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プロフィール
- 松井大輔とは
- プロ入り前
- 京都パープルサンガ
- ル・マン
- サンテティエンヌ、グルノーブル
- ディジョン
- 人物
- 所属クラブ
- 個人成績
- クラブ
- 個人
- 出場大会
- 出版物 参考文献
- 関連項目
- 関連サイト
松井大輔(まついだいすけ、1981年5月11日-)は、京都府京都市出身のプロサッカー選手。リーグ・アン・ディジョンFCO所属。ポジションはMF。妻は女優の 加藤ローサ(2011年6月22日に結婚。松井は再婚、加藤は初婚)。
プロ入り前
| 同級生の兄がサッカーをやっていたこともあり、小学3年生より大宅サッカースポーツ少年団に18期生(大宅小学校の生徒のみのチーム)で入団。 |
| 同学年は単独の小学校のチームにも関わらず府内、全国でも強豪のチームであった。 |
| 同チーム内には同級生の山崎雅人も在籍し、他にも後にJリーグや実業団で活躍した同級生も多く在籍していた。 |
| 特に松井と山崎は多くの大会で優秀選手賞を受賞した。 |
| チームとして小学校時代に約400試合をこなし戦績が392勝8敗ほどという驚異的な強さのチームであったが、小学校5年生のとき、京都アシックス杯において鈴木啓太擁する静岡県の清水FCに0-7で大敗。 |
| 当時から府内でも有名な選手であり京都府選抜、関西選抜など数多く選抜チームに選ばれていた。 |
| 大宅中学校に入学し1年間を過ごすも、校則の丸坊主が苦痛だった上に、慕っていたサッカー部の指導者が在学中に転勤、あまりサッカーに熱心ではなかった監督が後任に就く。 |
| チームは小学校時代の余力で京都府新人戦は優勝するものの、選手だけでの楽なトレーニングメニューだったために中々成長できずボール拾いとランニングばかりの部活動に嫌気がさし、ゲームセンターに入り浸ったり、髪の毛を染めたり、バイクに乗ったりと無為の日を過ごすがサッカーに対する情熱は燻り続けたままで転校を決意。 |
| 転校先が区外の公立であったため父親が「妻が息子のサッカー狂にかまけてばかりで対立。 |
| この度、息子を妻に預けて別居する事になった」と架空の手続きを済まして簡略化。 |
| 2年の進級と同時に安アパートに移り住み、関西選抜などで監督を務めていた牧戸万佐夫がいる藤森中学校に転校 |
| この当時から幅広くサッカー留学等を経験、パリ・サンジェルマンからテスト生としての誘いを受けた。 |
| 高校は地元の京都を離れ、鹿児島県の強豪鹿児島実業高校に進学。 |
| 3年生時の全国高校選手権では2回戦で大久保嘉人擁する国見高校を、準々決勝では田中達也擁する帝京高校を破り、準優勝を経験。 |
| 同校では「天才」でならした松井ですら音を上げるハードなトレーニングメニューだったが、学科授業を仮眠に充てて部活動に打ち込み、プレーとテクニックのレベルを上げていった。 |
| 同校の2年先輩に遠藤保仁、同級生に那須大亮、1年後輩には上本大海や後に京都パープルサンガで共にプレーする田原豊がいる。 |
京都パープルサンガ
| 2000年、京都パープルサンガ(当時)に入団。 |
| プロ1年目からリーグ戦で22試合出場しプロ初ゴールをあげるなどの活躍を見せたものの、チームは年間順位で16チーム中15位と低迷しJ2へ降格してしまう。 |
| 2001年、背番号を前年の26から10へと変更。 |
| プレー面でもリーグ戦37試合出場7得点という結果を残し、チームのJ1復帰に大きく貢献する。 |
| 2002年、黒部光昭、朴智星らとともに破壊力抜群の攻撃的なサッカーを展開し、クラブ初タイトルとなる同年度の天皇杯優勝に貢献する。 |
| 2003年6月22日のコロンビア戦で日本代表デビューを果たす。 |
| しかしこの年は3トップの一角であった朴智星の欧州移籍や黒部の故障離脱もありチームは低迷、再びJ2降格を味わうこととなってしまった。 |
ル・マン
| 2004年のアテネオリンピックではU-23日本代表の背番号10を背負った。 |
| 同年9月1日に京都パープルサンガからフランス2部リーグ・ドゥのル・マンUCに2005年6月までの契約でレンタル移籍。 |
| 松井の加入後、ル・マンUCは2部の中位から一気に1部昇格圏の2位にまで浮上し、その中心となって活躍した松井は、『lesoleilduMans(ル・マンの太陽)』と呼ばれた。 |
| レンタル期間終了後、2005年7月にル・マンUCに完全移籍。 |
| 1部リーグリーグ・アンでのデビュー戦となった2005-06シーズン初戦の対オリンピック・リヨン戦で先制ゴールをアシスト、第12節の対RCストラスブール戦では鮮やかなミドルシュートを決めて初ゴールを記録。 |
| サイドアタッカーとしてル・マンUCの攻撃陣を牽引し続ける。 |
| 日本代表でも11月16日のアンゴラ戦で代表Aマッチ初得点を記録し、チームの勝利に貢献した。 |
| 2006年1月にはトロワAC戦での2ゴールなどが認められた形で、日本人初、ル・マンUCのチーム史上初である月間MVPを受賞する。 |
| このシーズンには、リーグ・アンのアシストランキングで3位の8アシストを記録するなど、チームの残留に大きく貢献する。 |
| 2006-07シーズンは、初戦のOGCニース戦でアシストを記録したもののサッカー選手の職業病とも言える腰痛に苦しめられ、2007年1月にはトロワAC戦で2ゴールをマークしたものの、シーズン後半は6試合連続で欠場した。 |
| しかし腰の状態が上向き、よりゴールの位置に近いセカンドトップ気味のポジションに配されてからは、最後の4試合では2ゴール1アシストを記録した。 |
| 一方、選出を有力視されていた2006年ドイツW杯メンバーに落選。 |
| さらにはケガなどにも苦しんだリーグ・アン2年目のシーズンではあったが、「今までで一番、プレーについて考え、自分のプレーについて研究したシーズンだった」と本人は振り返った。 |
| 2007-08シーズンでは第2節で早々に初アシストを記録し、第5節の対ASモナコ戦では月間ベストゴールに選ばれるゴールを決めるなど好調を維持し(なお、このゴールはフランスの全国プロサッカー選手連合とCanal+が共同で選定する、リーグ・アンでのシーズンベスト5ゴールに選ばれた)、その後もチームのチャンスメーカーとして攻撃陣を牽引し、リーグ・カップの準々決勝ではオリンピック・リヨンを撃破するゴールを決め、アフリカネイションズカップで主力が軒並み不在な中でも存在感を発揮。 |
| 大きなケガもなく安定して出場を続け、リーグ戦34試合に出場し5ゴールを記録した。 |
サンテティエンヌ、グルノーブル
| 2007-08シーズン終了後にル・マンUCとの契約を更新せず、熱心なファンが多く、リーグで10度の優勝を誇るASサンテティエンヌへの移籍を決め、2008-09シーズンよりクラブとの3年契約を交わした |
| シーズン序盤は充分に起用されなかったものの、シーズン途中に監督が交代すると徐々に出場機会を増やしていった。 |
| 2009年6月に翌年南アフリカで開催されるワールドカップ出場を目指すため、出場機会を求めてグルノーブル・フット38に移籍した。 |
| 背番号は移籍前と同じ「22」を与えられた。 |
| しかし、クラブは序盤から敗戦を重ね最終的にはリーグ最下位で2部への降格が決定した。 |
| 2010年6月に2010FIFAワールドカップにおける日本代表メンバーに選出され、全4試合にスタメン出場。 |
| グループリーグ第1戦カメルーン戦においては決勝ゴールとなる本田圭佑のゴールを右サイドからのクロスでアシストするなど攻守に活躍し日本代表の決勝トーナメント進出に貢献し、決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦でもバー直撃のミドルシュートを放つなど活躍し、PK戦で失敗した駒野友一を泣きながらに慰めるなどあらゆる面で主力選手としての役割を果たした。 |
| 後に公表されたFIFAの技術研究グループが作成したW杯南アフリカ大会の報告書では、本田圭佑と共にドリブル技術が高いと評価された |
| グルノーブルの2部降格決定後は1部リーグでのプレーを目指して移籍先を模索。 |
| 欧州の相当数のクラブが獲得に興味を持ったと報じられる中、松井自身はフランス1部への移籍にプライオリティを置いていた |
| また、ポルトガル・スーペル・リーガの強豪スポルティング・リスボンと移籍寸前まで交渉が進んだが破談 |
| 移籍期間終了間際になってロシア・プレミアリーグのFCトム・トムスクに2010年末までの期限付きで加入することが発表された |
| ロシア移籍後、欠場も多く目立った活躍もないままレンタル期間を終え、Jリーグの複数のクラブから獲得オファーを受けるも、海外でのプレーを希望する本人の希望もあり、グルノーブルへ復帰した。 |
| しかし、チームは2部リーグでも最下位となり、3部リーグへ降格。 |
| 2010-11シーズン終了後、グルノーブルが経営難により、プロ選手との契約ができない4部リーグへの2段階降格が決まったことで、フリートランスファーでの移籍が可能となった。 |
ディジョン
| 2011年7月27日、この年クラブ初のリーグ・アン昇格を果たしたディジョンFCOへ完全移籍し2年契約を結んだ |
人物
| 尊敬するサッカー選手はドラガン・ストイコビッチ。 |
| (現名古屋グランパス監督)。 |
| カラオケが得意で日本に帰ると知人数名とカラオケにいる姿が目撃されている。 |
| 私生活では、タッキー&翼の今井翼と仲が良く、その縁で2005年9月号のアイドル雑誌『Myojo』に今井翼と共に登場し、女子中高生からも人気を集める。 |
| また、2010年6月11日放送のミュージックステーションで、試合前に聞く「勝ち歌」に今井翼のソロ曲「BACKBORN」と答えている。 |
| 今井はワールドカップ南アフリカ大会期間中には松井の日本代表ユニホーム型キーホルダーを愛用して応援していた |
| この他、Dragon Ashとも親交がある。 |
| 2003年に4歳上の客室乗務員と結婚したが2009年に離婚(「いつのまにか」と評される位に周囲は離婚に気づかなかったという)。 |
| 2010年FIFA南アフリカW杯日本代表解散後「現在、婚活中です」とテレビで明かし、2011年6月に加藤ローサと再婚できちゃった結婚。 |
| 元韓国代表の朴智星(京都パープルサンガ時代の同僚)とは、今でも日本語でお互いによく電話、メールをしている仲。 |
| JRA騎手の高田潤と仲が良く、シーズンオフ等で松井が日本に戻っている際には必ず一緒に食事に行くという。 |
| 状況によってはそこに朴智星が合流することもある |
| 2010FIFAワールドカップ・パラグアイ戦(2010年06月29日)のPK戦で駒野友一が外し結果として敗戦となった際には、肩を組んで涙を溜めながら励ました |
| 後の『5LDK』(2010年07月29日放送)で駒野について「いじられキャラ」「最近はいじりすぎて、反抗期になってる」と冗談交じりに語っている。 |
| また同番組内で日本代表の中での親友を聞かれ大久保嘉人、阿部勇樹、駒野友一を挙げている。 |
| また子供の頃から出会っていた駒野には足が速かったという理由で「新幹線」というアダ名を付けていた。 |
| 同級生にモデルの畑田亜希(松浦亜希)も同学年であり仲のいい友達であった。 |
| 現在も親交が深い友達として |
| 」]にて松井が紹介されている。 |
所属クラブ
| 1997年-1999年鹿児島実業高等学校。 |
| 2000年-2004年京都パープルサンガ。 |
| 2004年-2008年ル・マンUC。 |
| 2008年-2009年ASサンテティエンヌ。 |
| 2009年-2011年グルノーブル・フット38。 |
| 2010年9月-12月FCトム・トムスク(レンタル移籍)。 |
| 2011年-現 在ディジョンFCO。 |
個人
| Jリーグ優秀新人賞(2000年)。 |
| ベストエレガントプレイヤー賞(トゥーロン国際大会、2002年)。 |
出場大会
| U-21日本代表。 |
| U-22日本代表。 |
| U-23日本代表。 |
| 2002年トゥーロン国際大会(3位)。 |
| 2004年アテネオリンピック(グループリーグ敗退)。 |
| 2003年FIFAコンフェデレーションズカップ2003(グループリーグ敗退)。 |
| 2010年2010FIFAワールドカップ(ベスト16)。 |
| 2011年AFCアジアカップ2011(優勝)。 |
出版物 参考文献
| 名波浩対談集~日本サッカーが勝つためにすべきこと名波浩著 |
| 松井大輔のサッカードリブルバイブルDVD抜き技&魅せ技スペシャル(DVD付) |
関連項目
| 京都サンガF.C.の選手一覧。 |
| 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧。 |
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2000年
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京都パープルサンガ(当時)に入団 |
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2001年
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背番号を前年の26から10へと変更 |
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投票数
0
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