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つながりの強いひと
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百済
古代の朝鮮半島南西部にあったツングース系扶余族による国家(346年-660年)。朝鮮史の枠組みでは、半島北部から満州地方にかけての高句麗、半島南東部の新羅... |
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武寧王
百済の第25代の王(在位:502年-523年)。『三国史記』百済本紀・武寧王紀によれば先代の牟大王(東城王)の第2子であり、諱を斯摩、分注では隆とする。『梁... |
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蓋鹵王
百済の第21代の王(在位:455年-475年)。先代のの長子であり、『三国史記』によれば諱は慶司。また、近蓋婁王とも記され、『日本書紀』には加須利君(かすり... |
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文周王
文周王(ぶんしゅうおう、生年不詳-477年)は百済の第22代の王(在位:475年-477年)であり、先代の蓋鹵王の子。諱・諡は伝わらない。『三国史記』百済本紀・... |
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百済王
百済王氏と古代日本 この本を 1 2 3 4 5 6 7 8 9 冊買う 10冊以上買う お困りの方 大坪 秀敏著 税込価格: (本体 : ) bk1ポイント倶楽部 : 60 ... |
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三斤王
当時の百済が貴族連合体制にあって解仇がその頂点にいたためと推測されている。また解仇の反乱・討滅については、原因は不明ながらも貴族連合体制の中での権... |
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聖王
百済の第26代の王(在位:523年-554年)。先代の武寧王の子。『三国史記』百済本紀・聖王紀によれば諱は明穠。先王が523年5月に死去したことにより、王位につ... |
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忠清南道
大韓民国中部(朝鮮半島中西部よりやや南)に位置する行政区。現在の道知事は安熙正。1896年、勅令第36号で朝鮮八道における忠清道の西半分を「忠清南道」と... |
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雄略天皇
第21代天皇(在位:安康天皇3年11月13日(456年12月25日)-雄略天皇23年8月7日(479年9月8日))。大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)、大長谷若... |
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武王
周朝の創始者。殷の最後の帝辛(いわゆる紂王)を滅ぼし、周を立てた。文王の次子。同母兄に伯邑考、同母弟に管叔鮮、周公旦、蔡叔度、霍叔処、康叔封らがい... |
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桓武天皇
日本の第50代天皇(在位:天応元年4月3日(781年4月30日)-延暦25年3月17日(806年4月9日))。 |
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長寿王
高句麗の第20代の国王(在位:413年-491年)。姓は高、諱は巨連。『魏書』などには「璉」の名で現れる。先代の好太王の長子であり、409年に太子に立てられ、41... |
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義慈王
百済の第31代、最後の王(在位:641年-660年)で、諱の義慈のままに義慈王と記される。第30代の武王の嫡男である。『旧唐書』などには扶余義慈(扶余または余... |
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威徳王
百済の第27代の王(在位:554年-598年)。先代の聖王の長子。諱は『三国史記』百済本紀・威徳王紀では昌、『三国遺事』王暦では高、または明。554年7月に先王... |
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近肖古王
近肖古王(きんしょうこおう、生年不詳-375年)は百済の第13代の王(在位:346年-375年)であり、第11代の比流王の第2子。中国・日本の史書に初めて名の現れ... |
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腆支王
腆支王(てんしおう、生年不詳-420年)は百済の第18代の王(在位:405年-420年)であり、先代の阿莘王の長子。『梁書』では余映(余は百済王の姓)、『日本書... |
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近仇首王
近仇首王(きんきゅうしゅおう、生年不詳-384年)は百済の第14代の王(在位:375年-384年)であり、諱は須。先代の近肖古王の子である。375年11月に先王の死... |
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枕流王
枕流王(ちんりゅうおう、生年不詳-385年)は百済の第15代の王(在位:384年-385年)であり、先代の近仇首王の嫡子。母は阿爾夫人。384年4月に先王が死去し、... |
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武烈天皇
古墳時代の第25代天皇(在位:仁賢天皇11年(498年)12月-武烈天皇8年12月8日(507年1月7日))。名は小泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせのわかさざきのみこと)・小泊... |
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恵王
中国戦国時代の魏の第3代君主(在位:紀元前369年-紀元前319年)。または初代の王。姓は姫。氏は魏。諱は罃(おう)。 |
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プロフィール
東城王(とうじょうおう、生年不詳-501年)は百済の第24代の王(在位:479年-501年)である。『三国史記』によれば、諱を牟大、あるいは摩牟とし、第22代の 文周王の弟の昆支の子とする。名と系譜については以下の異説がある。『南斉書』では牟大とし、牟都( 文周王?)の孫とする。『梁書』では牟太とし、余慶(第21代 蓋鹵王)の子の牟都( 文周王?)の子とする。また、牟都を牟大・牟太の転訛と見る説もある。ただし『三国史記』百済本紀・東城王紀末文では、古記に基づいて牟都という王はいないこと ...
即位まで
| 『三国史記』では三斤王が479年11月に死去去したので王位についたとするだけであるが、『日本書紀』雄略天皇23年(479年)4月条では、「百済文斤王(三斤王)が急死したため、当時人質として日本に献上され、滞在していた昆支王の5人の子供のなかで、第2子の末多王が幼少ながら聡明だったので、天皇は筑紫の軍士500人を付けて末多王を百済に帰国させ、王位につけて東城王とした。 |
| 」と記されている。 |
| 日本書紀の上記の記述を根拠に、東城王政権は親倭的で倭国はたびたび東城王代の百済の内政に干渉していたとする見方に関し、実際の東城王政権は倭国に対して友好的ではなく、彼の即位以前に起きた二度にわたる百済と高句麗の戦い(455年と475年)において、古くからの同盟国であるにも関わらず倭国が百済を全く支援しなかったことを背景に冷酷な態度をとっているいう説がある沈(2003)。 |
治世
| 王位につくと直ちに、文周王を暗殺させた解仇の反乱を収めた真老を徳率(4等官)から兵官佐平(1等官)に昇進させ、内外の統帥権を委任した。 |
| また、首都熊津(忠清南道公州市)の在地勢力である燕氏、沙氏を重用して既存の政治体制を改革しようとした。 |
| 対外的には、高句麗の長寿王が北朝だけではなく南朝にも朝貢して爵号を得たことを聞き、百済からも南斉に朝貢して冊封体制下に入ったが、高句麗の得た爵号に対しては評価の低いものに留まった。 |
| 新羅との同盟(羅済同盟)を結ぶための使者の派遣も行っており、493年には通婚を要請して、新羅からは伊飡(2等官)『三国史記』百済本紀では「伊飡」とするが、新羅本紀では「伊伐飡」(1等官)の娘としている。 |
| の娘が嫁いできた。 |
| 翌494年には高句麗が新羅を攻めたところに救援を送って高句麗兵を退け、さらに495年には高句麗に侵入された際には新羅から救援が来て高句麗兵を退けている。 |
| このように新羅との同盟で高句麗に対抗する姿勢をとっていたが、501年7月には新羅に対しても警戒して炭峴炭峴の比定地にはいくつかの説がある。 |
| 全羅北道完州郡雲州面、忠清南道扶余郡石城面、忠清南道錦山郡珍山面、忠清北道沃川郡郡北面、など。 |
| に城柵を築いた。 |
| 498年8月には、耽羅(済州島)が貢賦を納めなくなったので親征のために武珍州(現在の光州広域市)に赴いた。 |
| これを聞いて耽羅は使者を送ってきて謝罪し、以後は百済に服属したとみられる。 |
| 王権と国力の回復に努め、外征にも成果を挙げた東城王であったが、在位の晩年には暗君と化した。 |
| 499年に大旱魃が起こって国民が餓えたが、国倉を開いて民に施そうとするのを許さず、漢山(京畿道広州市)の民2千人が高句麗領に逃亡した。 |
| それにも拘らず500年には王宮の東に高さ5丈もの臨流閣を築き、池を掘り珍しい鳥を飼うなどの贅沢にふけり、諫言をする臣下を遠ざけた。 |
| さらに同年にも旱魃があったが、側近とともに臨流閣で一晩中の宴会をするなどしていた。 |
| こうした状況のなかで501年11月、衛士佐平のハク加(ハクはくさかんむりに白)の放った刺客に刺され、12月に死去した。 |
| 諡されて、東城王という。 |
参考文献
| 『三国史記』第2巻金富軾撰井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983ISBN4-582-80425-X。 |
| 『三国遺事』坪井九馬三・日下寛校訂<文科大学史誌叢書>東京、1904(国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)。 |
| 『日本書紀』伴信友校訂岸田吟香他1883(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)。 |
| 沈仁安『中国からみた日本の古代』 藤田友治・藤田美代子訳、ミネルヴァ書房、2003年。 |
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