも使えない半端な底辺の芸人の面倒を良く見ていたと言う。 |
| 加賀まり子の頭に自分の局部をのせて「ちょんまげ」と言い放ったことがあるエピソードが、2003年の夏に放送された壮絶バトル花の芸能界でせんだみつおに暴露される。 |
| 加賀はまったく怒らずに呆れ顔で「はい、はい」といいながら頭から下ろしたらしい。 |
| 政治家になる以前から辛口コメンテーターとして発言していた。 |
| TBS「ここがヘンだよ日本人」でレギュラーになったときは鋭い発言が多く、。 |
| (太っている出演者50人対して)「あなたたちは甘えている」「テレビで、デブで構わないというメッセージは危険」。 |
| (現役大学生50人に対して)「日本国憲法にある三大義務は何だ、(答えられない大学生に)わからない奴に批判をする権利はない」等と痛烈に批判していた。 |
| 一方で、過激な発言も少なくないため、たけしからのツッコミや外国人出演者からのブーイングをよく浴びていた。 |
| また以前引退した山口百恵(現三浦百恵)への全く周りの許可を得ていないプライベート映像を某番組が特ダネとして放送した際、他のコメンテーターはプライバシーの問題について放送した番組を擁護する発言を行ったが東のみが「これはいくらなんでもやりすぎである」と番組を強く批判していた。 |
| 夫である三浦友和はエッセイの中で「擁護する発言をした人たちを忘れはしない。 |
| またそのまんま東さんの発言も忘れないし発言に感謝している」と記している三浦友和著「被写体」より。 |
| テレビ番組、ズバリ言うわよのコーナー「運命のカルテ」のゲスト出演した際に、細木数子から「今の仕事は合わない。 |
| 小説家になったほうが良い」と言われた。 |
| 愛弟子に芸人早川伸吾がいる。 |
| なお早川はたけしの初孫弟子でもある。 |
| 日本テレビのお笑いバラエティ番組『ビートたけしの全日本お笑い研究所』(1988年4月~1988年9月)でニュースキャスター「東国原英夫」として出演していた(出演者クレジットは「そのまんま東」)。 |
| 上岡龍太郎に誘われ、石田純一らとマラソンに打ち込んだ時期があり、それが現在にも生かされている。 |
作家活動
| 不祥事で芸能活動を自粛していた1987年に書いた推理小説『ビートたけし殺人事件』がベストセラーになり、翌1988年にはTBSでドラマ化され、東国原自身もたけし軍団の面々と共に出演。 |
| 後に結婚することになる、かとうかずこ(後のかとうかず子)もヒロイン役で出演した(現在は離婚)。 |
現在までの逮捕・犯罪歴
| 1986年12月9日、ビートたけしに率いられ、たけし軍団と共に講談社を襲撃し、暴行罪で現行犯逮捕されたが、不起訴処分となる。 |
| →詳細はフライデー襲撃事件を参照。 |
| 1998年10月13日、東京都内のイメージクラブ店が未成年の従業員を使っていたことで、児童福祉法違反並びに東京都の青少年健全育成条例違反の容疑で経営者が逮捕された。 |
| その当時16歳であった従業員の少女が、性的なサービスをした客として東国原の名前を供述したことで、警察から任意の事情聴取を数回受けたが、「18歳未満とは知らなかった」と釈明した。 |
| 当時の妻のかとうもマスコミを通じ、謝罪の文書を発表した。 |
| 以後芸能活動を5か月間自粛した。 |
| 東国原自身は法的に罪を免れたが、倫理的な性質の問題からマスコミでは「淫行事件」として大々的に報道され、社会の激しい批判を浴びることとなった。 |
| 現在も一部で「東国原は少女への淫行で逮捕された」と誤解されるが、前述の通り、任意の事情聴取のみであるため逮捕・訴追の事実はない。 |
| よって、実際には犯罪歴ではない。 |
| そのためか、2010年現在でも本人はテレビ朝日などでビートたけしがこの一件に対してからかうなどお笑いの自虐ネタとして活用されることが多い。 |
| 1997年に催されたオフィス北野の新年会において、当時たけし軍団に在籍していた男性の側頭部を蹴り、頭部打撲等のけがを負わせたとして、1999年11月22日、傷害容疑で書類送検された被害を訴え出たのは新年会から約1年が経過してから。 |
| 東国原は暴行の事実を認め、略式起訴で罰金を払い、そのことで一時芸能活動を再度自粛した。 |
| 東国原の公式ウェブサイトでの説明によると、先輩として規律を正す意味で蹴ったとし、自著の中で件の後輩が事務所の経費を無断で使い込んでいた疑惑に対して「先輩として」怒ってしまったと明かし、暴行傷害行為に至った事については全面的に認めており反省を表している。 |
| ただし、男性はブログで暴行事件について反論している |
政治家として
| かとうかず子との離婚後に「前々から政治家になりたいと思っていた」と言っていたことが明かされ、本人の発言やブログの記事からも政治への強い関心を見せるなど、タレント時代から政界への進出を考えていたという。 |
| 謹慎中に入学した早稲田大学第二文学部社会人間系専修では、卒業論文のテーマとして選挙活動を扱ったほか、卒業後も早稲田大学政治経済学部政治学科に再入学して地方自治を専攻している。 |
| 同学部入試において出題された小論文の「入学後に学んだことをどのように社会に還元するか?」との課題に対して、「地方自治を学び、それを実践する」という主旨の論述を明確に展開しており、この頃までに地方自治への進出志向が確固たるものとなっていた。 |
| 2006年には本人を代表とする政治研究会「そのまんま会」を設立、同12月4日には故郷宮崎県の県選挙管理委員会に政治団体としての届け出を行い、地元での事務所開きにおいて、支援者を前に自らの出馬にかける思いを語った際には過去の不祥事についても自ら切り出し語った。 |
| その数日後には所属していたオフィス北野を退社。 |
| 官製談合事件で当時の現職知事安藤忠恕が逮捕されたことに伴う宮崎県知事選挙へ無所属で立候補。 |
| 当初は過去の問題行動や言動などのイメージもあって出馬を疑問視する声も多かった。 |
| 東国原は、選挙活動において、タレント候補にありがちなタレントの選挙応援を一切受けないことで、「脱タレント」を印象付ける選挙活動を展開した。 |
| 遊説や立会演説では宮崎弁を使い、早稲田大学出身をアピールし、選挙活動最終日にはマラソンをしながら活動した。 |
| 宮崎再建・宮崎自立のための具体策を打ち出したそのまんまマニフェストや無所属であることの「しがらみのなさ」を強調しての県政批判などは、政治に無関心な無党派層の関心を呼び起こしただけではなく、現状に不満を持つ政党支持層へも支持を拡大していくこととなった。 |
| 東国原をサポートする政務秘書には元たけし軍団の吉川敏夫が就任。 |
| 早川伸吾と共に、多忙な東国原の生活面を助けている。 |
| こうして、「しがらみのなさ」や「宮崎を変える」という期待感が県民に好印象を与えたことに加え、保守陣営の分裂という追い風も幸いして、得票のうち約45%を得て当選した。 |
| 各マスコミによる出口調査では無党派層だけでなく各政党支持層からも一定の票を獲得したことが伺える。 |
| 小学校の卒業文集に「夢は政治家とお笑い芸人」と書いていたが、その夢を2つとも叶えることとなった。 |
2007年
| 選挙活動は芸名の「そのまんま東」で行ったが、県知事に就任してからは本名の東国原英夫(ひがしこくばるひでお)で活動している。 |
| それに伴い、「そのまんま東」は2007年3月にたけしの付き人であるゾマホン・ルフィンが襲名した(2代目)。 |
| 作業服で初登庁したり、「椅子をパイプ椅子に変える」「こんな立派な机もいらない」「退職金は出来高払い。 |
| 知事専用の公用車について、当初は「廃止する」と述べていたが、燃費や他の手段を使った場合のコストなどの問題を考え、車種をトヨタの「センチュリー」から、ハイブリッドカーである「クラウンセダン」へ乗り換え、これにより年60万円の公費削減となった。 |
| 似たような理由で知事公舎にも住んでいない(置き換えられたセンチュリーは競売に掛けられ、255万円で落札(譲渡)された。 |
| 報道番組やワイドショーに連日報道されたり多くの特集が組まれるようになったとともに、積極的にマスメディアに出演して宮崎県の宣伝を行っており、自らを「宮崎県のセールスマン」と呼んでいる。 |
| バラエティー番組への出演も多いことから、「テレビに出演しすぎだ」「知事になってもタレントのつもりでいる」などの批判が一部からも挙がっているものの |
| 2007年1月23日の知事就任直前に清武町で、そして直後には日向市、新富町で鳥インフルエンザが発生した。 |
| ソフトバンクのキャンプでは監督の王貞治と会って、「王監督の手は神のようだ」と言っていた。 |
| 2003年に4億9600万円の公費を費やして建設された知事公舎を批判し、選挙前から住んでいるマンションに知事に当選後も住んでいたが、当選後は自宅マンションや近隣住民への悪戯が多く迷惑を掛けているとの理由で勤務先の県庁に歩いて行ける近場のマンションをローンで購入し、2007年3月29日から住んでいる。 |
| 自民党会派が勢力を占める県議会とのパイプ役や中央省庁とのパイプ役を模索していると報道されるが、「脱・官僚」を期待して東国原に投票した県民の反発を招き、起用を断念した。 |
| 副知事には総務省出身で宮崎県に出向中の河野俊嗣(現・宮崎県知事)を起用した。 |
| 2007年4月16日の定例記者会見において、「特に発表することがない場合は(会見を)カットしてもよいのではないか」、「毎日取材に答えているので、改めて話す内容はない。 |
| 後に出演した『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)4月29日放送分でも「特に発表することがない場合でも、わざわざ12時まで会見時間を設けるのは効率が悪く、浮いた時間を公務に回すべき」(通常の定例記者会見が11:00~12:00の1時間で行われるため)と発言したが、かつての長野県知事である田中康夫のように記者クラブを撤廃させようというものではなく、あくまでも県政の効率化のための提案であることを述べている。 |
2008年
| 2008年1月20日に、「新しい日本をつくる国民会議」(21世紀臨調)を母体とする「地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合」(通称:せんたく)の設立に発起人として参加。 |
| 東国原の前任者で、競売入札妨害容疑によって逮捕された安藤忠恕の政治団体(明日の宮崎を創る会)に寄付していた県建設業政治連盟(宮崎県内の建設業界による政治団体)も、東国原のパーティ券を購入していた政治資金:東国原・宮崎県知事パーティ券で6000万円集金/「脱談合」の建設業界からも、2008年9月30日、毎日新聞(オッショイ!九州)。 |
2008年の騒動
| 2008年10月、地元宮崎県選出の代議士・中山成彬(宮崎1区)が次期衆議院議員総選挙に出馬せず、引退を表明した際には宮崎県政界の中に東国原を後継候補者として擁立する動きがあった。 |
2009年の騒動
| 2009年6月23日、当時自由民主党選挙対策委員長であった古賀誠と会談し、次期衆議院議員選挙への出馬を要請された。 |
| 一方で、同日FNNスーパーニュースに出演し、「民主党で出馬する方が、早く改革できるのでは?」と問われたのに対し、「党としての経験が蓄積されていることを重視し、自民党が下野することになっても民主党で出馬することはない」と発言し、相対的に自民党を支持していることを示唆した。 |
| さらに、翌日付の朝日新聞において、民主党が自らを代表に選ぶことはないとの見込みを理由に、自民党から出馬することを改めて表明し、「自分が自民党から出馬すれば自民党は負けない、負けさせない」「(国会議員になった場合)次期県知事には自分の継承者を指名した上で口出しするから、事実上の県知事は自分であり、次期県知事は傀儡政権である」旨の発言をしたと報道された。 |
知事退任後
| 同年4月実施の2011年東京都知事選挙へ立候補し。 |
略歴
| 3月-宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校全日制課程普通科をTBSで2007年8月25日に再放送された「ドリーム・プレス社」の大竹まこととのやりとりで述べているで-->卒業。 |
| 12月-フジテレビのお昼のバラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」のコーナーで漫才コンビ「オスカル・メスカル」で出場し、チャンピオンになる。 |
エピソード
| 「東国原」姓は鹿児島県曽於地域において見られる姓である。 |
| 2008年9月にMBS/TBS系で放送された『芸能界特別授業!私はこうして生き残りました!』の中で、早大時代の学生生活について、芸能界の感覚が抜けず、コンパや飲み会で割り勘の習慣に慣れるまで時間がかかったことを、友人の唯是一寿が明かしている。 |
| 1999年度のNHK「紅白歌合戦」で、野猿を率いていたとんねるずを見て、お笑いの世界からの引退を決意したと、『ナンバー2〜一番になれなかった天才達の物語〜』で語った。 |
| 2008年アメリカ合衆国大統領選挙で勝利した民主党のバラク・オバマについて、「演説が上手というような評価ですが、私から言わせると、その技量は普通 |
| フライデー襲撃事件の際、最後まで嫌がったのは推理小説の江戸川乱歩賞の後援が講談社だった為、作家活動として自身の推理作品の入賞を狙っていたので、師匠のビートたけしに「(襲撃対象を)文藝春秋社に変更できないですか?」と言ったことをテレビで明かしたことがある。 |
| TBSのオールスター感謝祭の赤坂5丁目ミニマラソンには出演する際には必ず参加したり、日本テレビの24時間テレビ「愛は地球を救う」のチャリティーマラソンについて「誘いがあれば検討したい」と述べていた |
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1957年
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東国原 英夫(ひがしこくばる ひでお)は、鹿... |
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1980年
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フジテレビの『笑ってる場合ですよ!』のお笑... |
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